King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

文明の起源と祭りと珈琲と

2018年07月24日 11時43分02秒 | 珈琲

秩父の川瀬祭りは終わりました。しかし、この時期同様の

祭りがまだあちこちであり、起源はみな祇園社だったり、疫病の

平癒だったりと伝えられています。

 

京都の祇園祭は秩父の夜祭と高山の曳山祭りと三大曳山祭りとして有名ですが、

その起源とか存続の意味とかが議論されることはありません。

 

つまり本来は全部宗教行事として行われており、人々の信仰がその底部にある

のですが、現在各地で行われている祭りにどれだけ人々の信仰があるかというと

実に複雑な問題へと発展していきます。

 

国会はIR法案や衆議院の議席増などという話題の法案を通して終わりました。

 

もともと野党がモリカケ問題に終始している間に北の非核化と米へのすり寄る

中、大した議論もなく導入が決められたイージスアショアなど当初の見積もりから

どんどん値が上がり、今日聞いた話だと6000億円にも上るといいます。

 

そんなもの導入してミサイルを撃ち落とせる保証はなく、その能力とは

どんなものか今の北の脅威など全く議論もなく防衛省の予算要求のまま

決められてしまいそっくりこれはアメリカへの貢ぎ物としかならないと

思われます。

 

米が基地負担などのさらなる要求を議論しだした時に米の基地利用や

日米安保も見直して防衛そのものの議論を始めた方がよいでしょう。

というのは、そもそも米の基地利用やアメリカに守ってもらうという

思考がもはや国際感覚上思考停止の状態であり、このままでは北方領土は

帰ってこないし、戦争になれば真っ先に沖縄の人が被害にあうことに

なります。

 

そもそも日本には平和主義といいつつ国を守るとか戦争とか核とかの議論に

蓋をしてきました。

 

プーチンが安倍と話して返還した後、アメリカが基地を置くかと聞いた時

それは安保問題なので日本に決定権がないと答えたことでもうそれから

あらゆる交渉もストップしてもう帰ってこないのは明らかです。

 

しかし、本音と建前の日本人としては未だに北方領土を返せといい、

拉致被害者を返せと言っています。原発事故の廃炉もそもそも燃料デブリを

取り出して中間貯蔵地や最終処分場も決まっていないのにどこに持って行く

つもりなのでしょう。そもそも三十年で廃炉という根拠すらありません。

 

つまり誰も決定して責任をとらずできもしないことを続けているのです。

 

そういう肝心な議論はしないで物事は続けているよい例が祭りです。

 

誰も今では神や神事で雨が降ったり、病気が治ったりということは信じない

でしょう。なのに、これは神事だからと信じてもいないことをずっと続けている

のです。

 

そもそも祇園祭という根拠の祇園社の名前を変えたのは明治政府で

神仏分離で八坂神社となった時点でその根源を失ったはずです。

 

文化行事など文化財として国は保護してきていてお祭りには税金が

投入されています。歴史的にそういう宗教に金をつぎ込むことは裁判に

なりますが、祭りや神社の彫刻とか建物の保護には多額の税金が使われても

誰も文句は言いません。秩父でも三峰神社の建物を税金で修復してそれを

裁判を起こした団体がいましたが、その後どうなったか新聞にさえ載りません。

(東京高裁にて住民側敗訴決定)

 

つまりお祭りというのはもはや宗教的儀礼などではなく民俗行事としてとらえられていて

その根元を問うのは愚門なのです。

 

だったらそもそも税金でそれを支えるというのもただのポピュリズム的な要素が

強く、文化財保護といえば税金投入も誰も文句言わないというのもオリンピック

のためならだれも文句言わないという今の状況によく似ています。

 

しかし、大雨や猛暑が続く災害の多い日本の今後を考えたらそれに備える

政策が重要でその原資になる財政面での後ろ盾としてお祭りより災害対策を

した方がこれからはよいのではないでしょうか。もちろん廃炉処理や溜まった

プルトニウムとか見て見ぬふりをしている問題に責任をもって答える時期に

あるでしょう。

 

私が世界史を学んだ時に世界四大文明というのが最初に出てきましたが

テレビなどではマヤ文明とかインカとか文明があってピラミッドなどの遺跡

とかマチュピチュ紀行などの番組があるのに授業ではそういうのは見て見ぬふりを

しているという大人の事情が存在する歴史にそんなのでよいのかという思いを

ずっと思ってきました。

 

そもそも歴史を知れば、ついこの間まで労働者には選挙権がなかったとか

民主化とか人権とか人類がたどった歴史は苦渋の歴史なのです。

 

中世にヨーロッパで大流行し、世界への覇権と進出とともにコーヒー産地は世界に広がり

その文化も経済の発展とともに世界で愛されるものとなりました。

格差とともに飲まれる味も高い豆も金のある所に流れるのかといえば

よい豆が必ずしもそういう流れになってないこともあり、そこが私どもの

ようなよい豆を発掘して焼いていく素養となっています。

人気だけでなく本当に良い豆をこれからも焼いていくべく努力して

いきます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする