ダウンホームなブルースピアニストでありヴォーカリストのピーティー・ウィートストロー(Peetie Wheatstraw)。生年は、1905年としている資料もあるが、他のCDや下のLPジャケット裏の解説によると1902年12月21日テネシー州のライプレイ(Ripley)で、亡くなったのは1941年12月21日でイリノイ州のイーストセントルイス。自動車事故により亡くなったという。39歳の誕生日に死んだことになる。
ピーティー・ウィートストローの父親の名前はジェームス・バンチ(James Bunch)だったことが分かっていて、本名はウィリアム・バンチ(William Bunch)だったようだ。つまり、ウィートストロー(Wheatstraw)は芸名で、意味は普通に考えれば「麦わら」だ。それにどんな意味合いが込められているのか少し調べてみたが、正確なところは良くわからない。黒人に伝わる古い民話から取っているという説もあるが、あるいは風に飛ばされる様な「はかないもの」という意味合いもあるのか、あるいは都会で活動する本人が田舎の雰囲気を醸し出すために使った可能性もある。
ARHOOLIE系のレーベルであるBLUES CLASSICS 4。A面がギターとヴォーカルのココモ・アーノルド(Kokomo Arnold)で、B面がピーティー・ウィートストローになっているが、実際には相互にバックをつとめたりしている。録音年は、1930年から1938年までのものでLP全体で16曲を収録している。おそらく、シカゴでの録音だと思われる。わたしの好きなLPの一枚だ。ココモ・アーノルドに関しては別のページで書くつもりだが、やはりダウンホームなヴォーカルとスライドギターで魅力を感じるブルースマンの一人だ。
ピアノとギターのコンビとなると、どうしてもピアノのリロイ・カーと単音奏法ギターのスクラッパー・ブラックウェルと比較したくなる。繊細なタッチが持ち味のリロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェルに、ウィートストローも少なからず影響を受け、同時代に活躍していたこともあり、意識していたことは間違いないだろう。我が家にウィートストローの音源は少ないが、1929年頃にイーストセントルイスに移り住み、ミシシッピー川対岸に位置するミズーリ州セントルイスで活躍したギターリストのロニー・ジョンソンなどとも演奏し、200曲近い録音を残しているという。いずれ、機会があればもっと聴き込んでみたいミュージシャンの一人だ。
ピーティー・ウィートストローの父親の名前はジェームス・バンチ(James Bunch)だったことが分かっていて、本名はウィリアム・バンチ(William Bunch)だったようだ。つまり、ウィートストロー(Wheatstraw)は芸名で、意味は普通に考えれば「麦わら」だ。それにどんな意味合いが込められているのか少し調べてみたが、正確なところは良くわからない。黒人に伝わる古い民話から取っているという説もあるが、あるいは風に飛ばされる様な「はかないもの」という意味合いもあるのか、あるいは都会で活動する本人が田舎の雰囲気を醸し出すために使った可能性もある。
ARHOOLIE系のレーベルであるBLUES CLASSICS 4。A面がギターとヴォーカルのココモ・アーノルド(Kokomo Arnold)で、B面がピーティー・ウィートストローになっているが、実際には相互にバックをつとめたりしている。録音年は、1930年から1938年までのものでLP全体で16曲を収録している。おそらく、シカゴでの録音だと思われる。わたしの好きなLPの一枚だ。ココモ・アーノルドに関しては別のページで書くつもりだが、やはりダウンホームなヴォーカルとスライドギターで魅力を感じるブルースマンの一人だ。
ピアノとギターのコンビとなると、どうしてもピアノのリロイ・カーと単音奏法ギターのスクラッパー・ブラックウェルと比較したくなる。繊細なタッチが持ち味のリロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェルに、ウィートストローも少なからず影響を受け、同時代に活躍していたこともあり、意識していたことは間違いないだろう。我が家にウィートストローの音源は少ないが、1929年頃にイーストセントルイスに移り住み、ミシシッピー川対岸に位置するミズーリ州セントルイスで活躍したギターリストのロニー・ジョンソンなどとも演奏し、200曲近い録音を残しているという。いずれ、機会があればもっと聴き込んでみたいミュージシャンの一人だ。