King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

予定のつまらなさ

2018年12月21日 09時41分56秒 | 日々のこと

今年の冬はここ数年の習いとは違い、遅い雪に付き合うかのように

まだスキーに行かず、さらには年内は行けないだろうという現状に

昨日始まったski TV2を見ながら考えるのでした。

 

ひとつには昨年の草津本白根の噴火でもう多分生きているうちに

二度とあの本白根の壁に立てないということです。

 

昨年の暮れには、ずっと夢見たあの本白根の壁に年内に

また立てたとあっさりとかなったと感じた途端に年明けには次の予定の変更を

余儀なくされこれは何なのかとずっと考え続けることになりました。

 

今年は、となれば次のお気に入りの斜面を探すのみと今まで行ったことのない地を

目指すと決めました。

 

ですが、年内諸々の予定でスキー行はしばらくなく、年内に関西出張の予定も入り、

この日程も都合のつくのは三連休以外ないと決まったのは秋の早いうちで、

これが普段の旅行と違うことでこれについてまたあれこれ思うことが次々と

去来するこの頃です。

 

安倍首相が悪魔の証明と自分の無実を訴えた時のことを思い出します。

現在哲学上も物理数学上も人間の自由意志とは幻想であり、宇宙の出現の時から

その素粒子の総量と位置により既に物事は決定していることだそうです。人間の

時間の観念も幻想とする学説もあります。

古くはスピノザの著作により自由意志を持つのは神のみであるとし、その後

ニーチェの神は死んだでキリスト教的世界観からの脱却を訴えました。

どちらも自由意志は神しか持ち得ないのだから無限なものに思い致して新しい

価値観を持つと似たような話になっています。

 

これらのことと私が今回三連休に出張となったこととこれがいつもの自由な感覚の

直前になって予約して出かけるいつもの旅行と比べると色々な予定と人の都合と

結局可能な日程とか必然的に決まって来て型にはめられたように日が決められて

みると明日から西から天気は崩れるという現実に突き当たり、なんと決められた予定

とはつまらない物だろうと思うのでした。

 

まあこれはスキーに行けない愚痴として、自由意志と選択についてはまだまだ

神の実在とかホーキングの遺言より無から生まれた宇宙の行末と自身の行末に

考えるとこの何者にも囚われない意思の重要性に気づくのでした。

 

明日から三日はいませんが、年内正月ともに休まず営業です。三時まで試飲もできます。

 

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