菅直人は「議会制民主主義は期限を区切った中で独裁を認めることだ」という考えを持っていたということです。確かに首相在任中の彼の行動を見ていると、そうした考えが透けて見えます。
党や閣議に諮らずに、消費税増税、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加、脱原発などを表明したのも、関係省庁に何の根回し、確認もせずに、お盆までの全員の仮設住宅への入居を表明したのも、そうした考えがベースにあったからでしょうね。
一年でコロコロと首相が交代し、問題が解決されることなく先送りされていたことに対する問題意識だとしたら、ある程度は理解はできます。つまり、限られた期限の中で、強力なリーダーシップを発揮すること(≒独裁)によって、しっかり課題解決を図ることが大事だということです。
しかし、彼はリーダーシップの意味をはき違えています。リーダーシップとは「周囲に影響力を発揮し、自分が求める結果を出すこと」です。そういう意味では、独裁もリーダーシップの一つの形かもしれません。良いこととは思えませんが、カダフィ大佐も周囲に影響力を発揮して、自分が独裁体制を築くという結果を出したので、リーダーシップを発揮したと言えるわけです。
ところが、彼は正当な手続きを経ないと結果を出せない民主主義国家で、独裁者のように振る舞っただけで、誰にも影響力を発揮できず、何一つ結果も出せませんでした。彼は内閣総理大臣である自分が言えば、何とかなる、人は言うことを聞くと、本当に短絡的に信じていた節があります。近年では稀な長期政権を築いた小泉前首相のことをそのように理解していたからだと思われますが、賛否はあるものの、小泉さんは単なる口先だけで人を動かしていたわけではありません。党内で誰も聞く耳を持たない郵政民営化を叫び、党内で笑われ、泡沫候補扱いされながらも総裁選に出馬し続けました。そして、遂に首相の座に就いてからは、言うだけではなく、人事でも自分の意思を貫き、信頼した人には徹底的に仕事を任せ、結果を出させました。そこが違いです。
一方、後任の野田新首相は、党内融和の姿勢を前面に打ち出し、党内基盤も弱いことから自分の色を出せないのでは、との声もありますが、意外にしたたかで、自分の信念はじっくり貫き通すのではないかと私には思えます。
菅直人が辞任に追い込まれたのは、元はと言えば、結果を出せず国民の支持を得られなかったことに尽きますが、直接的な辞任の要因は、党内の最大勢力である小沢グループを徹底して排除した結果、本来なら同じ党で同意するはずのない不信任案に賛成に回りそうになったことです。
そうであるならば、いっそのこと敵対するグループだろうと何だろうと飲み込んでおくというのは、一つの戦略です。内閣・与党に属したその人たちが、必ずしも元々所属するグループの言うことに従うとは限らないからです。それは、非主流派に対して一本釣り人事をした小泉政権でも明らかです。
あとは、政府・与党を落ち着かせた間にどれだけ実績を積み重ねられるかにかかっています。これが、真の実力、リーダーシップが問われるところです。そして、大半の国民と同様、何とか、この一年交代の連鎖を止めてほしいと心底思います。
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