相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

相模原麻溝公園の「グリーンタワー展望台」からの眺望!!

2020-12-03 16:12:44 | 公園・庭園
相模原市南区麻溝に四季の花が絶えない市民の憩いの場、オアシスとなっている「相模原麻溝公園」はある。当園のシンボルはなんといっても芝生広場、花の谷脇に聳える高さ55mの「グリーンタワー展望台 」である。展望台までの高さは38m。相模原に古くから伝わる伝説の巨人「でいらぼっち」の気分で相模原市を見渡せるようにと高さが決定された。自然と調和したデザインと茶系の外観、塔屋には美しい音色を奏でる12鐘のカリヨンを備えている。展望室は全面ガラス張りで晴れた日はこの展望台からは相模原の街並、相模原公園の真っ赤に紅葉したメタセコイア並木や近くではキャンプ座間、ギオンスタジアム、遠くは「丹沢や大山」の山並み、多摩丘陵、30km先の横浜・湘南の「ランドマークタワー」、江の島灯台、そして遥か遠く60km先の「東京スイカツリー」と360度の大パノラマを見渡せる。この素晴らしい景色、眺望は展望台に上った人だけが頂けるご褒美である。(2011)
 
 
 
 
 

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賜御朱印寺、達師法縁の「法光山妙正寺」伽藍の威容!!

2020-12-03 10:02:30 | 寺院
東京都杉並区清水に旧本山は中山法華経寺とし達師法縁(関東八檀林の中村檀林東法眷=真如庵に属す)日蓮宗寺院「法光山妙正寺」はある。創建は文和元年(1352)。近隣にある妙正寺池&妙正寺公園やそこを水源とする妙正寺川は当寺院名の由来となっている。本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏、日蓮聖人、十界諸尊。文和元年(1352)に下総国の中山法華経寺第3世=日祐上人が妙正寺池のほとりに堂を建て、法華経守護である天照大神・八幡大神・春日大社など三十番神を勧進し奉ったのが興りである。正保3年(1646年)に社殿を再建し、慶安2年(1649)に徳川家光将軍が鷹狩りで立寄った際に葵の紋幕と朱印地・五石を賜御朱印寺となる。「山門」、「寺号標」を抜けると境内正面に入り母屋造りの「本堂」(天保元年=1830に焼失、天保3年=1832再建、昭和6年=1931に改築)がある。本堂には本尊の他、鬼子母神像、弁財天が祀られている。本堂右に「客殿」、「庫裏」、右に「三十番神堂」、鐘楼堂がある。境内社として「瘡守稲荷神社」(病気平癒)、正一位稲荷(五穀豊穣)のがある。(2011)
 
 
 
 
 
 
 



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座間入谷に小桜姫伝説がある「水上山龍源院」

2020-12-03 09:15:03 | 寺院
座間入谷に小桜姫伝説で知られる曹洞宗寺院「水上山龍源院」はある。渋谷高間が現在の富士山公園の西側の麓に永享間(1429~41)に建てたと伝わる。渋谷高間の娘「小桜姫」が後妻に殺され、後妻の子「小柳姫」も同情し自殺したことを弔うため屋敷を寺とした。創建は寛永2年(1461)、山梨県上野原の清源院八世・格雲守存を請して開山、清源院の末寺となる。本尊は釈迦である。当初上野原清源院八世格雲守存を開山として寛正2年(1461)入谷丸山下に創建。その後弘治年間に現在地へ移転し天保年間(1830年)には寺子屋を開き教育の場でもあった。明治5年(1872)には座間小学校の前身「風牛学舎」があった。二世実州は夜夢枕にたった白蛇のお告げから財宝・五穀豊穣を祈念して「弁財天」を造立した。境内社に龍天善神社、稲荷社、白山社が祀られている。このような歴史と由緒をもつ当寺の「本堂」は90年前(1927)に建てられ老朽化により4年前に美麗な入り母屋づくりの「本堂」が落成した。以前は本堂前の参道に梅の並木があったが本堂再築でなくなってしまった。かわりに本堂右横には枯山水庭が造られた。「山門」前には「寺号標」と「六地蔵」、広い境内には庫裏の裏に「弁財天」が祀られており、今もこんこんと湧き出ている「龍源院湧水」がある。(2011)
 
 
 
 
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