最近、思うことを拾い出しました。
エールになるかどうかわかりませんが、応援歌です。
************
自然の摂理や人間の性の営みに反して、妊娠を計画的にし、子どもを「造る」という行為を行っていませんか。
わずかな知識と間違った常識で、お産を考え、妊娠情報誌やくだらない雑誌を鵜呑みし、それをお産の現場で、美容院のヘアーカタログのように切り取って、このようなスタイルのお産をしたいと希望を述べる。
自然の摂理にかなった生活をしていないとお産はうまくいきません。
お産は「病気」ではありません。本来お産は「産婦」自身が主体となってするものです。
医師は、異常があった場合に介入するものではないでしょうか。
だからこそ「感動」があるのです。
「親になっていない妊婦」の自分勝手な屁理屈や義務も果たさず権利を主張し、医師まかせのお産をするから、お産がつらくなるのです。
気に入らなければ「医師を責め訴訟」をする、それでは医師はやってられません。
裁判に使うエネルギーや心的苦痛ははかり知れません。
医師が患者を選ぶ時代がやってくるのではないでしょうか。
それも当然だと思います。信頼関係が構築できる妊婦しか受け入れない、それはリスクをさけるためには当然です。医師も自分を護らなければならないのです。
感動や感謝のない医療はむなしいものです。
お産には、悲しい現実もあります。赤ちゃんや産婦にトラブルも起きます。
お産にはそのようなことは当然起こります。
お産には100%の安全はありません。
お産は、カタログどおりにはいきません。
こころと体が出来てなければ、お母さんにはなれません。
ままごと遊びの「お母さん」です。だから育児不安等ということが起こるのです。
最近の子どもは、「ままごと遊び」ができません。
家で親がする「家事」をみていないから出来ないのです。
コンビニやマクドナルド、ピザの出前や回転寿し、レトルト食品の暮らしでは、ままごと遊びは電子レンジで遊ぶか、おもちゃのレジスターで遊ぶのが関の山。
お料理をつくったりのごっこ遊びはできません。情けない、情けない。
これらの「遊び」はその子が結婚したら自然に家事や調理ができるようになります。
親の姿を学び、脳裏に焼き付け、自分が親になったときに自然と出来るものです。
お人形遊びは、自分が親からされた育児の復習です。親になったときに自然に授乳行動や赤ちゃんの抱っこやおんぶができます。子育てに役立つ様々な情報は「親からされたこと」が自然に甦ってできるのです。
ままごと遊びをしている子どもをみると「安心」します。親の育て方ができていると思えてうれしくなります。
お産についてもう一度考えてください。
一生に数度だから豪華な「人任せのお産」ではないのです。
お産は、自分でするものです。
人任せではいいお産はできません。
いいお産とは、自然分娩もさることながら「帝王切開」でもいいお産です。
条件が良ければ、赤ちゃんが自分の力でこの世に生を受けることが望ましい。
赤ちゃんも必死に努力をし、命がけで自力で出てきます。
そのためには、妊娠初期からお産まで、産婦が心身の準備をし、納得したかたちで、すべてが順調に進まなければ不可能です。
何度かお産に立ち会っていますが、いいお産をした赤ちゃんは満足感に浸って、お地蔵さんのようないい笑顔をしています。
その顔を見てお母さんも充実感あふれた顔をしています。
妊娠中に育まれた愛着が、最初のご対面でよりたしかなものになります。
お母さんの胸の上で母の愛に包まれて至福の時間を過ごします。
胎盤の娩出や後産の処理の間、カンガルーケアをし、最初の授乳をしてもらいます。
このようなお産をするためには、医者や助産婦任せのお産では絶対に出来ません。
いいお産をするためには、妊娠中の努力が必要です。
エールになるかどうかわかりませんが、応援歌です。
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自然の摂理や人間の性の営みに反して、妊娠を計画的にし、子どもを「造る」という行為を行っていませんか。
わずかな知識と間違った常識で、お産を考え、妊娠情報誌やくだらない雑誌を鵜呑みし、それをお産の現場で、美容院のヘアーカタログのように切り取って、このようなスタイルのお産をしたいと希望を述べる。
自然の摂理にかなった生活をしていないとお産はうまくいきません。
お産は「病気」ではありません。本来お産は「産婦」自身が主体となってするものです。
医師は、異常があった場合に介入するものではないでしょうか。
だからこそ「感動」があるのです。
「親になっていない妊婦」の自分勝手な屁理屈や義務も果たさず権利を主張し、医師まかせのお産をするから、お産がつらくなるのです。
気に入らなければ「医師を責め訴訟」をする、それでは医師はやってられません。
裁判に使うエネルギーや心的苦痛ははかり知れません。
医師が患者を選ぶ時代がやってくるのではないでしょうか。
それも当然だと思います。信頼関係が構築できる妊婦しか受け入れない、それはリスクをさけるためには当然です。医師も自分を護らなければならないのです。
感動や感謝のない医療はむなしいものです。
お産には、悲しい現実もあります。赤ちゃんや産婦にトラブルも起きます。
お産にはそのようなことは当然起こります。
お産には100%の安全はありません。
お産は、カタログどおりにはいきません。
こころと体が出来てなければ、お母さんにはなれません。
ままごと遊びの「お母さん」です。だから育児不安等ということが起こるのです。
最近の子どもは、「ままごと遊び」ができません。
家で親がする「家事」をみていないから出来ないのです。
コンビニやマクドナルド、ピザの出前や回転寿し、レトルト食品の暮らしでは、ままごと遊びは電子レンジで遊ぶか、おもちゃのレジスターで遊ぶのが関の山。
お料理をつくったりのごっこ遊びはできません。情けない、情けない。
これらの「遊び」はその子が結婚したら自然に家事や調理ができるようになります。
親の姿を学び、脳裏に焼き付け、自分が親になったときに自然と出来るものです。
お人形遊びは、自分が親からされた育児の復習です。親になったときに自然に授乳行動や赤ちゃんの抱っこやおんぶができます。子育てに役立つ様々な情報は「親からされたこと」が自然に甦ってできるのです。
ままごと遊びをしている子どもをみると「安心」します。親の育て方ができていると思えてうれしくなります。
お産についてもう一度考えてください。
一生に数度だから豪華な「人任せのお産」ではないのです。
お産は、自分でするものです。
人任せではいいお産はできません。
いいお産とは、自然分娩もさることながら「帝王切開」でもいいお産です。
条件が良ければ、赤ちゃんが自分の力でこの世に生を受けることが望ましい。
赤ちゃんも必死に努力をし、命がけで自力で出てきます。
そのためには、妊娠初期からお産まで、産婦が心身の準備をし、納得したかたちで、すべてが順調に進まなければ不可能です。
何度かお産に立ち会っていますが、いいお産をした赤ちゃんは満足感に浸って、お地蔵さんのようないい笑顔をしています。
その顔を見てお母さんも充実感あふれた顔をしています。
妊娠中に育まれた愛着が、最初のご対面でよりたしかなものになります。
お母さんの胸の上で母の愛に包まれて至福の時間を過ごします。
胎盤の娩出や後産の処理の間、カンガルーケアをし、最初の授乳をしてもらいます。
このようなお産をするためには、医者や助産婦任せのお産では絶対に出来ません。
いいお産をするためには、妊娠中の努力が必要です。