King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

国民統合の象徴の違和感

2019年05月08日 09時33分59秒 | 珈琲

ゴールデンウィーク中はじっくりと焙煎に向き合い、焙煎機のチューニングに

専念して釜の清掃を徹底したり排気管の汚れを取り除いたりと隅々に調整を試みて

いました。

 

ほんの数ミクロンの煤のコーティングでも釜についていればそれは豆のフレーバーに

影響するばかりか温度変化にも影響します。こまめに念入りにそれらは徹底管理しないと

なりません。手を抜けば即座に味に現れるでしょう。少しでも温度変化や豆の膨らみ方、

さらには豆の表面に変化があれば釜の管理に手を下さねばなりません。

 

忙しく注文をこなしているときこそその罠は待ってくれなくてそこここに地雷として

潜んでいるのです。

 

そんな中ラジオのニュースで聞こえてきたのが即位後の天皇のお言葉です。

 

なぜ見世物の様にお出ましになりそれを見物の様に14万もの人が押し寄せるのか解りませんが、

ニュースで聞こえてきたお言葉は日本統合の象徴としての務めを果たしていくというものでした。

 

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 

これが憲法第一条であり、国民主権を謳ったものと言われます。

 

かつて自民党が示した憲法草案では

天皇は、日本国の元首であり
日本国及び日本国民統合の象徴であって、
その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

でした。

GHQにより、議会制民主主義が与えられ国民主権、基本的人権、法の下の平等など近代国家の枠組みを

からの復興をスタートしたわけですが、もともと議会制民主主義や立憲君主制は明治政府から日本は

世界の先進国に倣い整えていたのです。ただ違うのは市民が立ち上がり今までの政治中枢を打ち破り

自分たちで話し合い決めるというルール作りをしてきたという血による改革はなく、大国の覇権の中で

理想の平和主義から再軍備要求などさんざんもみくちゃにされてここまで来ているわけです。


そこに来て、日本の統合の象徴を聞くとあたかも自分が統治していくというような聞こえ方もして

人が象徴であるという特殊な表現は統治のためなのかとか、ただ象徴天皇という飾りというものに

格下げされた存在以上に統合とか統治というのは全体主義的なイメージを沸々と醸してくるのでした。


実は上皇になるという三年前の退位の話の時に、私は退位した天皇が憲法上何も定義のない立場から

公民権を行使して、一般国民として意志発言をSNSでしだすという小説を思い立ちました。


条文上無くても国民に属するか国民(人権享有主体性)に天皇が含まれるかについては学説上肯定派が

通説となっており、なおかつ刑事被告人や民事被告人にはならない存在とされ、その特殊性は判決により

補完され続けてきた存在です。


安倍首相が自衛隊の違憲問題に終止符を打つとして憲法改正を打ち出していますが、これなどは過去の

違憲判決を葬り、基地問題や条文にないが平和的生存権などの理念を確立してきた判例を抑え込み、

今後の基地問題や安保条約に反対する訴訟を封じ込めることになるでしょう。今まではナイキ訴訟の

様に違憲判決を書く勇気ある裁判官もいましたが、今の忖度政治では誰も判断前の門前払いばかりで

有事事態法や有事法制の違憲性など誰も憲法判断を避けています。

 

昨日のニュースでは天皇が執務中の映像が公開され象徴という存在も実際に仕事があるんだよという

機関的印象を強く求めての事なのではと思えてくる初映像なのでした。

 

しかし、その天皇制も嫡出子であり男子に限るという現行の制度ではその存続が危ぶまれ、憲法の

第一から八条まで使い最初に規定した天皇という存在を改めて考えさせられる統合の象徴という

自らの発言なのでした。

 

 

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