フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月24日(土) 小雨

2016-09-25 01:54:38 | Weblog

8時半、起床。

今日は涼しいという感じでもなかったのでシャワーを浴びる。やっぱり朝のシャワーはいい。

トースト、サラダ(炒り卵)、牛乳、紅茶の朝食。

朝食にもデザート。昨日、チヒロさんからいただいた「わたなべ」の文士村饅頭。

昼食はインスタントラーメン+野菜炒め。

昼過ぎに家を出て、大学へ。

今日は大学院(修士課程)の入学試験の日。

入試関連の業務。

それを終えてから研究室で雑用。

夕方、帰宅の途中に神楽坂で途中下車して「SKIPA」に顔を出す。先日の句会のとき、財布を忘れてツケで飲食した分を忘れないうちに払わねばならない。

神楽坂の駅を降りたとき、改札口に卒業生のアスカさん(論系ゼミ3期生)が立っていた。私を待っていた・・・のではもちろなくて、彼氏と待ち合わせとのこと。これからお蕎麦屋さんに行くのだという。

満席だったら支払いだけして帰るつもりだったが、席が空いていたので、一服していくことにした。

ホットドッグとアイスチャイを注文。

小雨が降ってはいるが、土曜日の夕方の神楽坂は賑わっている。

改札口を入る時、さきほどのアスカさんとは別の卒業生が彼氏(たぶん)と一緒に改札口から出てきた。会釈だけ交わしてすれ違う。

蒲田に着いて、「鈴文」の前を通ると、いつもよりも長い行列が出来ている。閉店まで今日を入れてあと4日である。 

夕食はポトフ。

今日、「あゆみブックス」で購入した、中牟田洋子『モレスキンのある素敵な毎日』(大和書房)。

いま、私はほぼ日手帳(カズンとウィークリー)を使っているが、その前はモレスキン(当時は「モールスキン」と言っていた)の手帳を使っていた。あれはあれでなかなか味わいのある手帳だった。

これは2004年に使っていたポケットサイズのモレスキン(罫線、ハードカバー)。

この年の9月に私は尿管結石の手術で一週間ほど入院生活を送ったのだが、そのときのメモから。

 「手術前日の夕食。かやくご飯、しじみの味噌汁。手術翌日の昼食。親子煮、おかゆ、ほうれん草のおひたし。どちらも美味しかった。」

 「手術台の上に寝て、見上げる看護婦が美人だと嬉しい。手を握ってくれたりするともっと嬉しい(脈をとっているだけなのだけれど)。」

 「尿の色が前よりちょっと濃いとか薄いとかで気分が暗くなったり明るくなったりする。」

 「病室のベッドで聴く雨音はわびしい。病室の窓から見る夕日は美しい。病室のベッドで聴く救急車のサイレンに孤独を慰められる。」

 「風呂に入ると気分が明るくなる。風呂がこんなにいいものだとはふだんはわからない。温泉に入ったときのようにリフレッシュする。」

 「同じ病室の人たち(自分のほかに4人)の中で気楽に会話ができるのは、Aさんだけだ。そのAさんが昨日一昨日と外泊だったので、居心地が悪かった。今日戻って来られてさっきデイルームでおしゃべりができてホッとした。同室の患者との人間関係は大切だ。」

 「朝食のときAさんと話をしていて、彼がパン職人であることを知った。1960年に高校を出て、銀座木村屋に入社。以後、木村屋一筋で、現在は藤沢工場に勤務している。いろいろなパン作りについての話を聞くことができた。ベルト―の『パン職人のライフヒストリー』みたいだ。」

