レスリングが2020年のオリンピックの中核競技から外され、復活を目指すソフトボールなどと1枠を争っています。TVニュースで、この協議の参加していたIOC理事へのインタビューをしていましが、その中で述べていたことは、以下のようなことです。
曰く、「レスリングは視聴率が低い、同じことの繰り返しに見える、ルールが複雑すぎてアピール度が弱い。ルールを変えて、見せ方を工夫すべきだ」。
「我々の選考の基準は競技の近代化であると非常に明確だ」と、強い口調で語る割に、言っていることは、まったく論理的ではありませんし、スポーツの本質を踏み外すものです。
スポーツのルールは、そのスポーツ特有の理由があってそうなっているものであって、競技をより良くするための変更はあってしかるべきでしょうが、素人受けするため、分かり易くするためだけに、ルール変更をして、競技の本質を損なうのであれば、本末転倒です。
オリンピックの商業主義が叫ばれて久しいですし、IOCがヨーロッパの貴族のサロンのように、一部の勢力によって支配されていることもよく言われることです。とても、公正なルールの下で戦うスポーツの精神や五輪憲章とは程遠いものです。ノルディックのジャンプや複合、F1などで日本が力を発揮すると、すぐにルール変更が行われたことによく似ています。
レスリングは、古代オリンピックからある伝統的競技ですが、現在のヨーロッパでは盛んではなく、ヨーロッパ辺境のロシア、トルコや、中東・日本などのアジア、新世界アメリカなどが強いということで、要はヨーロッパとしては関心が薄いということです。
その一方で、はるかに知名度や競技人口が少ない競技が中核競技に残っていたり、同じ土俵に登って次の中核競技入りを目指しています。本当に愚かなことで、こんなことを続けていたら、いつか破綻をしてしまうと思います。
理想主義ですべてが解決するとは思いませんが、「スポーツとは何か」=何が見るものの心を打つのか(それはルールの分かり易さだけなのか?)ということを考えた大会としなければ、折角続いてきたオリンピックもその価値を減じていくと思います。そうしないためには、本当の競技をしたことがあるかどうかも分からない、年寄り貴族ではなく、開かれた委員たちによる運営が求められます。
しかし、国会議員がなかなか定数削減が出来ないのと同じように、自ら特権を握る貴族たちがそれを手放すとは思えません。国際政治の難しさです。
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