およそ、ブルースのオムニバスアルバムなどでは取り上げられることが少ないが、音楽上のバックアップあるいは興行する上で、下支えする重要な役割を果たした人がいる。今回取り上げるウィリー・ディクソン(Willie Dixon)は、シカゴのブルースシーンを支えた重要なミュージシャンだ。おそらく、この人がいなかったら、シカゴブルースは、現在のような隆盛はなかったろう、と思われるほど。以下、手元の資料をまとめてみる。
生まれは1915年7月1日で、ミシシッピー州ヴィックスバーグ。1936年頃にシカゴに出て、様々な職に就き、ボクサーなどもしていたらしい。1939年頃からはベーシストとしてシカゴのクラブなどで演奏を始めている。その頃は第2次世界大戦が激しくなる頃で、徴兵制に基づき陸軍に徴兵される。しかし、これを拒否して獄中生活を送ったらしい。徴兵を拒否した詳しい理由は不明だが、「良心的徴兵忌避(conscientious objector)」であったという。戦後の活躍は、ここに書ききれないくらいだが、あまり表立ったことをするのが、あるいは本人があまり好まなかったのかもしれない。1982年に「ブルースヘヴン基金(Blues Heaven Foundation)」という非営利財団を設立。若手のブルースマン達の支えになるとともに、ミュージシャンの地位向上に務めた。いずれにしろ、各方面から音楽的にも人間的にも厚い信頼を得ていたことは間違いないだろう。亡くなったのは、1992年1月29日にカリフォルニア州のバーバンク(Burbank)だった。肥満体型な人だったので、心臓に慢性的な疾患を抱えていたらしい。
基本的にはベーシストでありヴォーカリストだが、メロディーメーカーでもあり、詞をつけることもできて、他のミュージシャンへの楽曲の提供も多い。例えば、マディ・ウォータースのヒット曲「フーチー クーチーマン(Hoochie Coochie Man)」は、ディクソンの手によるものだ。作曲家としても「隠れた大物」と言えるだろう。アルバムとしては、チェスレーベルからディクソン名義のボックスアルバムなどもでているようだが、マディ・ウォータースやハウリン・ウルフに比べれば、本人名義のものはやはり少ない。我が家にも、ベーシストとして参加している音源は、ここに書ききれないくらいあるのだが、ディクソン名義のものは下のLP1枚だけだ。正直言って経済的にも起き場所にも余裕はないし、他のミュージシャンとの多くのセッションが聴けることもあり、あえてディクソン名義のレコードを買いそろえる必要もないのではないか、と感じてしまうこともある。
PRESTIGEレーベルのLP1003、『Willie's Blues with Memphis Slim』。ウィリー・ディクソンのヴォーカルとベース、メンフィス・スリムのピアノ、他に、ギターはWally Richardson、テナー・サックスにAl Ashby、ドラムスにGus Jhonson。PRESTIGEレーベルは、ジャズ系のレーベルなので、音作りも全体には洒落た感じのサウンドになっている。また、メンフィス・スリム以外は、わたしも馴染みが無い人達なので、あるいはジャズ系のミュージシャンたちかもしれない。
LPジャケット裏の解説(ライナーノーツ)には、録音地はニュージャージー州のイングルウッド(Englewood)で、ほとんどリハーサルなしでレコーディングされたとある。ただし、録音年月日は書かれていない。欧米のレコード解説には、けっこう大事なことが書き漏れていることがある。
生まれは1915年7月1日で、ミシシッピー州ヴィックスバーグ。1936年頃にシカゴに出て、様々な職に就き、ボクサーなどもしていたらしい。1939年頃からはベーシストとしてシカゴのクラブなどで演奏を始めている。その頃は第2次世界大戦が激しくなる頃で、徴兵制に基づき陸軍に徴兵される。しかし、これを拒否して獄中生活を送ったらしい。徴兵を拒否した詳しい理由は不明だが、「良心的徴兵忌避(conscientious objector)」であったという。戦後の活躍は、ここに書ききれないくらいだが、あまり表立ったことをするのが、あるいは本人があまり好まなかったのかもしれない。1982年に「ブルースヘヴン基金(Blues Heaven Foundation)」という非営利財団を設立。若手のブルースマン達の支えになるとともに、ミュージシャンの地位向上に務めた。いずれにしろ、各方面から音楽的にも人間的にも厚い信頼を得ていたことは間違いないだろう。亡くなったのは、1992年1月29日にカリフォルニア州のバーバンク(Burbank)だった。肥満体型な人だったので、心臓に慢性的な疾患を抱えていたらしい。
基本的にはベーシストでありヴォーカリストだが、メロディーメーカーでもあり、詞をつけることもできて、他のミュージシャンへの楽曲の提供も多い。例えば、マディ・ウォータースのヒット曲「フーチー クーチーマン(Hoochie Coochie Man)」は、ディクソンの手によるものだ。作曲家としても「隠れた大物」と言えるだろう。アルバムとしては、チェスレーベルからディクソン名義のボックスアルバムなどもでているようだが、マディ・ウォータースやハウリン・ウルフに比べれば、本人名義のものはやはり少ない。我が家にも、ベーシストとして参加している音源は、ここに書ききれないくらいあるのだが、ディクソン名義のものは下のLP1枚だけだ。正直言って経済的にも起き場所にも余裕はないし、他のミュージシャンとの多くのセッションが聴けることもあり、あえてディクソン名義のレコードを買いそろえる必要もないのではないか、と感じてしまうこともある。
PRESTIGEレーベルのLP1003、『Willie's Blues with Memphis Slim』。ウィリー・ディクソンのヴォーカルとベース、メンフィス・スリムのピアノ、他に、ギターはWally Richardson、テナー・サックスにAl Ashby、ドラムスにGus Jhonson。PRESTIGEレーベルは、ジャズ系のレーベルなので、音作りも全体には洒落た感じのサウンドになっている。また、メンフィス・スリム以外は、わたしも馴染みが無い人達なので、あるいはジャズ系のミュージシャンたちかもしれない。
LPジャケット裏の解説(ライナーノーツ)には、録音地はニュージャージー州のイングルウッド(Englewood)で、ほとんどリハーサルなしでレコーディングされたとある。ただし、録音年月日は書かれていない。欧米のレコード解説には、けっこう大事なことが書き漏れていることがある。