(つづき)
道の中央に桜並木がある。立会川緑道と呼ばれている。「らせつばし」というプレートがある。「羅刹橋」であろう。以前、ここには川が流れ、橋が架かっていたのだ。 いま、川は暗渠となり、地上部分は桜並木となっているのだ。
日当たりのよいところの桜は見頃を迎えている。
碑文谷八幡宮のところまで長く続く桜並木である。週末であれば、たくさんの人でにぎわうのであろうが、今日は行きかう人はちらほらである。ちょっと贅沢な気分を味わう。
碑文谷八幡宮が見えてきた。
碑文谷八幡宮。一の鳥居。
境内にも桜が咲いている。
三の鳥居。(二の鳥居の写真は撮り忘れた。途中にあったのかな?)
手水舎。
ミサさんはこのとおりやっていた。
本殿。
真剣にお願いしている。
さて、ここから、学芸大か都立大、どちらの駅が近いでしょうか。スマホで調べるミサさん。(注:どちらの駅もすでに大学はなくなりました)
都立大学駅の方が近いですね。
住宅街を歩く。
途中で絵本屋さんに彼女が気づく。
おお、ここは以前「Clave」というギャラリー・ショップがあった場所である。清水直子さんの作品の展示があって、私は二度ほど来たことがある。そこが西小山に移転して「Parque」になったのである。今日、「Parqe」のお店のの方に前のお店はいま絵本屋さんになっていますとうかがったのである。これも何かの縁です、覗いていくことにしましょう。
絵本がいっぱい。
原画の展示もある。
スタッフの方に、今日「Parque」に行ったこと、歩いてここまで来たことを話すと、「えっ!西小山からここまで歩いて来られたのですか!」とびっくりされていた。桜を見ながら、おしゃべりしながら歩いて来たので、ものすごく遠くは感じなかったが、冷静に振り返ってみると、かなりの距離だったかもしれない。
はらだ たけひで『大きな木の家ーわたしのニコ・ピロスマニ』(冨山房インターナショナル)という絵本を購入。
「みつけちゃいましたか」とスタッフさんが言った。彼女もお気に入りの絵本だったようである。
ピロスマニという実在の画家へのオマージュである。
「むかし コーカサス山脈のふもと グルシアの国に ニコ・ピロスマナシュヴィリという ふだんはニコとかピロスマニと呼ばれていた 放浪の画家がいました。貧しい彼は 酒やパンとひきかえに 店の看板や 壁にかざる絵をかきました。そのおおくは グルジアの人びとの暮らしや伝説 そして動物たちをえがいたもんです。ピロスマニは 孤独のうちに生涯をおえましたが 彼の夢は 大きな木の家をたてて 友とお茶をのみ 語りあうことでした」(帯より)
作家のはらだたけひこは、1954年生まれ、私と同い年の方である。絵も素敵だが、文章も素敵だ。全編が詩のような韻律をもって「きみ」(ニコ・ピロスマニ)への語りかけとなっている。
今日の散歩はたくさんの収穫があった。
これから渋谷に買い物に出かける彼女とは都立大学の駅で別れた。次回のカフェも西小山にしましょうか? 一日では探訪しきれませんでしたからね。
東急蒲田駅に着いたのはちょうど日没の頃だった。
卒業生のカナミさん(論系ゼミ7期生)から、明日で会社を辞めて福岡に戻ります、とラインにメッセージが届いた。
東急ビルの屋上に上ってみる。
「この街を離れんとして春の風」の一句と幸せの観覧車と春夕焼けの写真をカナミさんへの餞別とする。
夕食はラムチョップ、サラダ、味噌汁、ごはん。
付け合せは、アスパラと椎茸のソテー。
2時、就寝。