ココモ・アーノルド(Kokomo Arnold)は、1901年2月15日ジョージア州ラヴジョイ(Lovejoy)に生まれ、1968年11月8日にシカゴで亡くなっている。本名は、ジェームス・アーノルド(James Arnold)で、1941年には音楽活動を止めている。と、そこまでは我が家にある資料で確認できる基本的な事柄だが、細かい事跡に関しては資料によって微妙に異なっている。
下のLP解説によると、18歳でニューヨーク州バッファロー(Buffallo)に出て製鋼所(Steel mill)で働き、職人としての技術を身に着け1929年にシカゴに移ってからも同じ職に就いていた、そのシカゴで、レコード制作に携わっていたジョー・マッコイ(Joe McCoy)に見出され「Old Kokomo Blues」などのヒットを飛ばした、とある。
一方で、ロバート・サンテリ著『The Big Book Of Blues』によると、以下のようになる・・・ニューヨーク州では農夫として働き、ピッツバーグに出て製鋼労働者(steelworker)になり、密造酒の製作にも関わった。さらに、1930年にメンフィスでGitfiddle Jimという名でレコーディングデビューしたが、これはあまり売れなかった。1934年、デッカ(Decca)レーベルに吹き込んだ『Old Kokomo Blues』と『Milk Cow Blues』がヒットした。
この『Old Kokomo Blues』と『Milk Cow Blues』の2曲が後のブルースシーンに与えた影響は大きかった。その意味では、アーノルドは、もっと注目されても良い人なのだが、今では忘れられた存在になりつつある。
ARHOOLIE系のLP、BC4。ピーティー・ウィートストローとのカップリングLPで、『Old Kokomo Blues』と『Milk Cow Blues』を含む1934年から1937年までの8曲を収録。初期の演奏を聴ける貴重なLP。
YAZOOのCD、1049。ケーシ・ビル・ウェルダンとのカップリングCD。それぞれ7曲ずつ、合計14曲を収録。
ココモ・アーノルドは、左利きで、すなわちボトルネックを右手にはめてリゾネーターギターを演奏したらしい。声はダミ声で、時にファルセット(裏声)を使い、ギターではスライド音を多用する奏法は、東部の生まれにもかかわらずミシシッピーの香りが強い。実際、YAZOOのCDの解説などには、ミシシッピーに居たことがあるとも書かれている。
1934年にココモ・アーノルドが録音した「Old Kokomo Blues」は、1928年にスクラッパー・ブラックウェルが録音した「Kokomo Blues」を下敷きに作られている。その「Old Kokomo Blues」とほぼ同じ歌詞・メロディを使って、『Sweet Home Chicago』を1936年にロバート・ジョンソンが録音した。民間伝承音楽とはそういうものなのだが、「著作権」というものが主張されるようになり、今では「伝承」のあり方が大きく変わってしまった。
40歳で音楽活動を止めたアーノルドの心境は知る由もない。しかし、その後も30年近く生きているので病気などではなかったと考えられる。彼は、手に職を持っていた可能性が高く、そうなると安定した収入が音楽以外にも得ることが出来て、無理に音楽を続ける必然性もなかったのだろう。あるいは、1941年という年を考えると第二次世界大戦が激化する頃なので、鉄の生産が社会的に必要とされていてアーノルドも製鋼労働者に戻った可能性もある。
下のLP解説によると、18歳でニューヨーク州バッファロー(Buffallo)に出て製鋼所(Steel mill)で働き、職人としての技術を身に着け1929年にシカゴに移ってからも同じ職に就いていた、そのシカゴで、レコード制作に携わっていたジョー・マッコイ(Joe McCoy)に見出され「Old Kokomo Blues」などのヒットを飛ばした、とある。
一方で、ロバート・サンテリ著『The Big Book Of Blues』によると、以下のようになる・・・ニューヨーク州では農夫として働き、ピッツバーグに出て製鋼労働者(steelworker)になり、密造酒の製作にも関わった。さらに、1930年にメンフィスでGitfiddle Jimという名でレコーディングデビューしたが、これはあまり売れなかった。1934年、デッカ(Decca)レーベルに吹き込んだ『Old Kokomo Blues』と『Milk Cow Blues』がヒットした。
この『Old Kokomo Blues』と『Milk Cow Blues』の2曲が後のブルースシーンに与えた影響は大きかった。その意味では、アーノルドは、もっと注目されても良い人なのだが、今では忘れられた存在になりつつある。
ARHOOLIE系のLP、BC4。ピーティー・ウィートストローとのカップリングLPで、『Old Kokomo Blues』と『Milk Cow Blues』を含む1934年から1937年までの8曲を収録。初期の演奏を聴ける貴重なLP。
YAZOOのCD、1049。ケーシ・ビル・ウェルダンとのカップリングCD。それぞれ7曲ずつ、合計14曲を収録。
ココモ・アーノルドは、左利きで、すなわちボトルネックを右手にはめてリゾネーターギターを演奏したらしい。声はダミ声で、時にファルセット(裏声)を使い、ギターではスライド音を多用する奏法は、東部の生まれにもかかわらずミシシッピーの香りが強い。実際、YAZOOのCDの解説などには、ミシシッピーに居たことがあるとも書かれている。
1934年にココモ・アーノルドが録音した「Old Kokomo Blues」は、1928年にスクラッパー・ブラックウェルが録音した「Kokomo Blues」を下敷きに作られている。その「Old Kokomo Blues」とほぼ同じ歌詞・メロディを使って、『Sweet Home Chicago』を1936年にロバート・ジョンソンが録音した。民間伝承音楽とはそういうものなのだが、「著作権」というものが主張されるようになり、今では「伝承」のあり方が大きく変わってしまった。
40歳で音楽活動を止めたアーノルドの心境は知る由もない。しかし、その後も30年近く生きているので病気などではなかったと考えられる。彼は、手に職を持っていた可能性が高く、そうなると安定した収入が音楽以外にも得ることが出来て、無理に音楽を続ける必然性もなかったのだろう。あるいは、1941年という年を考えると第二次世界大戦が激化する頃なので、鉄の生産が社会的に必要とされていてアーノルドも製鋼労働者に戻った可能性もある。