相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

座間栗原小学校発祥の地「法林山専福寺」

2020-12-26 20:55:03 | 寺院
座間市栗原中央に真宗高田派寺院「法林山専福寺」はある。創建は不詳ながら村人が建立、了山の開基と伝えられる。境内には明治12年(1879)に栗原小学校が設置されているのでそれ以前と推定される。真宗高田派は三重県津市の専修寺を本山とする浄土真宗の一派である。親鸞の門弟「真仏」、「顕智」が率いる下野国高田の専修寺を中心とする高田門徒の流れを汲む。末寺数は約640寺。本尊は阿弥陀如来。県道44号線、246号線前の立野台信号を左折、坂の右に建てられている「寺号標」を抜けると正面に銅板葺き入り母屋造りの「本堂」、左に「庫裏」がある。境内右手に「如来像」と史跡となっている「栗原小学校跡地」の説明版が建てられている。この間70年間栗原地区の児童はここに学びここを基盤に成長していった。学校の開校を祝して「山岡鉄舟」が来村し「栗原学校」の文字を揮亳した。この扁額はいまも保存されているという。(2012)
 
 
 
 
 


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町田の「忠生公園」では80本の「ロウバイ」が大競演中!!

2020-12-26 17:58:39 | 公園・庭園
町田市忠生に多摩丘陵の典型的な谷戸の地形を生かした「忠生公園」はある。公園面積は8.1ha。昭和52年(1977)に第1期区域が開園。その後公園を拡張する形で半分以上は谷戸の自然をそのまま残した自然観察園として平成9年(1997)に第2期区域を開園した。園内には子ども広場、花見の広場、展望広場や運動場(ソフトボール)、展望台、忠生公園自然観察センター「忠生がにやら自然館」がある。公園に一歩足を踏み入れると「がにやら自然館前」に造られた「ろうばい苑」から甘い香りがいっぱい匂い漂ってくる。この「ろうばい苑」は町田の名所で現在80本の「マンゲツロウバイ」「ソシンロウバイ」が植栽されている。「ロウバイ」は花の中心に紫褐色の斑が入らず透き通るような黄色一色が「ソシンロウバイ」、花の中心に紫褐色の輪が入る「マンゲツロウバイ」、「ワロウバイ」がある。「ロウバイ」は古くから和歌や画題にもされてきた魅力に満ちた花である。蝋梅の名前は「蝋梅」(中国名:ラーメイ)からきている。花の色や光沢が蜜蝋を連想させ、臘月(陰暦の12 月)に花が咲くことから付いた。英名では「Winter sweet」(ウインタースイーツ)と呼ばれ、花言葉は「慈愛」である。これだけ多くのロウバイが一斉に咲き揃うと苑一帯は黄金色か琥珀色に輝きまるで後光がさしているような高貴な美しさである。この時季希少な花のロウバイ、まだ蕾をつけている木もあるので今月いっぱいは美しい花姿を披露してくれそうである。(2012)
 
 
 
 
 


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海老名郷五村の総鎮守「有鹿神社」

2020-12-26 08:47:40 | 神社
海老名市上郷に江戸時代には海老名郷五村の総鎮守で「お有鹿様」と呼ばれている「有鹿神社」は鎮座している。創建年は不詳だが、天平勝宝6年(754)には藤原廣政が神祠を補修、その翌々年には墾田五百町歩を寄進の記録がある。日本三代実録には貞観11年(869)に 従五位上に昇階との記録あり有に1300年近い社歴ということになる。室町の大乱により美麗な社殿と広大な境内を喪失した後、再建され今日に至っている。神奈川県県央に流れる鳩川(有鹿河)沿いに形成された地域(有鹿郷)に鎮座する神社であり本宮、奥宮、中宮の三社からなる相模国延喜式内中随一の社格を有する神社である。鎌倉時代に神社界の最高位である「正一位」を朝廷より賜っている。この時期の社殿は豪奢であり有鹿神社の神宮寺である総持院と合わせ十二の坊舎が甍を並べ、蒼々たる大境内を誇っていた。「鳥居」を潜ると正面に元和8年(1622)に再建された本殿を覆う覆殿、幣殿、拝殿の三東一宇の「社殿」、「神楽殿」、「鐘楼」がある。また境内社として日枝、稲荷、諏訪、「有鹿天神社」がある。「有鹿神社」の奥宮は勝坂遺跡の一角に小さな祠がある。(2012)
 
 
 
 
 
 






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