King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

清志郎愛

2011年04月15日 09時52分00秒 | 日々のこと
昨日、NHKの熱中スタジアムでのテーマは
忌野清志郎でした。

しかし、お笑い芸人たちとコピーバンドのファンが
語る内容は如何にも内容のないものでした。

今まで忌野清志郎で様々な番組を作ってきたNHKなら
もっと具体的な血の通った清志郎像を作れたろうに。

彼のメッセージ、歌の真意、ソウルをファンが語るに
しては、出てきたものがなんか安っぽかったのに
がっかりです。

この番組事態熱中する人のおかしさがテーマで、熱中される
方の理解や具体像は必要ないものなんだということを
改めてしりました。

私自身、彼のファンだと自覚するようになったのは実際に
彼のライブを見に行くようになってからだと思います。

彼の歌や姿はテレビでずっと見ていましたし、世の中に流れている
彼の歌を昔から理解して好きだったかというとそうでもなく、
派手な化粧をしてステージを動き回る姿を見ても、自分の
身近な仲間がやっているなあ位の親近感を持ってはいても、
ファンというものとは違っていると思っていました。

昔新宿のディスコで流れた雨上がりの夜空にでフロアー全員が
ツイストして気持ちが一体になった感じとか青春の一シーンに
清志郎の歌があってもそれは時代の背景の一部のようでした。

それでもテレビで見る清志郎は青春の同志であり、いつも一緒に
走っている仲間の様でもありました。

彼が派手に活躍するのは彼の役目であり、注目を集めるのも
面白がられるのも、そうする役目をになっているからと思って
いました。

しかし、その見た目と終始一貫するメッセージとのギャップと
ピュアな少年のような心根に気づかされるのは、かなりキャリアを持つ
歌い手なのに、君が代をロックバージョンにして発売中止になった
あたりからでした。

自転車に乗り出した理由とか、派手な化粧に隠した素顔とか、
10代の時にオーティスレディングに影響を受けそれ以来ガタガタな
こととか。

彼がずっと売れたいと願っていたこととか。

ファンならそれを公で語ってこそ清志郎の愛を共有する事なのでは
ないでしょうか。

そんな意味で、番組はとてもつまらなかったのです。

お前ら本当にファンなのか。

ただまねして目立ちたいだけじゃあないのか。

愛し合ってるかいの意味について語るファンもいなければ、
青い森時代をしるファンもいないのです。

少年のように傷つき易い純真でピュアな心根を大人になっても
持ち続けていつもそのテーマでの歌であり、唯一無二である
存在についてもっと語ってくれよ。

お前らの心に彼はまだいるのか。
コメント
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