 「同室の偏屈なジジイと思っていた患者が親身になってくれる看護婦に「ありがとう」と言っているのを聞くと、単純に人を見てはいけないと自戒する。」

 「田村泰次郎『肉体の門』(1947)を読んだ。初版本で読んだ。すり減った紙面から当時のグツグツとしたエネルギーが立ち上がってくる気がした。」

 「戦後の「第三の新人たち」の作品も読んでみよう。村上春樹が彼らに着目したのは「政治から経済へ」という戦後日本の社会の転換期に登場した作家たちだからだろう。」

 「トイレの個室に忘れた財布が、しばらくして行ったらそのままだった。」

 「医者はより重病の患者のことをよりケアする。しかし一人一人の患者は自分の病気という唯一無二のものと向きあって不安を感じているのだ。重い病か軽い病かは関係ない。」

 「医者がこちらの質問に丁寧に答えてくれて、看護婦が親身になってくれて、同室の患者と打ち解けて話が出来て、毎度の食事がうまいということが入院生活ではとても大切。」

 「退院が決まったら下痢が治った。」

日記帳ともスケジュール帳とも違うこういうメモ帳(思いついたことを書き記しておく手帳)を現在の私は使っていない。復活させようかしら。

2時、就寝。


9月23日(金) 曇り時々雨

2016-09-24 01:17:17 | Weblog

9時、起床。

小倉トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

11時半頃、卒業生のチヒロさん(一文、2000年卒)と蒲田駅西口線路沿いの駐輪場で待ち合わせ、「まやんち」へ行く。どうして駐輪場で待ち合わせたのかというと、彼女が自宅から自転車に乗って来るからである。彼女の家は蒲田と大森の中間あたりにある。

チヒロさんと「まやんち」は初めて。

キッシュと野菜サンドを予約しておいた。キッシュはすぐになくなってしまことがあるからだが、彼女がキッシュを好きかどうかは知らなかった。彼女がキッシュを選べば私は野菜サンドを食べ、彼女が野菜サンドを選べば私はキッシュを食べるつもりだった。私には苦手な食べ物というのがないので、こういうときは都合がいい。

チヒロさんにどちらがいいかを尋ねたところ、決めあぐねて考え込んだ末、「シェアして食べましょう」と言って、ナイフとフォークでキッシュを切りはじめた。そしてお店の人に「すみません。フォークをもう一本いただけますか」と言った。

なるほどね。

紅茶は私はアッサム、彼女はカナさんの勧めに従ってキャンディを注文した。キャンディはスリランカのキャンディ地方で採れる紅茶の総称である。

「まやんち」は初めてのチヒロさんだったが、カナさんのお顔は私のブログで知っていた。私からお二人をそれぞれ紹介する。「お二人はほぼ同い年ですよ」というと、びっくりしたように「えっ!いくつも年下の方だと思いました」と二人とも同じことを言った。それはなによりです(笑)。

写真では明るい笑顔のチヒロさんだが、6月、7月あたりはとても体調が悪かったそうだ。普段は高い方の血圧が90くらいしかないのだが、それが倍の180になり、幼稚園の役員の会合の最中に頭がクラクラしたり動悸が激しくなったりしたそうだ。役員の仕事(バザーの準備とか)が大変だったことに加えて、ちょうのそのころお母様のお身体の具合が悪くなり、心労も重なったのだろう。現役のキャビンアテンダントの頃は、心身ともに自信があっただけに、ショックだった。幸いお母様も持ち直し、幼稚園も夏休みに入り、体調は徐々に回復した。でも、これから役員の仕事(謝恩会の準備とか)が徐々に忙しくなるので、それがちょっと心配だそうだ。

朝は3人のお子さんを幼稚園に送り届けるために、朝食は立ったまま食べるのは普通だそうだ。「幼稚園から帰ってからゆっくり食べたらいいんじゃないですか」と私が言うと、「子どもを幼稚園に送り届けたら、午前中はそのまま役員会になることが多いんです」とのことだった。そうでしたか・・・。

チヒロさんが役員の仕事を自分から進んで引き受けたのは、子どもからだんだん手が離れて来て、けれど職場復帰というまでにはいかない状況で、生活の中に空白が生じるのが不安だったからである。その空白を埋めるのが、趣味とか遊びとかではなく、役員の仕事というところが彼女の真面目なところである(笑)。でも、朝食は座って食べたいですね。自分に余裕のない状態で、人のため組織のために何かをすることには無理がありますから。

まずは一日の始まり(朝食)を心持ちゆっくりと始めることです。

デザートはモンブラン。実は今日のお目当てはこれである。チヒロさんは「私のキング・オブ・ケーキはモンブランです」と言うほどのモンブラン好きなのである。「まやんち」にもモンブランのファンは多く、彼女たちはモンブラン星人と呼ばれている。モンブラン星はピーチメルバ星雲のそばにある。

上に置かれた和栗の渋皮煮、外側のペースト状のクリームはフランス産の栗、そして写真では見えないが、内部の中核にある栗はイタリア産が使われている。日本+フランス+イタリア、かつてない三国同盟である。

