文化逍遥。

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わたしのレコード棚―ブルース4、Gary Davis

2011年04月27日 | わたしのレコード棚
 ゲーリー・デイヴィスは、1896年4月30日サウス・キャロライナ州ローレンスに生まれ1972年5月5日にニュージャージー州ハミントンで亡くなっている。
 盲目だったためブラインド・ゲーリー・デイヴィスとも呼ばれることもあり、またレヴァレンド(Reverend=聖職者)・ゲーリー・デイヴィスとも呼ばれることもあるブラックゴスペルのミュージシャン(ヴォーカル、ギター、ハーモニカなど)である。そのReverendという言葉についてだが、長いこと疑問に思っていた。ゴスペルのシンガーとかミュージシャンは数多くいるが、Reverendと呼ばれる人は少ない。どういう人がReverendと呼ばれるのだろうか。P-vineがPICD-59として配給したCDには帯書きがあり、「自らレヴァレンドと名乗り、・・・」と書かれている。しかし、わたしがいつも参考にしている資料『Big Book of Blues(Robert Santelli1994 UK)』は、デイヴィスは1930年代の初め頃にバプテスト教会から牧師(minister)に任命された、としている。また、LPの解説にも同様の記述がある。つまり、しかるべき組織から牧師として認められた人がReverendと呼ばれるらしい。あえて日本風に言えば、本山で修行して僧名をもらった御出家さんとでもいったところか。そういえば、ロバート・ウィルキンスなどもそうだが、写真を見るとデイヴィスはいつも背広を着てきちんとネクタイを締めている。教会で説教をした時の録音もあると聞くし、単なる「自称」では無かったと思われる。一方で、ブラインド・ウィリー・ジョンソンはa Baptist preacherだったとされているがReverendとは呼ばれない。宗教が異なる文化圏の言葉は、なかなか理解出来ないことが多い。


 
 YAZOOのLPで、L-1023。1935年録音の12曲と、1949年の2曲、初期の録音計14曲を収録した名盤。右の写真は歌詞集より転載したもので、これを手描きにしたものをジャケットに使ったようだ。右下YAZOOのロゴの上あたりをよく見ると「Rory Block」と記名されている。女性ブルースシンガー・ギタリストのローリー・ブロックが描いたらしい。絵もうまい人のようで、しかも美人。


 こちらはPRESTIGEレーベルのLPで7805、60年の録音。やはり名盤。同じ録音がbluesvilleのCDでは『Harlem Street Singer - Blind Gary Davis』というタイトルで出ている。レコード会社が一枚でも売りたい気持ちはわかるが、やめてほしいタイトルだ。余談だが、ジャケットの写真は、ニューヨークのハーレムストリートでプレイしているように見える。しかし、そんなところで目の見えない人が、ギブソンのJ-200ような高価なギターを使って実際に演奏していたかは疑問だ。ひったくりにあう危険があり、シカゴのマックスウェル・ストリートなどではミュージシャンが盗難にあうことが多かった、とも聞いている。あくまで、ジャケットの表紙に使う目的で撮影した写真と、私は考えている。


 FANTAZYレーベルのLPでBV-1049。1961年の録音の12曲。これも名盤。


 HERITAGEというレーベルからのLPで、HT307。1962~’63年頃のニューヨークでの録音。ステファン・グロスマンとの会話なども入っている。


 オーストリアのDOCUMENTレーベルのLPで、DLP521。ギターソロを中心に構成された16曲を収録。ギターのテクニックを学びたい人には、これがお薦めの名盤。


 ギター・インストラクターのステファン・グロスマンが出しているレーベルのLPで、KICKING MULE106『Ragtime Guitar』。当然のこと教則的な色合いが強い。ラグタイム中心の10曲を収録。下は裏面。



 HERITAGEレーベルからのLPで、HT308。おそらく、1960年代録音のライブ盤で『Children Of Zion』。下は裏面。




 12弦ギターを主に使った最晩年の1971年録音。衰えは隠せずミスも多いが、渋いハーモニカも入っていて好きな録音で良く聞いた。

 録音曲はかなり重複するが、上のLPをCD化したもので、BIOGRAPHレーベルBCD123。それをさらに、P-VINEが国内向けにPICD-59として配給した。


 ライブ盤CDで、AMERICAN ACTIVITESというレーベルが出したUACD103。トラック1~9がコネチカット州ニューミルフォード(New Milford)Bucks Rock Campという所で1970年12月8日のライブ。そして、トラック10~19が1971年5月12日のライブで、場所はRoyal hotel Jersey CIと書かれているので、英領チャンネル諸島のジャージー島にあるホテルだと思われる。亡くなる1年前で、これがゲーリー・デイヴィスが最後に残した録音と思われる。音源は死後に発見され、デイヴィスの妻の許諾を得て、1991年に発行されたらしい。
 さすがに衰えは隠せないが、齢を重ねてもやるべきことは曲げなかった。両会場とも、12弦ギターを使っているように聞こえるが、その響きと歌声には感動を禁じ得ない。ミュージシャンのあるべき姿をここに見ることが出来る。


 こちらは、やはりサウス・キャロライナ出身のピンク・アンダーソンとのカップリングCDで、RIVERSIDEのOBCCD-524-2。デイヴィスは、1956年1月29日ニューヨークでの録音8曲を収録。

 閑話休題ーデイヴィスは、ギブソンのJ-200 というギターを使うことがほとんどだった。LPのジャケットの写真に写っているギターも、12弦を除き、全てJ-200だ。このギターは、サイド・バックがメイプルで、どちらかと言うとストローク向けの大型ボディと言える。音も硬いし、彼には音質的にこのギターは合わないのではないかと、長年疑問に思っていた。 しかし、最近になってその理由がわかるような気がしてきた。デイヴィスは、様々な場で演奏することが多く、ピッキングも強い。強く弾いて、音に歪が生じても、あまり気にせず歌い続けている。つまり、そんな極端にギターに負荷がかかる場でも、安定した演奏が出来る、作りも材質もしっかりしたギターを選択したのではないだろうか。早い話が、音質よりも楽器の安定性を優先させたのではないか。そんな気がする。もちろん、J-200の音質が悪いという訳ではない。が、音質を優先させた場合、デイヴィスに合うギターは他にあったように感じる。


 デイヴィスはギターのテクニックがとても評価された人で、後のギターリストへの影響も強く教則本も出ている。また、ライブ録音を聞くとギターのテクニックで客を喜ばせるような演奏もある。いかんせん、わたしもギターの音ばかり聞いていたのだが、今思うとあまり良い聞き方ではなかったと思う。デイヴィスのようにメッセ―ジ性の強い音楽では、ギターのテクニックはそのメッセージを伝えるための手段でしかない。なので、歌う方としてはギターのテクニックよりも音楽に込められたメッセージを感じ取ってもらいたい、と思っていただろう。さてそのメッセージだが、あえて自分なりに言葉にすれば「人にはどんな困難もいつかは乗り越えられる根源的な力がある」とでもなろうか。もとより信仰心など持たぬわたしだが、希望を大切にする気持ちくらいは持っている。
 ゴスペルであれ、ブルースであれ、「困難を背負う人への共感と励まし」が基本だ。それが、「土台文化」ということだろう。ただ、現実には悲観的なことも多い。音楽するうえで、希望を曲にすることは良いが、非現実的な楽観を曲にするようなことはしてはならないと自らを戒めている。

2022/3加筆改訂

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