ここの所何回かブラジルのブルボンをくれという注文を受けました。
このように国と木の種類まで指定されることもままありますが、
どのようにしてその豆にたどり着いたのかというのも併せて聞くようにして
います。
というのはとんでもない勘違いでその豆を買いたいといっていることもままあり、
とはいえそこまで指定しているのに違う豆を売るわけにも無理にそのわけに
立ち入るのも次の注文に関係しますから本来ならあまり立ち入るべきことでは
ありません。
しかし、どうしてもなぜそれなのかというのを聞いてしまうのが私で、
それはこうですよといらぬ解説をして相手に不快感を与えてしまうのも私です。
まあそれはどうしても正したいという自分のたどり着いた境地とか
珈琲の真実を知ってもらいたいということから出てしまうのですが、
中には本来立ち入るべきことではないこともあるのは承知しています。
特に自分でその味について知識がある場合それがたとえどこか間違った焼き方の
豆屋が焼いたものだったにしろ、正しいブルボンや日陰干しといった製法やら
その味を示してレクチャアするなどお客様からしたら迷惑なだけな時もあります。
というのも私自身ブルボンばかりを飲んでいた時代があり、それはなぜかと言えば
少し高いブルボンはサントスより柔らかくストレートでぐびぐび飲むのに
適していたからです。
その前はアメリンカンコーヒーの代表ということでMJBの緑の缶を愛用したときも
ありました。
どれも満足いかなくなりやめたのですが、結論としては同じように自分で
納得するという行動は重要なのかもしれません。インスタントのコーヒーに
飽きてレギュラーで淹れだしてそのドリップ技術や各種ドリッパー、ペーパーの
性能を比べ、各種機器を比べ、やがて豆の種類や味を比べ、どこかにある自分の
豆を見つけて満足いかなくて自分で焼いてみてそういうことだったのかと
体験するのは必要な時間かといわれれば大分省略してあげられるかもしれないと
いうのが私のつい出てしまう余計な豆への説明なのでしょう。
まあなんの説明もなくすいすい飲めてしまったでいいことなのかもしれません。
今月のタンザニアみたいについ大手の豆に触発されてああいう豆が欲しい
などといわれるとつい私のタンザニアはこうですよというのをやってしまう
のでした。
ゴールデンウィーク中も珍しい豆はないかとか色々な注文がありましたが
なかには改めて何々に気が付いたとかはじめて花の香りとかフルーツの味と
いうのを感じたとおっしゃる方もいて今ではあまり会話の機会もないのに
どうしても口にしたいという思いでわざわざ感想を届けてくれる方もいました。
珈琲を愛するものの絆を築けたようなコロナで縮こまり縮小と閉塞感一杯の
世界に突破口を開けるような快挙に思いまた心して焼こうと誓うのでした。
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