フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月25日(日) 晴れ

2012-03-26 08:55:19 | Weblog

  7時、起床。ブログの更新。昨日の現代人間論系卒業パーティーの写真をアップする。

  9時半に家を出て、大学へ。10時半から人事審査委員会(合同)。引き続き12時から人事委員会。

  会議を終えて、カフェテリアで開催中の卒業一周年のパーティーに顔を出す。これは震災で卒業式が中止となった去年の卒業生のためのパーティー。約100人の文・文構・一文・二文の卒業生が来てくれた。

  2時半から学部の卒業証書授与式。現代人間論系ではゼミごとに担当の教員から卒業証書を手渡す方式。私もゼミ生17名一人一人に卒業証書を読み上げて(「以下同文」の省略はしないで)手渡す。その後、建物(39号館)の外に出て、全員揃っての記念撮影。 

 
大久保ゼミ


大久保ゼミ5人衆


中原君、じっとしていなさい!

  あれこれの儀式を終えて、教務室に戻る。さきほどまでの喧騒が嘘のような静けさ。祭りの後の寂しさのようなものがジワリとこみ上げてくる。明日はそれがさらに増すことだろう。だが、少しすればまた新しい学生たちとの騒がしい日々が始まる。だから束の間の寂しさに浸るのも悪くはあるまい。出会いと別れの繰り返し、それが教師という仕事だ。

  5時に研究室に去年のゼミの卒業生たちがやってきた。教師という仕事は出会いと別れの繰り返しだが、もうひとつ、再会ということがある。もし出会って別れて、それっきりということであれば、それはそれで潔いといえないこともないが、空虚な思いはぬぐえないだろう。再会は教師の人生を重層的かつ動的なものにしてくれる。


今年度の卒業生がひとり混じっています。

  焼肉屋「ホドリ」で食事をし、「カフェゴトー」でお茶をした。彼女たちのおしゃべりは仕事と恋愛を2大要素とする。仕事に関しては私も何がしかの発言ができるが、恋愛に関しては聞き役に回るほかはない。ときおり、「先生、どう思います?」と質問されるが、「わからないな」と答える。『最後から二番目の恋』の最終回で、和平(中井貴一)が千明(小泉今日子)にこんなことを言っていた。

  「齢をとっても、何もわかってるわけじゃない・・・・むしろ、どんどんわかんなくなってるような気がします・・・・特に恋とか女性はわからない・・・わかったつもりでいたことが、齢をとると、わからなくなってくる・・・・でも、わかったふりはしていたい・・・・わかったようなことはいいたい・・・・何なんだろうな」

  大人一般もそうなのだろうが、とくに教師には「わかったようなことを言う」癖があるのではないかと思う。何かわかったようなことを言ってしまった直後に、そのことに気づいて、しばしば自己嫌悪に陥るので、わからない話題に関しては、正直に「わかならい」と言うようにしている。話題によっては彼女たちの方が先生なのである。

  今日、彼女たちに私が先生として話したのは、日記の効用である。ブログでなくて(ブログであってもいいんのだが)、普通の日記である。日記の効用とは日々を構成主義的に生きることの効用である。一日の出来事、考えたこと、感じたこと、それらの中から特定の出来事や考えや感情にスポットライトを当てて、編集室のデスクのように、「よし、今日のトップニュースはこれでいこう。これはコラムにしよう」と判断して、毎日、一定の紙面を構成する。文章だけで紙面を埋める必要はない。デジカメの写真、イラスト、映画のチケットの半券、新聞の切り抜き、誰かからのメール・・・そうしたあれこれの素材を使って、紙面を編集する。そうすることで流されるように生きている毎日に主体的にかかわっていく姿勢が生まれてくる。一種の作業療法だ。何も書くことがない・・・のであれば、何か書くことがあるような生活を心がければいい。特別なことをしなくても、ちょっと立ち止まって考えるだけで、書くことは生まれるものである。何かについて書くためにはその何かについて考えなくてはならない。考えることがめんどくさいという日もあるだろうが、それは結局、生きることがめんどくさいと言っているのと近似である。誰の中にもそういう気分はあると思うが、その気分にずっと浸っていては、自分が腐ってしまう。・・・また、わかったようなことを言ってしまった。  

