今日の福岡国際マラソンで、社会人1年目の吉田祐也選手が、2時間7分5秒の好記録で優勝しました。マラソン2回目での快挙です。そして、初マラソンだった2月の別府大分毎日マラソンでも、日本人トップの3位に入り、2時間8分30秒は初マラソン記録、学生記録いずれも日本2位の快挙でした。これだけ見ると、超エリートランナーのキャリアに見えますが、必ずしもそうではありません(もちろん、青山学院出身なので、才能あるランナーであることは間違いありませんが)。
別大毎日マラソンもテレビ中継を見ていましたが、中継の中で、箱根駅伝でも区間記録を作った吉田祐也選手が、このマラソンで競技生活を終える予定と紹介されているのを聞いて驚くと同時に、何ともったいないと思って見ていました。すると、結果は前述の通りの好記録です。この先どうするんだろうと思っていると、インタビューで瀬古利彦が親心から「マラソンをなめてはいけないよ」と声をかけると、即座に「なめていません」と答えた姿に意思の強さを感じましたし、この先競技を続けるのではないかと思ったものです。
すると、周囲の勧めもあり、内定していたブルボンへの入社を断り、GMOに所属し、この日を迎えたということです。そして、この日は記録よりも順位にこだわっていたということですが、福岡国際の日本人記録であり、当時の日本記録となった藤田敦史の2時間6分51秒は意識していたそうです。残念ながら、この記録は乗り換えられませんでしたが、マラソン2回目でこの記録に迫ったのは本当にすごかったです。30km過ぎからは一人旅で競ったり、風除けにする人もいない中、途中落ちたペースを戻すなど、勝つという意思が見えたレースでした。
藤田が日本記録を作った、2000年の福岡国際も見ていました。この頃までは、ペースメーカーの存在は公にされておらず、レース終盤にそれまで快調に走って外国人選手が急に失速し、中継のアナウンサーが「あ~、〇〇止まりました~」と叫ぶのを不思議に思って見ていましたが、確かこの時も30kmくらいで藤田選手の一人旅になりながら、勢いを落とすことなく走り切り、当時としては圧倒的な日本記録を打ち立てたのでした。その後、藤田選手は故障で記録を伸ばすことが出来ず、2002年に高岡寿成選手に日本記録を塗り替えられました。そして、そこから長らく日本男子の低迷が続きました。
その扉を設楽悠太がようやくこじ開けてから、また時間が動きだした感じですね。先日の1万mでも、男子相澤、女子新谷が日本記録を出し、他にも好記録が連発したように、ナイキの圧底シューズの力も確かにあると思いますが、競争により力が付いてきたのも事実だと思います。
また新たな選手がどんどん出てくるのを期待したいですね!
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