King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

麦茶と噴水自販機

2018年07月25日 08時48分53秒 | 珈琲

最近は夜の安眠を確保するのにかなり時間的な配慮と工夫がいるように

なりました。

昨日は予定外の端末トラブルがあり、復旧に時間がかかり走りに行く時間が

なくなり、これが一日の重要な睡眠に多大な影響を及ぼしました。

 

先日の四大文明の話ですが、これは四つの代表的なものとしてたまたま挙げただけで

別にインカやマヤなどのアメリカ大陸、中米南米の文明を当時から否定していたわけでは

ないという意見がありました。

 

ただ、この怪しい存在の扱いが我々世代に及ぼしたイメージと謎の大陸と謎の文明が

かつて存在してその子孫のアーリア人が最高の民族であると本気で信じていたこと

など馬鹿らしいほどの本当の話が実はあまり歴史としては教えられずに事件と人物の

名前ばかりを試験の問題として記憶する勉強を強いられてきたのでそもそもなんで

こうなったという重要な考えることを最初から放棄してしまった歴史考察がずっと

続いてきて今更なぜアラブとイスラエルはもめているのかとか学校では教えられない

疑問が自然と沸き上がり、なぜアメリカはトランプ氏を大統領にしたのかとか色々と

陰謀説やらロシア疑惑などの話も議論も批判もせずトンデモ話としてしか話にしない

風潮となってしまっているのです。

 

さて、ウナギの水槽を語ったところでもう一つどうしても夏の日の思い出として

粉ジュース、麦茶、噴水自販機とつづきます。

 

そもそも家庭に電気冷蔵庫が普及しだしてこの粉ジュースと麦茶が冷蔵庫の定番と

なり、それまでは今では高級すし店でしか見られなくなった氷の冷蔵庫で、氷屋が

氷を配達していたのでした。

 

隣の駄菓子屋でかき氷をよく食べましたが、冷蔵庫は氷の冷蔵庫でした。

 

平成が終わろうとしている今、我々の持つような夏の思い出がない世代は

どんな思い出を語り継いでいくのかと思うと複雑です。

 

町には子供の時に憧れた喫茶店も今でもあるものの、かつては学生や社会人が

つかの間の涼を求めたり、不良がたむろしたり、とにかく物語の下となるような

場所でした。

 

いくつもあった喫茶店も数は減っているけれど学生時代に通った店がまだあると

いうのはなぜか奇跡の様な感覚があります。

 

ただ、昔の方が珈琲豆を売る店は多かったというイメージもあります。

 

昔秩父地域で最初にエスカレーターを備えた宝屋の地下でも、その向かいの

横川でもその先の珈琲館という喫茶店でもとにかくどこでも買えたのです。

 

それを変えたのはスーパーの出現でしょう。秩父では主婦の店という名前で

はじまり、今のベルクになったのですが、そして、ハンバーガーショップ、

回転ずし、コンビニと確実に庶民の生活感を変え生活を変えていく店が

現れ生活の基本の珈琲を飲む形も変わったのでした。

 

しかし、変わったからこそ本来の味の珈琲をもとめることになり、現在に

至ったことを考えると身近になかったから自分で焼くことになったのであり、

何がどう関係するかというのは全く解らないものです。

 

コメント
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