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わたしのレコード棚ーブルース109 Sid Hemphill

2020年11月12日 | わたしのレコード棚
 シド・ヘンフィル(Sid Hemphill)は、「わたしのレコード棚ーブルース108」で取り上げたナポレオン・ストリックランドの師匠に当たる人である。生まれは、ウィキペディアによると1876年、CDの解説では1877年になっている。亡くなったのは1963年らしい。ミシシッピー州のデルタ東部に暮らした人なので、おそらく、生まれたのも亡くなったのもコモ(Como)というところの近くと推測される。いずれにしろ、当時としては長寿で「音楽の生き字引」みたいな人だった。民俗音楽研究家のアラン・ローマックスが1940年年代にミシシッピーでフィールド録音している。今、聴くことが出来るのは、その時のものだ。その中で担当しているのは、ヴォーカル、ファイフ、クイルなど。ファイフに関してはストリックランドのところで詳しく書いた。クイル(Quill)というのは、アンデスのサンポーニャに似たパンフルートで、おそらく自らの手作り楽器と思われる。


 ネットで見つけたヘンフィルがクイルを演奏している貴重な写真。


 「わたしのレコード棚ーブルース108」で紹介したCDと同じもの。ヘンフィルの演奏は、アフリカを想わせる音楽からブルースまで、1942年8月15日録音の7曲を収録。このCDの解説によると父親は「Slave Fiddler」だった、とある。直訳すれば「奴隷バイオリン弾き」ということになる。しかし、それが「バイオリンを弾くのを仕事とされた奴隷」という意味か、あるいは「普段は農業などに従事しているが、必要に応じてバイオリンを演奏する奴隷身分の人」だったのかは不明だ。
 もう40年前にもなるが、アレックス・ヘイリー(Alex Haley1921-1992)の小説を原作とした『ルーツ』というテレビドラマが流行り、それが日本でも放映された。その中で、普段は雑事をこなしているが、時に所有者である白人のリクエストに応じてフィドルを弾く黒人奴隷が出てきた。おそらくは、シド・ヘンフィルの父親も、そういう人だったのではないだろうか。シド・ヘンフィルの生年を考えると南北戦争が終わって10年後くらいなので、彼の父がそんな身分の人だったとしても不思議なことではない。逆に言えば、シド・ヘンフィルの父はある意味プロのミュージシャンで、リクエストに答えるだけのレパートリーと技量を持っていたと推測される。つまり、聴く者の好みに合わせて演奏してしていた人だったと考えられるのだ。その影響だろうか、シド・ヘンフィルの残された録音を聴くと、なかなか器用で、ブルースナンバーをクイルで器用に吹いていたりする。また、マウンテン・ミュージックを想わせる2ビート系の曲なども演奏して違和感がない。
 さて、その『ルーツ』に登場する奴隷のフィドラーがドラマの中で口にしていた言葉が、今でも印象に残っている。それは、「白人に命令されたのじゃなくて、自分の好きなのを演奏したいんだ」と、いったものだった。音楽の歴史から見ても、「黒人音楽」が確立するのは、奴隷解放後の時代が下がってからで、先のフィドラーの言葉通りに、黒人たちが自らのアイデンティティーを確立していくのと同期しているかのようだ。


 オーストラリアのレーベルDOCUMENTのオムニバスCD5577。ヘンフィルのものは、上のTESTAMENT5017と同じく1942年8月にミシシッピー州のスレッジ(Sledge)という所で録音された7曲(曲の重複なし)収録している。

 ヘンフィルの孫娘に当たるのはジェシー・メイ・ヘンフィル(Jesse Mae Hemphill)という人で、やはり伝統的な黒人音楽を演奏する伝承者だ。ジェシー・メイ・ヘンフィルの父母も音楽家だったという。つまり、ヘンフィル一家はデルタ東部での音楽文化を担ってきた人たちと言える。そのジェシー・メイ・ヘンフィルに関しては別のページで書くことにしたい。

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