サッカーワールドカップ日本は初戦ドイツに勝利しました。前半ずっと攻められ過ぎてフラストレーションがたまる試合で、後半の選手交代から攻める時間も現れ得点できました。次は日曜日コスタリカ戦です。
昨日はずっと雨でしたが、今日はインフルエンザの予防接種があり走りを簡略化するわけにいかずとにかく影森の端まで行って引き返してこようと神社から番場通り、水戸屋から日野田へ抜け国道をまっすぐ走りました。土木事務所からキヤノン通りへ戻り帰りました。道中ずっと考えていたのは『劇場』のことでした。元の原作が太宰治風な才能の無い人の芸術活動をテーマにしており、それで処女作にして芥川賞などとったからまた今回も同じものを今度は演劇の世界を舞台に置き換えて書いたのです。太宰治の場合は人間失格のような人生も自身は現実にも演じてそれをネタに小説を書いた破滅型の作家でした。対して才能がないのに芸人をしている自分を題材にして賞などとってしまい次も書かなきゃならないので全く同じことを演劇の世界に書いただけという感じで、太宰治のように徹底してその才能の無い作家を現実でも死をもって体現したのに対して才能無いけどそこそこ人気だけは出て有名になってしまった人が書いたものだからなんか引き付けるものもなく感動もしないのです。よく同じものを懲りずに書いたなという感じ。ネットでは二人の演技が素晴らしいとか二人の関係を書き立てている人ばかりでしたがそもそも才能の無い人の話なんか需要があるだろうか。この主人公も才能がないのに自分達の別れの劇でそこそこの人気を取ったような終わりかたでしたが、まだ自身のつまらなさを披露したり無いのかと思うばかりです。日本ではこういう劇中アクションも事件も起きない映画が作られますが、韓国のドラマや映画はもっと人間の根本的な感情を刺激してくるような作品が多いようです。日本のように勧善懲悪的でも道徳的だったりコンプライアンス重視ということもありません。とにかくざわざわと感情に直接爪を立ててくるような幼稚といえば幼稚な手法ながら確実に相手の反応も得やすいといえるでしょう。そんなことをマ・ドンソクの映画を続けて見て思いました。