  9時、「カフェゴトー」を出て、それぞれの家路に着く。明日は月曜日。サラリーマンにとっては一週間の中で一番憂鬱な曜日だろう。でも、お天気はよさそうだ。


3月24日(土) 雨のち晴れ

2012-03-25 08:35:28 | Weblog

  7時、起床。ベーコン&エッグとご飯の朝食。

  午後から大学へ。大学に出る前に、国際医療センターに寄って、同僚の大薮先生を見舞う。先日、あるパーティーの席上で気分が悪くなられて、救急車で運ばれて入院されたのだ。幸い大事には至らなかったが、あと一週間は入院が必要とのこと。14階の病室(個室)の窓からは戸山のキャンパスが見える。今日の現代人間論系の卒業パーティーと明日の卒業式に出席できないことを残念がっておられた。でも、体調はだいぶ回復されてきているようで、高田馬場の駅前のビルの地下に「とん久」というとんかつの店があって、そこのロースカツが安くて美味しいという話をされた。うん、食べものの話ができるのであれば、大丈夫。大薮ゼミのメンバーに何か伝言はありますかと聞くと、「健康第一」とのことだった。わかりました。私からしっかり伝えます。

  午後4時から大隈ガーデンハウスで現代人間論系の卒業パーティー。なかなかの盛会だった。


田島ゼミ


安藤ゼミ


草野ゼミ


長田ゼミ


御子柴ゼミ


木村ゼミ


大薮ゼミ


増山ゼミ


岡部ゼミ

 
司会進行役の遠藤さん(左)と土持さん(右)          卒業生を代表して挨拶をした中原君

  肝心の(?)わがゼミは、パーティーの裏方の仕事に従事している人が多くて、ちゃんと全員集合の写真が撮れてません。ごめん。そしてご苦労様。明日の卒業式でちゃんと撮ります。彼らからは、花束と寄せ書き帳とスイーツ(ひとりひとりが用意してくれた)をいただいた。ありがとう。スイーツは賞味期限が本日・明日というものがいくつかあって、大変だ(笑)。

 

  彼らにゼミ論集と私からの心ばかりのプレゼントを渡す。

  ゼミ論集の最後に載せた私からのメッセージをここにも載せておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ゼミ2期生のみなさんがこのゼミ論集を手にするのは、3月の中旬、あるいは卒業式の前日か当日かもしれませんね。卒業おめでとう。

  半期科目がほとんどを占める大学の授業の中で、3年次と4年次の2年間にわたって同じメンバーで授業をする(教室での通常の授業のほかに調査や合宿もする)ゼミという授業は、本当に特異で、それ故に、文化構想学部の特徴がそこに凝縮されているといっても過言ではないでしょう。

  毎週、金曜日の6・7限、みんなで本を読み、発表を聞き、ディスカッションをしてきました。6限と7限の間の休み時間は「スイーツタイム」と称して脳の疲れを癒すべく甘味を補給しました。7限の終了は21時25分ですが、そこで終わらず、22時までいくことも何度かありました。自宅の遠い学生は大変だったでしょう。もっとも「8限」と称してキャンパス周辺の飲食店でさらなるディスカッションが行われていたとも聞いていますが。

  ゼミには3年生と4年生がいるわけですが、それぞれ人数が多く一クラス制は無理だったので、2010年度は完全分離方式(私が6限に3年生のクラスに出て、7限に4年生のクラスに出る)、2011年度は6限は合同で7限は分離という混合方式で運営しました。試行錯誤が続いていますが、ゼミは横のつながりだけでなく、縦のつながりも大切なので、3・4年生の交流の機会の多い混合方式がよいかなと思いました。

  この2年間を振り返るとき、3.11の東日本大震災を忘れることはできません。みなさんのゼミ論にもこの経験は直接・間接に反映しています。さらなる個人化が進行する中で起こった今回の震災は、われわれの社会の不安定さ、社会と個人の関係の不安定さをはっきりと自覚させるものでしたが、同時に、それゆえに、安定した関係性、信頼できる関係性を希求する気持ちはかえって高まったと思います。これから自由と不安を感じながら大学の外に出て行くみなさんは、社交の精神を忘れないでください。同時に、孤独を味わう気持ちも大切にしてください。語るに値する人生を歩んでください。グッド・ラック! (大久保孝治)


