ウォシュボード・サム Washboard Samは、本名ロバート・ブラウンRobert Brown。生まれは、1910年7月15日アーカンソー州ウォールナットリッジWalnutRidge近くのローレンス村Lawrence Countyの農場だったという。亡くなったのは、1966年11月6日シカゴだった。

上のCDは、ウォシュボード・サムが1941年から1947年にかけてブルーバードレーベル(RCA)に残した録音から22曲を再編集して、BMGが61042‐2として発売したもの。バッキングでは、全曲でビッグ・ビル・ブルーンジーがギターを弾いており、ピアノはメンフィス・スリムやルーズベルト・サイクス、ベースではランサム・ノウリングやウィリー・ディクソンらがつとめている。
この人は、芸名があらわすとおりで、Washboard(洗濯板)を打楽器として使う人である。元々は、打楽器を買うことのできない黒人が、必要に迫られて考え出したものだろう。ジャケットの写真では、普通の洗濯板に、缶の蓋の様なものを付けてシンバル代わりにしていたことがうかがえる。広い意味で、優れたパーカッショニストであり、ヴォーカルリストだった。
ビリー・アルトマンBilly Altmanという人が書いたこのCDの解説によると、ウォシュボード・サム の父親はフランク・ブル-ンジーFrank Broonzyという農民で、かつては奴隷生活もしていたことがあるという。本名のブラウン姓は祖父の名前であったらしく、ビッグ・ビル・ブルーンジーとはハーフブラザー(腹違いの兄弟ということか?)だったとも書かれている。これに関しては他の資料で確認できないので、真偽のほどは分からず、参考までに書いておくことにしたい。
ウォシュボードはこの上なく素朴な楽器だが、シガゴのリズムを特徴づける「ブルーバード・ビート」という2ビートの要素を持ったウォッシュボード・サムの演奏はオンリーワンと言っても過言ではなく、初期のシカゴブルースを語る上では極めて重要なプレーヤーだった。戦前のレコーディングでも引く手あまただったようで、様々なミュージシャンと録音している。ブルーンジーやハーモニカのジャズ・ジラムの他には、ピアノのメンフィス・スリム(Memphis Slim)、同じくピアノのルーズベルト・サイクス(Roosevert Sykes)、このCDには入っていないがカントリーブルースのブッカ・ホワイト(Bukka White)など。さらに、サニーボーイ・ウィリアムソン#1録音などにも参加している。今では、あまり顧みられることのないウォシュボード・サムだが、わたしは高く評価している
1948年にはサニー・ボーイ・ウィリアムソン#1が帰宅途中に刺殺され、1966年にはジャズ・ジラムが撃たれて殺され、同じ年にウォシュボードサムも心臓発作で死ぬ。戦後になってからは、ジラムやウォシュボードサムのような素朴な音楽はすでに必要とされず、彼らの出番はすでに無かったようだ。しかし、その後皮肉なことに60年代の中頃フォークリバイバルブームが起き、カントリーブルースマン達が「再発見」されてゆく。聴衆は勝手なものだ。
2022/2改訂

上のCDは、ウォシュボード・サムが1941年から1947年にかけてブルーバードレーベル(RCA)に残した録音から22曲を再編集して、BMGが61042‐2として発売したもの。バッキングでは、全曲でビッグ・ビル・ブルーンジーがギターを弾いており、ピアノはメンフィス・スリムやルーズベルト・サイクス、ベースではランサム・ノウリングやウィリー・ディクソンらがつとめている。
この人は、芸名があらわすとおりで、Washboard(洗濯板)を打楽器として使う人である。元々は、打楽器を買うことのできない黒人が、必要に迫られて考え出したものだろう。ジャケットの写真では、普通の洗濯板に、缶の蓋の様なものを付けてシンバル代わりにしていたことがうかがえる。広い意味で、優れたパーカッショニストであり、ヴォーカルリストだった。
ビリー・アルトマンBilly Altmanという人が書いたこのCDの解説によると、ウォシュボード・サム の父親はフランク・ブル-ンジーFrank Broonzyという農民で、かつては奴隷生活もしていたことがあるという。本名のブラウン姓は祖父の名前であったらしく、ビッグ・ビル・ブルーンジーとはハーフブラザー(腹違いの兄弟ということか?)だったとも書かれている。これに関しては他の資料で確認できないので、真偽のほどは分からず、参考までに書いておくことにしたい。
ウォシュボードはこの上なく素朴な楽器だが、シガゴのリズムを特徴づける「ブルーバード・ビート」という2ビートの要素を持ったウォッシュボード・サムの演奏はオンリーワンと言っても過言ではなく、初期のシカゴブルースを語る上では極めて重要なプレーヤーだった。戦前のレコーディングでも引く手あまただったようで、様々なミュージシャンと録音している。ブルーンジーやハーモニカのジャズ・ジラムの他には、ピアノのメンフィス・スリム(Memphis Slim)、同じくピアノのルーズベルト・サイクス(Roosevert Sykes)、このCDには入っていないがカントリーブルースのブッカ・ホワイト(Bukka White)など。さらに、サニーボーイ・ウィリアムソン#1録音などにも参加している。今では、あまり顧みられることのないウォシュボード・サムだが、わたしは高く評価している
1948年にはサニー・ボーイ・ウィリアムソン#1が帰宅途中に刺殺され、1966年にはジャズ・ジラムが撃たれて殺され、同じ年にウォシュボードサムも心臓発作で死ぬ。戦後になってからは、ジラムやウォシュボードサムのような素朴な音楽はすでに必要とされず、彼らの出番はすでに無かったようだ。しかし、その後皮肉なことに60年代の中頃フォークリバイバルブームが起き、カントリーブルースマン達が「再発見」されてゆく。聴衆は勝手なものだ。
2022/2改訂