昨日、会社の同僚たちが相撲界の話題を取り上げて、「何を今さら。八百長なんて昔からあったに決まってるんだから。プロレスと一緒だよね。」なんて話をしていました。何を目くじら立てているのかという論調でした。
石原都知事がまさにそんなコメントをしていましたが、ことここに至るとなかなかそんな風には収まらないでしょうね。私もそんなことはあっただろうとは思いますが、だからと言って、それでもいいんじゃないという容認派ではないので、この際だからすっかり変えてしまった方がいいんじゃないかと思います。
プロレスは選手と観客の予定調和ですから、一般紙でプロレス結果が載らないことを誰も非難しません。そこに載るものではないと誰もが了解しているからです。それに対して、相撲はスポーツ欄を大きく占め、先々場所の白鵬の双葉山への挑戦を誰も興業とか、八百長とは思っていないわけです。そんなスポーツとして扱われながら、一方でプロレスと一緒だよ、大目に見ようよというのは筋が通りません。
で、どう解決するかですが、今やっているようなやり方が効果がないことは一目瞭然です。発覚すれば厳罰に処されるのが分かっていて、正直に言う人がいるはずがありません。それだけ純粋な人なら、八百長なんてするはずがありません。
八百長とは、言ってみれば、スポーツ界の談合です。経済界で談合を撲滅するためにとった手段が何かと言えば、「過去は問わない。今後するな」ということでした。過去にやったものをとがめだてしたら、誰も何も言わなくなります。そこで過去のことは不問に付すとしたのです。その代わり、今後談合したときには厳罰にするということで、止めることへのインセンティブを働かせたのです。
心情的に納得できないかもしれませんが、無記名で過去は問わないとしなければ、実態をとらえることはできません。実態が分からなければ対策を取ることもできません。いったん、過去をリセットして、実態をつかんで対策を練ることが必要だと思います。例えば、誘因の一つと言われることに、関取と言われる十両以上と幕下以下の待遇の違いがあります。幕下以下は給与がないというあまりの待遇の違いに、十両にとどまるためには、何でもやるという風潮が生まれると言われます。だったら、十両以上の支給額を減らしても、幕下以下にも給与を払うことが必要になります。
そもそも、(部屋で飯を食わせてもらい小遣いをもらったとしても)幕下以下が正式な給与をもたないというのはおかしすぎます。貧しい時代には、腹いっぱい食べさせてもらえることも魅力だったでしょうし、番付が上がることによって別世界のような生活を手に入れられることに対して、ハングリー精神をかきたてたことも理解できます。しかし、今や時代が違いすぎます。他のスポーツとの人材争奪でも後れをとって、日本人力士の停滞を招いているのも、こうしたところに原因があると思います。
こうした旧弊が残るのも、相撲協会が文科省の管理下にある財団法人だということも一因です。財団から、もっとオープンなシステムをもった民間団体にすることが必要でしょうね。そして、経営する人材も外部から招いた方がいいでしょうし、親方株や一門など、伝統・文化とは言えないような旧態依然とした仕組みを改革することが必要だと思います。本当に相撲界の覚悟が問われますね。
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