3月23日(金) 小雨

2012-03-24 10:28:55 | Weblog

  7時半、起床。ベーコン&エッグとご飯の朝食。

  午前中、歯科医院へ行く。先週に続いて歯のクリーニング。虫歯の治療がなかったので、今季はこれにて終了。

  午後から大学へ。昼休みの時間、研究室で持参した弁当(崎陽軒の焼売弁当)を食べながら、先日のガイダンスを休んだゼミ新3年生がやってくるのを待つ。本日の予約はKさん、Tさん、もう一人のTさん、Sさん、M君の5名。テキストとゼミ論集を渡し、ゼミのスケジュールについて話し、各自の演習の履修状況などを聞く。ゼミは4月6日スタートである。あと2週間じゃないか。春休みは名のみの時の速さや。

  1時から本部でオンデマンドコンテンツ委員会。

  予定よりも早めに終ったので、次の会議までの間、本部入口にある「カフェ125」で過ごす。4月始まりの手帳を使っているので、2011年度版から2012年度版への情報の移転を行う。新しい手帳を使い始めるのは、4月1日からではなく、3月26日(月)からである。3月25日(日)に卒業式があり、それが年度の境目という感覚が私にはある。いまの手帳を使うのも明日と明後日の2日間を残すのみとなった。

  2時50分から教務担当教務主任会。

  引き続き5時からFD推進委員会。

  6時に研究室に卒業生のKさんが来ることになっているのだが、会議が終ったのは6時寸前で、ちょっとお待たせしてしまった。Kさんは2005年の卒業生(一文の社会学)で、会うのは卒業のとき以来だから7年ぶりである。彼女は3年生のときに私の演習(社会調査実習)を履修したのだが、そのときの報告書『そして彼らは30代の半ばになった バブル崩壊の前後に大学を卒業した若者たちのライフストーリー』は私が担当した調査実習の報告書の中では力作であった。1991-93年の時期に大学を卒業した若者たち約100名を、北は北海道から南は沖縄まで、学生が足を運んで、インタビュー調査を行ったのである。そのときの同じ演習の学生だったHさんが今度結婚することになり、二次会の幹事役であるKさんが、Hさんへのメッセージを私に依頼してきたのである。

  手元にあった報告書の目次をめくって、そこに名前の記された当時の学生たち25名の近況を尋ねると、驚いたことに、Kさんはほとんどの学生の近況を知っているのである。それだけ学生間のネットワークがしっかりしている(持続している)ということである。もともとやる気のある学生が集まったということもあるが、インタビュー調査に行くときは二人一組で行ってもらったので、旅の途中であれこれ話をして親しくなったということもあろう。とにかくなかなかいいクラスであった。

 

                    私 「誰かに似てるって言われない?」
                    Kさん 「はい、松下奈緒とか、ニコ・ロビンに似ていると言われます」
                    私 「な、なるほどね・・・・・・」

   場所を「五郎八」に移して、話を続ける。たくさん話をし、そしてたくさん食べた。薩摩揚、鴨のつくね、揚げだし豆腐、田楽、牡蠣フライ、鶏の唐揚げ、出し巻き卵・・・下の写真は注文した料理のすべてではない。写真の出来の関係で省いたが、ほかにもまだ1つ2つあるのだ。2人でですよ。学生時代のKさんについて私が覚えていることの1つは、「よく食べる人」ということだが、その記憶に間違いはなかった。本人が言うには、満腹という感覚がないらしいのである。満腹を感じて食べるのをやめるというのではなく、頭で、「このへんにしておいた方がいいな」と思ってやめるのだそうである。実家は新潟の造り酒屋で、お酒も強い。

  今日の数時間で話した量は、もしかしたら、学生時代のKさんと話した総量より大きいかもしれない、というくらいよく話をした。Kさんはけっして寡黙な学生ではなかったが、それほどおしゃべり、話好きというのでもなかった。だから、今日たくさん話ができたのは、7年ぶりなのにすぐに昔のように話ができたというのではなく、むしろ昔よりも話ができるようになっていたということである。これには私も驚いた。なぜだろうと考えるに、(1)7年ぶりの再会という時間的な「溜め」の効果が働いた(積もる話がある)、(2)教師―学生という関係から生じる緊張感が薄らいだ、(3)彼女もいわゆる「アラサー」の年齢になり人間として一皮向けた、(4)私自身も加齢効果で「おばさん化」した、などの理由があるのではなかろうか。「五郎八」における話の中心は、彼女自身が最近直面している人生の岐路についてであったが、ゼミ生たち(とくに女子学生)には聞かせてやりたい内容であった。もしゼミ生がインタビューの対象者になってくださいとお願いしたら引き受けてもらえますかと尋ねたら、「はい、いいですよ」と快諾してくれた。インタビュー調査の予定は7月と10月なのだが、たぶんその頃には、人生の岐路の物語に一つの決断がなされているのではないだろうか。   