たぶんモンブランは10月も食べられる。

「まやんち」を出たのは1時過ぎ。雨が少し降っている。

花柄の傘とブラウスの組み合わせがおしゃれである。

駐輪場の無料駐輪時間は2時間。ちょうどいい。 

チヒロさんはこの足でお子さんのお迎えに幼稚園に向かった。

大井町の「pottery」へまた行きましょうか。彼女は「pottery」に一緒に行った最初の卒業生なのだが、そのときマダムに「お仕事はされているの?」と聞かれて、「キャビンアテンダントをしていましたが、二人目と三人目の子供が生まれて(双子だったのだ)辞めました」と答えた。それ以来、私が連れて行く卒業生はみんなキャビンアテンダントだとマダムは思っているのである(笑)。

夕方、ジムへ行く。

筋トレ3セットと、有酸素運動(クロストレーナー)40分。

夕食は鶏肉と野菜の炒め。

3時、就寝。


9月22日(木) 雨のち曇り

2016-09-23 13:45:22 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日はお彼岸の中日。鶯谷の菩提寺に墓参りに妻と出かける。

袴線橋を渡るときに見えるこの一角、時代の長れに取り残されたようなこの風景をいつまで見ることができるだろうか。

この階段を下りて左に曲がればさきほど見た一角に行く。でも、まだ一度も行ったことがない。

言問通りの仲入谷の交差点。今日は交通整理のお巡りさんが立っている。

お寺に到着。

妹と待ち合わせ。いつも一緒に来る旦那さんは足首の骨折がまだ完治していない。

秋の彼岸の墓参りが雨になることはめったにない。

雨に濡れた墓石にもやはり水はかけるものなのだろうか(かけたけど)。

墓参りをすませ、昼食は近所の蕎麦屋「川しま」で。

妻と妹はここは初めて。

3人とも私のお勧めの鴨つくねせいろを注文。

Kさん(妹の旦那さん)がいたらこの量では足りないだろう。

炙った鴨つくね団子がたくさん入っていて、香ばしい。

妹はまっすぐ帰宅。妻は川崎に用事がある。

私は山手線で恵比寿まで行く。2年前の秋から耐震工事のため休館中だった東京都写真美術館が今月からリニューアル・オープンしたので、見に来たのだ。 

恵比寿駅から美術館緒のある恵比寿ガーデンプレイスには動く歩道で行く。

ワンちゃん中央の舗道を行く。

久しぶりの恵比寿ガーデンプレイス。

美術館の入口の横には長い行列が・・・。でもこれは別の催しのものだった。

年間パスポートを購入。今年分は半年なので、半額の1620円。私にとって写真美術館はもっとも頻繁に来る美術館なので、購入は必須である。

さまざまな特典が付いてくる。

リニューアル・オープンの記念の展示会は杉本博「ヒューマン・ロスト」。人類の終焉をテーマとした、「今日世界は死んだ、もしかすると昨日かもしれない」、「廃墟劇場」、「仏の海」の三部作。

「今日世界は死んだ、もしかしたら昨日かもしれない」はさまざなま終末のシナリオがオブジェとともに展示されている。シナリオは日本語で書かれているが、英語版も入口で配布される。係の人は私をひと目見て日本人だとわかったのだろう、日本語版が手渡された。学生時代、ギリシャの島に行ったときは、「あなたはドイツ人ですか?」と彼の地の女子高生に聞かれたものだが・・・・。「いいえ」と私が答えると、「それではベトナム人ですか?」と彼女は再び聞いてきた。「惜しい。正解は日本人です」と私が答えると、「私は生まれて初めて日本人と出会いました」と彼女は言った。40年前の話だが、まるで昨日のことのようである。

正面玄関横のショップで図録を購入。

館内のカフェ「MAISON ICHI」で一服。

昼食が軽かったので、ランチメニューのクロック・マダムを注文。

クロック・ムッシュはフランス風のチーズトーストだが、それに目玉焼きをのせたのがクロック・マダムである。なぜクロックというのかというと、パリパリに焼いたトーストが食べるときにカリカリいうからだそうだ。

ランチメニューには一律にパンが付いてくるのだが、クロックマダムにパンは不要ではなかろうか。屋上屋を架すべからず。代りにミニデザートなんか付けてくれると嬉しいい。(パン自体は数種類のパンで美味しかったが)

