文化逍遥。

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桃月庵白酒、落語二席

2019年08月23日 | 落語
 このところ、東京の寄席まで行くのもしんどいので、近くの図書館から落語のDVDを借りて楽しんでいた。



 桃月庵白酒の「松曳き」と「山崎屋」の二席。2008年9月のビクター落語界からの収録なので、少し古いが白酒40歳の充実した高座だ。

 若い頃からけっこう落語に親しんできて、最近感じることがある。噺家には、芸人としての人生の中で3度ほど山があるようだ。1度目は噺家になりたての頃で、各人の師匠の話し方そのままに語ることが出来る時。これは、多く入門したての頃で、この時は聴いていても「若いのにけっこう上手いなあ」と感じる。この山を超えた人達は「二つ目」に昇進するようだ。しかし、山の次には谷があり、師匠のコピーから自分なりに噺を昇華し、独自色が出て完全に自分の芸になるまで試行錯誤に苦しむ期間が来る。これを超えた人達は「真打ち」と呼ばれるようになり、独り立ちして活動できるようになる。これが、2度目の山。この2度の山を超えられずに、かなりの人達が廃業するのだろう。
 そして3度目の山は、長い芸人生活の最後に近く、その人の人間性がそのままに出るような芸に至る時。「名人」と呼ばれる人たちだが、ここに至るのはごくわずかな人達だ。また、世間では名人と言われた人の中でも、実際に高座を聴いてがっかりしたことも少なくない。これは、客を呼ぶために意図的に「名人」にされた、あるいは自ら評判を作り上げた噺家もいるということだ。
 まあ、それはそれとして、古典でも新作でも、なかなか現代の生活に慣れた人達には理解できないことも多い。聴く方にかなりな想像力が必要だからだ。ITの発展と共に「便利さ」を得ることで、失われたものも多い。それは、一言でいえばやはり「想像力」。「言霊」と言ってもいい。落語の中に「心の豊かさ」を込められる、そんな噺家さんが増えれば良いと思う。

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