       

  11時、帰宅。風呂を浴び、Kさんからお土産にいただいた吉祥寺「こざさ」の最中を1つ賞味する。彼女は吉祥寺の街が大好きで、「私の心の拠り所です」と言っていた。


3月22日(木) 曇り

2012-03-23 08:35:19 | Weblog

  7時、起床。ブログの更新をすませてから、焼肉、キャベツ、トースト、紅茶の朝食。

  今日は文化構想学部の専門演習の登録(いわゆる0次登録)の発表がある。私の演習「個人化の社会学」はあらかじめガイダンスで「0次登録の申請者は全員受け入れます(選外は出しません)」と説明しておいたので、発表をみて、「当った!」と思った学生はガイダンスに出ていな学生である。運がよかったわけではないからね。全員受けれたので人数は多い。講義並みの人数である。しかし、講義と演習の本質的な違いは人数ではない。学生の発表が主体であるかどうかである。大人数の演習でどうやって学生の発表の機会を担保するか。それはすでに考えてある。0次登録に申請した学生を全員受け入れたのは、(論系全体の)選外者を減らすという意図のほかに、演習における新しいやり方を試してみたいという意図があったのである。乞うご期待。

  午後から大学へ。昼食は「五郎八」のぶっかけそば(冷やし)。初めて注文してみたが、かき揚げ、茄子の天ぷら、揚げ餅、卵焼き、大根おろしがのっていて、それに冷たい汁をぶっかけて食べるという趣向。揚げ餅そば(揚げ餅と小海老の天ぷら)の類似メニューであるが、こちらの方が安価(900円)である。

   夕方まで教務室で仕事。

  同僚の岡部先生から『支援』2号(生活書院)をいただく。特集のテーマは、「当時者」はどこにいる?、である。巻等のグラビアページに親元を離れて「24時間支援付き自立生活」を始めた19歳の重度の知的障害者の日常が紹介されている。青年の名前は岡部亮祐。岡部先生の息子さんである。特集の中の岡部先生の論稿「〈支援者としての親〉再考―「当事者の自立を求める当時者」としての」を真っ先に読む。冒頭に岡部先生が十年前に書いた詩のような文章が載っている。

    わたしは奪わない 彼の
    プライドを/お金を/リスクを冒す自由を奪わない

    わたしは守る 彼の
    サポートを受ける権利を/自尊感情を/生きる力を

    わたしは、彼を変えるのではなく、
    彼に変わることを強いる社会を変えたい

    わたしは、障害のある息子の親という当事者であり、
    そして、障害がない当時者でもあることを自覚する

    わたしは、障害のある息子の最大の権利擁護者であり、
    そして、最強の権利侵害者ともなりうることことも
     
    わたしは、わたし あなたは、あなた
    (しかし、かけがえのない あなた)
    わたしは自分の息子をあたりまえに暮らさせたい 

  そして、昨年7月に、岡部先生は10年前の「公言」をついに実行に移されたのである。論稿では情緒的な表現に流れぬよう、専門的な言語の次元で論を展開するよう、細心の注意が払われているが、重度の知的障害のある子を持つ親の気持ちは行間から痛切に伝わってくる。

   「〈自立〉を個人が屹立し対峙するものとしてではなく、関係性とそのきわどく切なくもあるバランスとしてとらえる。そのとき、知的障害/自閉の人たちの自立とそのための支援に内在する非対称性を「内なるパターナリズム」として自覚しつつ〈割り切らない〉という支援の側の持続的な意志こそが、当事者の「生活をまわす/生活をひろげる」ことをかろやかに継続させるために欠かせない〈なにか〉となるように思う。
   そして/言うまでもなく、〈支援者としての親〉もまた同様に自らの「内なる家父長制」を問い続けなくてはならない。 知的障害/自閉の人たちに対する「ケアの社会化」においては、支援者だけでなく「当事者の自立を求める当事者」としての〈親〉のあり方もまた不断の再構築を迫られる。再び中根(成寿ー引用者注)の言葉を借りれば、「親であることをあきらめずに、親であり続けようとするならば、どのように親であるか、つまり『親性』を変化させていく他ない。」(46頁)