外に出るとさきほどの行列は消えていた。

恵比寿タワービルの最上階(39階)に上がってみる。

ここは飲食店のフロアーだが、無料の展望台でもある。

渋谷、新宿方面。

多摩川の方向。

右下の長い長い屋根の倉庫のような建物は何だろう。

気になるので行ってみることにした。

アメリカ橋(恵比寿南橋)を渡る。

煙突のある方へ歩く。

ここだ。「艦艇装備研究所」とある。防衛省の施設のようである。

これがあの建物だ。

艦艇でも一隻、甲板部分がすっぽり入っているのだろうか。

気が済んだので、駅に戻ることにしよう。

さきほどはあの最上階から街を見ていたのだ。

帰宅するとなつがいつもの場所に鎮座していた。 

夕食は青椒肉絲。

デザートは葡萄。山盛りである。もうちょっと少なくてもいいのだが・・・。

深夜、玄関先の月下美人が二輪咲いていた。

深夜に咲いて、朝にはしぼむ。

一夜限りの大輪の花である。

明日、もう一輪咲きそうだ。

なつが深夜の散歩に出かけて行った。

3時、就寝。


9月21日(水) 曇り

2016-09-22 02:14:08 | Weblog

8時、起床。

今朝は気温が低かった。いつもであれば、起きてすぐシャワーを浴びるのであるが、今朝はやめておいた。シャワー好きの人は一年中朝のシャワーを浴びるのだろうが、私は夏の間だけの習慣だ。朝のシャワーで一日を始めると、気分がいい、朝食も美味しいし、午前中の仕事もはかどる気がする。シャワーを浴びなかった今朝は、ああ、夏も本当に終わってしまったのだと、落胆した気分だった。

夏が終わったといえば、いつもであれば9月前半のよく晴れた日に、夏を見送りに鎌倉の海岸にでかけるのだが、今年はそのチャンスが今日に至るまでない。もう秋学期が始まってしまうではないか。

小倉トースト、サラダ、紅茶の朝食。牛乳を切らしたことも夏の朝の食卓の終りを告げているかのようである。

昼食は「喜多方ラーメン坂内」で食べる。

注文するのは、たいていこれ、葱ラーメンだ。

蒲田にはラーメン店は多いが、スープが濃厚なラーメンが多く、私好みではない。そういうものもたまにはいいかもしれないが、基本的にスープは透明のものが好きだ。

食後のコーヒーは「グッディ」で。

「グッディ」は2階にあるが、今日は2階が満席だったので(といっても3テーブルしかないのだが)、3階に上がる。「すみません」と店の人は言うが、私は心の中で「ラッキー」と思う。3階の方が落ち着くからだ。

3階の客は私だけだった。しばらく書きものをする。

夕方、ジムへ行く。

筋トレ3セットと、有酸素運動45分。

夕食はシシャモ、茄子とベーコンの田舎煮、サラダ、アサリの佃煮、揚げと玉ねぎの味噌汁、ご飯。

デザートは梨。

3時、就寝。

 


9月20日(火) 雨

2016-09-21 12:42:26 | Weblog

8時半、起床。

小倉トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。あんこは「御座候」のつぶあん。

昼食は外に食べに出る。

野良猫のなつが自転車置き場の椅子の上で寝ている。以前、母が花の世話をする合間に腰を下ろすために置いた椅子である。いまはなつの居場所(の1つ)である。

「鈴文」の前を通ると、雨の中傘を差して順番を待っている人がいる。あと一週間で閉店である。

どこで食べようと明確には決めていなかった。とりあえずアーケードの中に入る。

「テラス・ドルチェ」にする。

注文をすませて、置いてある新聞を手に取る。毎日新聞だ。将棋欄(A級順位戦)を見ると、渡辺明竜王と佐藤康光九段の一戦だ。「方向違いの△3五歩」とは後手の佐藤が疑問手を指したことを言っている。私のようなアマチュアにも主戦場から離れた場所での一手であることはわかるが、手数はかかるが確実な手であることもわかる。佐藤はそれで間に合うと読んでいたか、あるいは「ゆっくりしているとこの手が間に合いますよ。さあ、攻めて来て下さい(しっかり受け止めますから)」というメッセージを相手に伝てたのだろう。どうやら、この後、佐藤は渡辺の攻めを受けきれなかったようである。では、△3五歩に替えてどう指すべきだったか。渡辺の感想と佐藤の感想が紹介されているが、渡辺の指摘した手が鋭かった。記事には書かれていないが、そう指した場合の展開を頭の中で考える。よい頭の体操になる。

