文化逍遥。

良質な文化の紹介。

花見川サイクリングコース、その1中流域

2017年04月26日 | まち歩き
 4/25(火)午前、久々に花見川沿いにあるサイクリングコースまで自転車で行ってきた。気温は20度ほどで、風も穏やか、ウグイスなどの野鳥のさえずりが響く中をゆっくりと自転車で走るのは気持ちの良いものだ。花見川は、江戸期には一方は印旛沼に、もう一方は江戸湾に流れる2本の川だった。舟運の為、現在の中流域を掘って印旛沼と東京湾を結ぶように開削された、いわば人工の河川。江戸時代から、なんども試みられた工事は困難を極め、結局、現在のような河川になったのは1969年になってからという。
 この日は、我が家から川の中流近くに行き、それから上流の八千代市方面に向かって進んでいった。今回は、取りあえず中流域の写真を載せることにしよう。なお、史実については『古文書でよむ千葉市の今むかし―近世編』(2016年崙書房刊)を参照した。


 こちら側は、下流に当たる東京湾方向。写真右側が川。


 川沿いに広がる野原。以前は田畑だったが、今はごらんのとおり。でも、ここに来ると不思議な安心感がある。千葉市にも、こんな風景が残っている。あるいは、湿地なので宅地になりにくく残っているのかも。


 こちらは、上流にあたる印旛沼方向。写真左側が川。ここを進んでいった。


 写真右上に見えている建物はお寺で、天福寺。県指定重要文化財の観音仏があるので、この辺りの地名をとって通称「花島観音」と呼ばれて親しまれている。
 この辺りは泥土層で、開削工事の難所のひとつだったという。幕末の天保14年(1843年)、老中水野忠邦に命じられた鳥取藩は、掘ると水が湧き出すような状態で工事は困難を極めたという。

 続きは、ページを改めて書くことにしよう。

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