相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

雨水調整池に二種のサギがやってきた!!

2020-12-16 16:42:27 | 生物&動物、動物園
相模原市南区新磯野に1600世帯というGPマンモス団地がある。ここの敷地内には雨水を貯蓄する広さは400㎡ほどの「雨水調整池」がある。通常雨水が引いた半分は広場グランドとして少年野球のグランドとして使用されている。半分は雨水池として冬場に時折「カモ」が数十羽やってきて雛を孵している。今日そばを通りかかると珍しく二種の「アオサギ」「チュウサギ」いた。サギはペリカン目サギ科の鳥で世界に72種、国内に19種いる。他にゴイサギ、ササゴイ、アマサギ、ダイサギ、コサギ、シラサギがいる。しばらくすると一羽の「カモ」も飛んでやってきた。しばら動きを止め池の中で休息中かと思いきや池に頭と嘴を突っ込み捕餌し始めた。縄張り争いなのか時折灰色の「アオサギ」が「シラサギ」を追いかけまわし、威嚇し合っていた。撮影の機会到来、早速フォーカスしてみた。(2012)
 
 
 
 
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「小田原城」のお堀の鳥たち!!

2020-12-16 10:40:46 | 野鳥
小田原市城内に難攻不落の城と言われた「小田原城」はある。日本100名城にも数えられ市内のどこからでもその美しい姿を見ることができる小田原のシンボルである。小田原城の築城は応永24年(1417)で別名は「小峯城」、「小早川城」とも呼ばれる。「小田原城」は武田信玄や上杉謙信といった武将でも攻め落とせなかった天下の名城である。この城の特徴は何といっても豊臣軍に対抗用に作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9㎞の土塁と空堀で取り囲んでいる。城を囲む防御のもう一つはお堀がある。堀には「水堀」と「空堀」がある。城が平地の場合は河川から水を引き入れる水堀、山や台地にある城は水を引けないことから空堀となる。小田原城は小高い山や丘に築かれた平山城であり水堀となっている。そのお堀は「渡り鳥」(カモ)たちの越冬場であったり、海が近いこともありカモメたちも休息に捕餌にやってくる。御茶壺橋、学橋、住吉橋あたりにはハシビロガモ、カワウ、ユリカモメ、オオバン、カルガモも見ることができるバードウォッチングスポットである。(2012)
 
 
 
 
 




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小田原に「延命地蔵尊」(大仏)を安置する「龍珠山徳常院」

2020-12-16 09:45:40 | 寺院
小田原本町に八百屋お七に関係深き大きな「延命地蔵尊」(大仏)に安置されている曹洞宗寺院「龍珠山徳常院」はある。本尊は虚空蔵菩薩。創建は元和元年(1615)。延命地蔵尊の説明板には「江戸駒込八百屋お七の恋人、吉祥寺の寺小姓吉三郎がお七の菩提を弔う為に作った大きな地蔵尊という伝説があるので、吉三地蔵なる別称を持つ銅製の地蔵尊像である。この尊像はもと箱根芦ノ湖畔の賽の河原に安置されていたもので像背名によれば江戸「増上寺」塔頭にいた心誉常念が正徳3年(1743)神田鍋町の鋳物師太田駿河守に作らせ世の平穏を祈ったものであったが、明治2年(1869)の廃仏毀釈で箱根権現が従来の神仏混合形態から神社と寺が分かれることになり金剛王院は廃止されたので、その管理の本地蔵尊は古物商に売渡された。これを東京の業者が買い、馬車でこの海岸に運び、海路輸送をしようとした処、尊体は地を離れず、浜名主等の夢枕に立ったり、また尊体に触れた人々は発熱する状況であったので見聞きした人は、お賽銭を上げ、見る間に4斗樽にいっぱおになったと言われる。そこで。当時の世話人や町の有志が65両で商人から尊像を買取り、当寺に安置したものである。大正12年(1923)の関東大震災の時、本尊は火災に遭ったが損傷はなく、戦時の金属回収も免れた」とある。無量寺の左隣りの住宅街の一画に「山門」(石柱門)が構えられている。境内の正面にコンクリート造りの「本堂」、右に「大仏殿」がある。(2012)
 
 
 
 
 
 

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