焼肉ランチ。

食後にサイホンで淹れたコーヒーが付いてくる。

「くまざわ書店」に寄って本と雑誌を購入。

永六輔『男のおばさん―楽しく年をとる方法』(だいわ文庫)。2013年に出た単行本の文庫版

副題に「楽しく年をとる方法」とあるが、健康を前提とした方法ではない。彼は晩年、パーキンソン病にかかっていた。パーキンソン病は彼の言い方でいうと、「耳が遠くなるとか、目が危うくなるとか、食べる量が減ってくるとか、いろんな老化現象。普通の人はそういう老化現象が、少しつず来るんです。少しずつ知らない間に来ている。いつの間にか。ところがパーキンソン病というのは、そういうのが、どっと、いっぺんに来るんです。老化現象が、突然、どっと、いっぺんに来るの。いっぺんに来るから、何が何だかよくわからなくなってしまう」(51頁)。う~ん、かなりしんどそうだ。

ある程度の健康とある程度の経済的余裕があれば、楽しく年をとることはとくに難しいことではない。自分が楽しいと感じることをすればいいだけのことだからだ。問題は楽しいことが健康上の理由あるいは(および)経済的な理由でできない場合だ。老年期のライフスタイルを論じた本の多くは、ある程度健康で経済的余裕もあるが何をしたらいかわからない人を対象に書かれたものであるが、永六輔のこの本は健康上の理由で思うようにならない生活を強いられている人のために書かれたものである。

朝井リョウ『何様』(新潮社)。直木賞を受賞した『何者』の「アナザーストーリー6篇」と帯にある。なんだ、「アナザーストーリー」って?

NHKの俳句と短歌のテキスト(10月号)。

雨の中、夕方、再び外出。

京浜東北線が人身事故で止まっている。駅前のタクシー乗り場に行列ができている。

蒲田ー(多摩川線)→多摩川―(目黒線)→大岡山。東工大に行く。

東京工業大学社会人アカデミー主催の5回シリーズの講演会「深海と宇宙」の第2回「オーロラの宇宙」を聴くためである。講師は国立極地研究所準教授の片岡龍嶺さん。

実に刺激的で面白いお話だった。ふんだんに使われたオーロラの映像も素晴らしかった。途中に短い休憩を挟んで2時間の講演はあっという間だった。雨の中、オーロラの話を聞きに来てよかった。

次回(10月11日)も絶対来ようと思った。

雨は小降りになっていた。

蒲田に戻り、まだやっている駅ビル東館の「くまざわ書店」へ行って、片岡さんの著書を購入。

片岡龍峰『オーロラ!』(岩波科学ライブラリー)。

ついでに日本文学全集12『松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶・とくとく歌仙』(河出書房新社)も購入。

芭蕉・蕪村・一茶といえば江戸時代の三大俳人だが、芭蕉と蕪村が古典主義的(教養がないと句を作れないし味わえない)であったのに対して、一茶は大衆的であった。ゆえに近代俳句は子規に始まるのでなく一茶に始まる、子規の仕事は俳句の近代化の中間点あって、「写生」という西洋絵画の方法を俳句に導入したことである、というのが長谷川櫂の主張である。

「しかしこれまで一茶の俳句は子ども向けの俳句、ひねくれものの俳句として侮られてきた。もし一茶の俳句を正当に評価し直せば俳句の歴史は一変するさろう」(519頁)。

「子規の後継者とされる高浜虚子(1874-1959)は俳句大衆を束ねる方法の完成者とみなければならない。虚子は、「客観写生」「花鳥諷詠」などの四文字熟語を編み出したが、これは膨大に膨れ上がった俳句大衆を束ねるための標語にほかならない。富国強兵から鬼畜米英まで明治以降、政府が次々に作った標語と同様のものだった。いうまでもなく虚子の標語で俳句のすべてが片づくのではない。しかし俳句大衆にこれが俳句のすべてと錯覚させたのが虚子だった。」(520頁)

「近代化」というのは複合的な概念だが、その中に含まれるさまざななトレンド(〇〇化)の中で「西洋化」というものに注目するのが通説(子規=近代俳句の創始者)だが、「大衆化」というものに注目するのが長谷川説(一茶=近代俳句の創始者)である。

ちなみに戦後(1945-)、大衆化が極度に進んだ結果、大衆社会は別のものに変質しつつあり、俳句はすでに別の時代を迎えているそうだ。「別の時代」とは「ポストモダン」ということだろうが、俳句においてそれが具体的にどういうことを意味するのかは本書の範囲外であるが、長谷川個人は古典主義の見直しを図っているようである。

「そば新」で遅めの夕食をとる。

天玉うどん。

深海と宇宙と天玉。語呂がいい。ここに深遠な真理があるようにさえ感じる(笑)。

 10時過ぎに帰宅。おはぎを食べる。

3時、就寝。