  特集を構成する他の論考も読み応えのあるものぞろいである。     

  6時半から夏目坂の「せきはら」で社会学コース(文学部・大学院)の教員懇親会。

  10時、帰宅。風呂を浴びてから、録画しておいた『最後から二番目の恋』の最終回を観る。ほろ苦く、ほろ甘い終わり方であった。破滅型ではない、大人としての分別をわきまえた主人公二人の行動は、TVドラマ向きで、だから楽しみつつ安心して観ていられるというところがある。自分が本当は大人でないことを自覚しつつも、大人らしい振る舞いとはどのようなものであるかを知っている。どう振舞えば、大人らしく見えるかということを知っている。社会学的にいえば、「大人」としての印象管理ができること、それが大人の条件なのである。

  今週はドラマの最終回の週。『孤独のグルメ』も『ハングリー!』も終った。『孤独のグルメ』は再開を期待したい。スタッフもその気なのではなかろうか。『ハングリー!』はとくに優れたドラマというわけではないが、料理がテーマ、レストランが舞台のドラマは個人的に好みなのである。毎週、楽しませてくれてありがとう。


3月21日(水) 晴れ

2012-03-22 09:03:39 | Weblog

  4時、起床。昨夜は10時前に寝たので6時間は寝たことになる。朝型の人というのはこんな感じなのだろうか。

  一仕事終えてから、バタートースト、蜂蜜、紅茶の朝食。

  晴天だが、風は少々冷たい。昨日が春分の日だったということは、今日から少しずつ昼の時間の方が長くなるということだ。

   野上先生から頂戴した『戦争社会学ブックガイド』(創元社)に目を通す。132冊の本が紹介されているが、1冊あたりのページ数は、第一部「戦争社会学への招待」で取り上げられた12冊については、1冊あたり5頁で、その他は1冊あたり3頁。映画館で映画の予告編をたくさん見ているような感じで、これも面白そう、あれも面白そう、と思えてくる。

  午後から大学へ。昼食は「五郎八」で牡蠣丼(ご飯軽め)+せいろ一枚。もうすぐ3月が終るから、牡蠣を食べておきたかった。牡蠣丼には牡蠣フライが4個使われている。サクッとしてグニュッとした感触とほのかな苦味、それが甘辛の卵でふんわりと包まれて至福の味わい。

  キャンパスの八重椿がそろそろ咲き始めた。まだ大部分は蕾の状態だが、少し開きかけたもの、開ききったもの、開花のプロセスをコマ送りで観るような面白さがある。

   キャンパスの春の花の主役である桜もスタンバイOKである。これから一気に開花していくのだろ。

  夕方まで教務室で仕事。新宿区では「夕焼け小焼け」のメロディーが午後4時半に流れる。冬の間はそれでよかったが、いまは、空はまだ明るい。いつから5時に移行するのだろうか。

  閉店間際の生協戸山店で以下の本を購入。

    外岡秀俊『3・11複合被災』(岩波新書)

    成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き換えられてきた過去』(中公新書)

    鈴木弘輝『生きる希望を忘れた若者たち』(講談社現代新書)

    河合塾編『ポスト3・11 変わる学問』(朝日新聞出版)

  あゆみ書房で以下の本を購入。

    『定本 見田宗介著作集Ⅲ 近代化日本の精神構造』(岩波書店)

    『定本 見田宗介著作集Ⅴ 現代化日本の精神構造』(岩波書店)

  「近代日本」ではなく「近代化日本」、「現代日本」ではなく「現代化日本」としたところが、著者自身による編集の見所である。帰りの電車の中で、『著作集Ⅲ』に収められた「立身出世主義の構造」を読む。以前読んだことがあるはずだが、ほとんど忘れている。蒲田に着いて、「シャノアール」でさらに読む。初出は1967年、いまから45年前に書かれたもので、才気煥発で明晰な文章は、丸山真男の影響が見て取れる。


春の新メニューの「桃とベリーの微炭酸ソーダ」を注文