文化逍遥。

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蝶花楼馬楽師匠を悼んで

2019年03月22日 | 落語
 七代目蝶花楼馬楽師匠が13日に亡くなった。71歳だった。69年に六代目馬楽に入門。83年に真打ち昇進、91年に馬楽を襲名した。

 噺の中に余計な「くすぐり」などは入れない、どちらかというと目立たぬ芸風だった。が、聴くものをしっかり引きつけて、ほんのりした暖かさが胸に残る伝統的な噺家さんだった。毎年2月に、国立演芸場で行われていた「鹿芝居(噺家芝居のシャレ)」の中心的役割を担うひとりで、わたしも高座を何度か聴かせてもらった。派手さは無いので、テレビなどには不向きな芸だったが、個人的には好きな噺家さんのひとりだった。
 



 2017年2月、国立演芸場中席プログラム。この時、馬楽師匠は『時そば』を掛けたが、逸品だった。この翌年(2018年)でも同じ『時そば』だった。師匠の得意噺だったようだ。この噺は、寄席ではよく掛かり、落語ファンならずとも知る人の多い噺。なので、他の噺家さんのものもかなり聴いたが、特に印象に残っているのは、馬楽師匠のものだ。仕草も抜群で、江戸庶民の生活を彷彿とさせてくれた。

 余談だが、『時そば』は江戸時代の民俗あるいは庶民の経済を知る上で、かなり助けになる。かけ蕎麦に簡単な具が入ったものが16文とされているので、今の「立ち食いそば」の「たぬき」や「きつね」が350円位なのと同じくらいの値段と考えてもいいだろう。その比較で1文がだいたい20円位と推測出来る。1両は、江戸期を通じて変動があったものの4000文位だったので、そこから計算するとおよそ8万円。1分(いちぶ)は、1両の4分の1なので1000文で約2万円。1朱(いっしゅ)は、1分の4分の1なので250文で約5千円。当時は、流通に掛かる費用も現在とはかなり異なるので、一概には比較できないが、江戸期の貨幣価値を知る上での一助にはなるだろう。落語は、歴史を理解する上での生きた証言を内に含んでいると言えるのだ。さらに、噺に出てくる「四つ時」は、およそ今の夜の10時、「九つ」は午前〇時になる。そこを理解したうえで『時そば』を聴くと、さらに味わいが増す。ただし、そんな夜の遅い時間に蕎麦屋が外を歩いていたのかは疑問が残る。江戸期、町々には木戸があって夜間は閉まるし、基本的に日没後は早くに就寝し、夜明前から起き出すのが当時の生活だったろう。と、まあ、そんな時代考証を素人なりにしてみるのも落語ファンの楽しみのひとつ。落語を、単なる「笑い話」と軽く考えるのは、もったいない事なのだ。

 伝統的な噺を、余計な演出を入れずにやって客を引き付ける。そんな本物の落語家が、また一人いなくなった。寂しい限りだ・・合掌・・

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