8時半、起床。
サラダ、牛乳、紅茶の朝食。昨日、禁断の夜食を食べてしまったので、トーストは抜く。
午後、昼食を取りがてら散歩に出る。今日は暖かい。一階のデッキでナツが気持ちよさそうに寝ている。
大井町の駅ビル(アトレ)に入っている「Loft」で「ほぼ日手帳」(カズン、4月始まり、月曜始まり)を購入。
2010年版から使い始めて、ちょうど10冊目のカズンである。よほど相性がいいのだろ。
買物をすませて、さて、食事だ。
とんかつの「丸八」へ。ここは一家でやっているが、時間帯で調理場の担当が変わる。私は2時からの担当の若旦那を贔屓にしている。
野菜サラダ。素材そのもの瑞々しさ、切り方、盛り付け方、いずれも素晴らしい。 マヨネーズは自家製。
カツサンド。 若旦那曰く「最近、カツサンドをお土産ではなく、カウンターで召し上げる方が増えましたね」。カツサンドは時間が経ってソースが衣とパンに馴染んだ頃に食べるのおもちろん美味しい。でも、揚げたての天ぷらをカウンターで食べるように、作りたてのカツサンド(揚げたてのロースカツ+焼きたてのトースト)をカウンターで食べるのは至福である。みんな、そのことに気が付いたようである。
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この端正な切り口はどうだろう。見惚れてしまいますね。
若旦那とソースの話をしていたとき、「いまだからお話できますが」と彼が話してたエピソードが興味深かった。7年ほど前、ずっとソースを仕入れていた業者が急に店を閉めることになった。とんかつ屋にとってソースはなくてはならないものである。長らく親しんできたソースの味が変わるのは困る。いろいろなソースを試して、ブレンドして、できるだけいままでのソースに近いものを作った。でも、まったく同じ味ではない。急にソースを変えたら馴染みの客は違和感を覚えるだろう。そこで貯蔵してある既存のソースと新しいソースを最初は9対1でブレンドして、しばらくして8対2、さらにしばらくして7対3、と少しずつ比率を変えて、2年間かけて新しいソースに移行していったそうだ。その間、誰からも「ソースが変わったね」とは指摘されなかったそうである。現在、「丸八」ではロースカツ用(辛口)とヒレカツ用(甘口)の2種類のソースを使っている。
話の途中で、若旦那はキャベツのお替りを皿に盛ってくれた。
すずらん通りに一軒の古本屋がある。「松林堂書店」という。
今日、初めて入ってみた。ご主人は年配の方である。「このお店はいつからやられているのですか」と尋ねると「昭和21年からです」とのこと。「そうすると、ご主人は二代目ですか」。「ええ、最初は父が渋谷で開業して、空襲で焼け出されて、戦後、この場所で再開したんです」。「終戦直後はここも焼け野原だったんでしょうね」。「いえ、この辺りは奇跡的に空襲を免れたんです。道路の向こう側は工場なんかがあって、やられらたんですが、うちの前の道路は延焼対策で道幅を拡張していたので、火を免れることことができたんです」。
古本屋に入った時は挨拶代わりに何か買うというのが私の作法である。戦前、戦中、戦後と刊行されつづけていた月刊の写真雑誌『CAMERA』(戦中は『カメラ』と表記)がまとめて出ていたので、異なる時期のものを10冊購入した(まとめて3000円)。時期によってく厚さ(ページ数)が変化していた(紙不足だったのだろう)。
食後のコーヒーを「pottery」に飲みに行く。
店の前の熱川桜はまだほころんでいないが、梅が咲いている。
混んでいたのでカウンターに座る。ここは常連さんの座る場所だが、私も準常連くらいにはなってきているだろう。
ブレンドコーヒーを注文。マダムが選んでくれたカップはウェッジウッドのユーランダ―パウダー柄のターコイスブルーだ。
マダムとは飼い猫の話をした。彼女がいま飼っているミミの写真をみせてもらう。16歳になるという。うちのハルやナツと同じくらいだ。以前飼っていた猫もそのくらいまで生きたそうで、死んだときはもう二度と動物は飼わないと思ったが、数か月ともたなかったそうだ。ペットショップで目が合って、抱き上げたら、もう連れて帰らないわけにはいかなかったそうだ。その気持ち、わかります。
帰宅すると、ナツが玄関先の椅子の上に座っていた。
夕食は椎茸の肉詰め、春巻、サラダ、茄子の味噌汁、ご飯。
最初見たとき、ハンバーグかと思った。大きな椎茸である。
ピーマンの肉詰めほどは肉は詰め込まれていない。肉詰めというよりも、肉で表面をコーティングしている感じ。バター醤油で食べる。
デザートはイチコ。
帰りがけに有隣堂で購入した雑誌。
『NHK俳句』3月号。
表紙を飾る俳句は能村冬獅郎の「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」。大好きな俳句だ。
『MONKY』2019春号(特集「哲学へ」)。
2時、就寝。