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わたしのレコード棚―ブルース35、Blind Lemon Jefferson

2017年04月18日 | わたしのレコード棚
 ブラインド・レモン・ジェファーソン―Blind Lemon Jefferson、この人もギターを学ぶ者にとっては大きい存在と言える。
 生まれは1897年テキサス州クーチマン(Couchman)。1926年から1929年にかけて北部シカゴなどで多くの録音をしている。


1974年に、Milestoneというレーベルから出た2枚組LP、全32曲。

 どのLPやCDをみてもこの写真なので、写真はこれしか残っていないらしい。抱えているギターはマーチンのシングルOあたりだろうか。マーチンがスチール弦のギターを生産、そしてその販売を本格的に始めたのが1920年頃と言われているので、現在に繋がるスチール弦を張ったギターを使った黎明期のプレーヤーとも言えるだろう。レパートリーは広く、レッド・ベリーと同じく、言葉の元の意味で「フォーク・シンガー」と云える。実際、二人はコンビを組んで流していらこともあるらしい。リクエストに答えて演奏することもあったのかもしれず、必然的におぼえなければならない曲は多かったのかもしれない。亡くなったのは1929年。経済恐慌のはじまる年の12月、吹雪のシカゴで、凍え死んだとも、寒さによる心臓まひとも言われている。録音した最初の黒人男性ミュージシャンとも言われるブラインド・レモン・ジェファーソンは、極寒のシカゴで32歳の若さで死んだのだった。その前年、1928年シカゴで録音された有名な曲がある。『See That My Grave Is Kept Clean』。この歌も基本的にはトラディショナル、つまり伝統に基づきジェファーソンが構成したものだが、その詞を要約し、あえて意訳すると・・

俺の墓がきれいになっているように祈りたいよ
もうすぐ、あの世に旅立たなきゃならないんだ
脈は弱くなってきたし 指先は冷たくなってきた
棺桶の蓋が閉まる音を聞いた事があるかい?
銀のシャベルで墓穴掘れば 天国へ行けるだろうか
教会の鐘が鳴る頃 俺は旅立つさ

 これが、30歳そこそこの男の歌で、自らの死に様を予見したような恐ろしさまで感じるブルースだ。わたしは、ギターのパートを何度かコピーしようとしているが、60歳になった今でも歌う事は怖くて出来ないでいる。


 1995年にPヴァインから出た16曲入りCD。同年発行の雑誌『ブルース&ソウル・レコーズNO.7』に、このCDのレビューを書いたのはわたしで、CDなどはその時に貰ったもの。今回、このブログを書くにあたりそれを読み返してみたが、当時のブルースに対する思い入れが表れていて我ながら興味深い。我田引水になるが、それを下に引用しておく。なお、執筆名は斎藤業になっている。

 [テキサスのブラインド・レモン・ジェファーソンは、「ブルース」という範疇ではとても捉えきれない多才なギタリストであり、すぐれたヴォーカリストであり、そしてすばらしい詩人である。・・中略・・レモンは独自のコール&レスポンスで歌いあげてゆく。歌い上げてはギターはそれに答え、さらにギターはギターで単弦奏法とストロークでの応答形式になっているという「二階建てのコール&レスポンス」とでも言うべき、他の追随を許さない奏法だった。ここには26年から28年の16曲が収められているが、今もって完全にコピーされた演奏を私は聞いたことがない。](『ブルース&ソウル・レコーズNO.7』p116より)

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