King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『グランブルー』鑑賞

2020年09月08日 10時45分19秒 | 映画

あれほど何日も前からかつてない大きさの台風ということで警戒を呼び掛け

命を守る行動をというニュースを聞き、結果過ぎていった台風10号は心配された

河川の氾濫もなく、家が流されたり土砂に埋まった家のニュースもまれでまずは

一安心したのでした。

 

しかし、ニュースでは人々の不安をあおり続けコロナ禍の避難所はどこも一杯で

よそに移れという指示を出すシーンなどが報道され、停電で熱中症でなくなるお年寄り

が出ているとか直接的被害は少なかったものの大きな影響下に未だにあるという報道です。

 

今回も亡くなった方は窓を補強中転落して死亡した五十代の男性とか直接暴風で飛ばされたとか

大水で流されたという方ではありませんでした。

 

こういう報道を見る度、災害が頻発する社会とコロナ禍と何をあぶりだすのかということを考えて

いましたが、少し変化が生まれました。これはのちに詳しく書きますが、報道では弱者ばかりが

取り上げられていて格差社会の弱いところの人々が割を食うかのような姿勢ですが、台風などは

いちいち選んでくるわけでなく、屋根に近所の鉄塔が倒れてくるのは弱者も強者もなく、強風で

飛ばされる屋根も頑丈な家だから飛ばないかといえば竜巻が起きるなどそんなの関係なく飛ばされて

いるので別に格差社会が際立つということではないはずです。

 

しかし、かつて中州に取り残されたキャンパーをレンジャーが必死の救助活動をしたという映像や

川べりの家が土砂とともに家一軒丸ごと濁流に飲まれる映像などみると人間の愚かさをあらわに

するかのように感じたりしました。

 

まあそれも何かし向けられたことかもと感じるのが今日この頃であり、新たな気付きかもしれません。

 

その一つのきっかけにもなったのがこの『グランブルー』です。

『フィフス・エレメント』と同じ監督、音楽の映画で世に知られるのは『タクシー』がヒットしてから

でしょうか。

私も最初監督もジャンレノも知らずに見た記憶があります。今見ると80年代の感じを色濃く感じ、あの時代の

ファッションやら全てが特異で世の中がそこだけずれてしまっていたような特別な時だったように思います。

似た名前の映画があり、そんな海を主題にした映画でサーファーとか潜入捜査とかの映画かと思ってみたのですが、

シチリアのレストランのシーンでこれは見た映画だと思い出しました。

 

世界ではすごい大ヒットとなったのですが、日本ではおおごけして新宿プラザでは一週間で打ち切りだったという

ことになるのですが、その後のリュック・ベッソン監督でジャンレノの映画が次々にヒットして復権し世界各地で

何度もリプリントされディレクターズカット版とかいうリバイバル公演がされました。私が見たのは映画館では

期待されたのにすぐに終演となり、テレビで早々に流れたのをみたのだと思います。

 

映画に出てくるファッションだとか世界をまたに掛ける恋とかいかにも80年代なのですが、それは自身の青春時代と

あわせて諸々な思い出も直ぐに上がるあまり触れたくないようなそれでいて大事な思い出の数々にはかわりないという

微妙な時代なのです。

 

今思うとなんであんなことしたんだろうとかパジャマのような服とかだっぶりした肩パットの入った上着とか

やたらと派手な髪形とみんなそんな格好していたことにおかし味とともに蘇ります。

 

映画はフリーダビングの物語で素潜りの最新記録を競う有名ダイバーの話なのですが、もともと二人は幼馴染で

幼少期ギリシャのどこかの島で一緒に過ごした中なのです。そして大人に成長した二人はそれぞれ世界をまたにかけ

活躍するようになり、大会でシチリアで再会するのですが、その大会で結末はという最後と色々な海の映像が

幻想的な雰囲気な映画です。

 

私はこの映画の直ぐ後い何回かフリーダイビングのドキュメンタリーとか特集を見ておりこの映画ともども記憶

していましたがそれも併せて思い出し、近年にもyouは何しに日本へでダイビングの大会が行われているのを

見たりもしています。

 

映画では簡単に120mという距離を出すのですが、人間の体の構造上限界深度はほぼ100mとされており

それを超えると体や精神に障害が残る危険があり、今では競技方法もその距離を競うものではなくなった

ように記憶しています。

 

それを思うとクジラなど同じ哺乳類でも普通に1000mでも潜れますし、到達速度も10分程で到達できると

人間が潜水艦や深海探査船で活動するよりもずば抜けた運動能力を持っています。このように人類の

進化進歩をしのぐ自然の驚異はいたるところにあり、今襲い来る災害など人知をこえたできごとだらけと

改めて思うのです。

 

私が毎日走るようになり、人間は陸上で一日の移動距離や速度では最高に進化してきた歴史を感じ

それを忘れてはいけないし、それを実感するためにも毎日走り続けようと思ったものです。

しかし、クジラや渡り鳥の一日の移動距離は人間をはるかに超えており、可聴周波数なども

人間の数倍あり、脳の大きさもしのぐといいます。つまり人間だけが進化したというのは誤りで

みんなそれぞれこの地球上で生き残るためにその能力を獲得していったのです。

 

そして今コロナ禍の世になりと人間の思い上がりというかその存在をもう一度考えることに

なったのです。増える災害についてもそうです。人間が進歩してきたといいつつひきおこしている

自然猛威の大きさは人類を生きにくくしており更なる人類の進歩とはこれらをどう克服し持続可能な

生存の道を探ることとなるでしょう。化石エネルギーを消費しきって他の星に移住するなどという

SFや聖書のハルマゲドンを持ち出すのでなく違う未来を描くことができることを示すべきです。

 


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