ケイシー・ビル・ウェルダン(Casey Bill Weldon)は、本名はウィル・ウェルダン(Will Weldon)。1909年7月10日アーカンソー州パインブラフ(Pine Bluff)の生まれ、としている資料が多い。1920年代にメンフィスに出て「メンフィスジャグバンド」に参加、メンフィス・ミニーと結婚するが1920代後半には別れていたらしい。つまり、1909年の生まれが正しいとすると、10代で結婚・離婚を経験していたことになり、しかもミニーは1897年生まれなので10歳以上年上だったことになる。これは、ブルース史上の謎のひとつ。
その後は、スライド奏法を駆使したギターで、シガゴで活躍。様々なミュージシャンと共演している。1940年代になると、忽然とミュージックシーンから消え、没年も不詳だ。カリフォルニアなど西に行ったとも、デトロイトに行ったとも、言われている。
この人に関して下のCD解説などでは、メンフィスで活動したウィル・ウェルダンと、シカゴで活動したケイシー・ビル・ウェルダンは、別人ではないか、という疑問を呈している。実際、下のCDに入っている1927年にアトランタで録音された2曲と他のシカゴなどでの録音を聴き比べると、ギターの奏法や声の質にかなりな相違が感じられる。ジャケットの写真は、1927年に撮影されたものらしいが、ギターを普通に構えている。シカゴでの演奏では、ほとんどがスライド奏法だが、1927年録音では、ストロークに近い奏法で弾いている。スライド奏法では、ウェルダンは膝に置くタイプのハワイアンに使われるようなスクエアーネックのドブロギターを使っていたらしい。音質的にも、シングルコーンやトライコーンのリゾネーターではなく、明らかにスパイダー・コーンのリゾネーターに聞こえる。また、やはりCD解説によると、ウェルダンはハワイアンスタイルのギターリストに教わった、ともある。
フランスの「FRÉMEAUX & ASSOCIÉS」というレーベルの2枚組CD、FA268。初期のアトランタ1927年録音2曲を含む36曲を収録。1935年から1938年までのシカゴでの録音が主で、ピアノのブラック・ボブ、ウォシュボード・サム、ギターではビッグ・ビル・ブルーンジー、などがバックアップ。1930年代のシカゴのクラブなどで演奏されていた場面を彷彿とさせる名盤。音作りも、ブルースマンには珍しくメジャー・スケールを巧みに取り入れた独自のもので、ご機嫌なサウンドを奏でている。
CD解説内にある、1941年「シカゴ・デフェンダー」誌に載ったとされる写真。不鮮明で見にくいが、左でジャズギターを抱えているのがジョー・マッコイ(Jo McCoy)で、右でリゾネーターギターを膝に置いているのがウェルダン。1927年に撮影されたという上の写真と比べる、似ているようでもあり違うようでもあり、はっきり識別できない。メンフィス・ミニーは1929年にジョー・マッコイと結婚(2度目?)しているので、彼女が何か語り残していれば別人説について確認できるのだが、今のところ確認できる記録などは出てきていない。
ココモ・アーノルドとのカップリングCD、YAZOOレーベルの1049。上のCDと重複しているが、7曲を収録。
後に、ウェルダンの曲を取り上げて自らのレパートリーに加えたミュージシャンは多く、後世への影響は大きい。日本でも、憂歌団のギタリスト内田勘太郎氏は、ウェルダンの音作りー特にスライド奏法でのヴォイシングなどーにかなり影響を受けているようだ。憂歌団が好きな人は、一度ウェルダンを聴いてみることをお勧めしたい。
その後は、スライド奏法を駆使したギターで、シガゴで活躍。様々なミュージシャンと共演している。1940年代になると、忽然とミュージックシーンから消え、没年も不詳だ。カリフォルニアなど西に行ったとも、デトロイトに行ったとも、言われている。
この人に関して下のCD解説などでは、メンフィスで活動したウィル・ウェルダンと、シカゴで活動したケイシー・ビル・ウェルダンは、別人ではないか、という疑問を呈している。実際、下のCDに入っている1927年にアトランタで録音された2曲と他のシカゴなどでの録音を聴き比べると、ギターの奏法や声の質にかなりな相違が感じられる。ジャケットの写真は、1927年に撮影されたものらしいが、ギターを普通に構えている。シカゴでの演奏では、ほとんどがスライド奏法だが、1927年録音では、ストロークに近い奏法で弾いている。スライド奏法では、ウェルダンは膝に置くタイプのハワイアンに使われるようなスクエアーネックのドブロギターを使っていたらしい。音質的にも、シングルコーンやトライコーンのリゾネーターではなく、明らかにスパイダー・コーンのリゾネーターに聞こえる。また、やはりCD解説によると、ウェルダンはハワイアンスタイルのギターリストに教わった、ともある。
フランスの「FRÉMEAUX & ASSOCIÉS」というレーベルの2枚組CD、FA268。初期のアトランタ1927年録音2曲を含む36曲を収録。1935年から1938年までのシカゴでの録音が主で、ピアノのブラック・ボブ、ウォシュボード・サム、ギターではビッグ・ビル・ブルーンジー、などがバックアップ。1930年代のシカゴのクラブなどで演奏されていた場面を彷彿とさせる名盤。音作りも、ブルースマンには珍しくメジャー・スケールを巧みに取り入れた独自のもので、ご機嫌なサウンドを奏でている。
CD解説内にある、1941年「シカゴ・デフェンダー」誌に載ったとされる写真。不鮮明で見にくいが、左でジャズギターを抱えているのがジョー・マッコイ(Jo McCoy)で、右でリゾネーターギターを膝に置いているのがウェルダン。1927年に撮影されたという上の写真と比べる、似ているようでもあり違うようでもあり、はっきり識別できない。メンフィス・ミニーは1929年にジョー・マッコイと結婚(2度目?)しているので、彼女が何か語り残していれば別人説について確認できるのだが、今のところ確認できる記録などは出てきていない。
ココモ・アーノルドとのカップリングCD、YAZOOレーベルの1049。上のCDと重複しているが、7曲を収録。
後に、ウェルダンの曲を取り上げて自らのレパートリーに加えたミュージシャンは多く、後世への影響は大きい。日本でも、憂歌団のギタリスト内田勘太郎氏は、ウェルダンの音作りー特にスライド奏法でのヴォイシングなどーにかなり影響を受けているようだ。憂歌団が好きな人は、一度ウェルダンを聴いてみることをお勧めしたい。