相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「相模原麻溝公園」では金平糖の様な「ヒメツルソバ」が可憐に!!

2020-12-11 17:44:02 | 公園・庭園
相模原市南区麻溝にクレマチスやアジサイなど四季の花が絶えない「相模原麻溝公園」はある。今、花の谷の一画の花壇に匍匐性で地面を這うようにまるで金平糖の様なピンクや白色の1㎝ほどの小さな丸い花をびっしりと咲かせている。公園や個人のお庭や路地でよく見かける花で名前を調べていくと「ヒメツルソバ」(旧属名はポリゴナム)であることが分かった。この花はヒマラヤ原産でタデ科イヌタデ属(ペルシカリア属)の多年草でグランドカバーとしても人気がある花である。そもそも花名にソバが付くのはどうやら「ソバの花」によく似た小花を多く咲かせることか付けられたようである。葉は緑色でV字形の茶色い模様が入り秋になると紅葉してくれるなんとも可愛らしい花である。(2012)
 
 
 

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小田原に徳川家康公ゆかりの寺「不老山無量寺」

2020-12-11 10:09:35 | 寺院
小田原本町に徳川家康公縁由の浄土宗寺院「不老山無量寺」はある。無量寺の開山は天正元年(1573)專蓮社成譽松上人がこの地に念佛精舎の寺を創建したのが始まりである。本尊は阿弥陀仏。天正18年頃小田原北条氏落去後、徳川家康公が小田原城内外や市中を巡覧の際に当寺の山門の額に「不老山」の文字と寺号「壽松院」が縁起のいい寺であると興味を抱かれまた家康公は松平家の浄土宗であることからその因縁深きことに感銘され、林貞和尚を陣営に召され法話させたという。文禄3年(1594)徳川家康公、関東移封、江戸開府と定まると公の命により、当寺を本寺として江戸鍛冶橋内に分寺(現浅草新堀町壽松院)を建立した。以来、当寺は度重なる火災や関東大震災により倒壊等幾多の災いにも再興を果たし「徳川家康公縁由之寺」として現在に至っている。本町住宅街の一画に「寺号標」寺門が構えられている。横には「徳川家康公縁由之寺」石柱が建てられている。境内正面に入り母屋造りの「本堂」、左に庫裏がある。境内左には当寺関係と思われる墓石がある。(2012)
 
 
 

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旧小田原宿の鎮守「報徳二宮神社」の紅葉ベール!!

2020-12-11 09:53:01 | 神社
小田原市本町(小田原城二の丸小峰曲輪の一角)に明治より地元に根付き愛される緑豊かな「報徳の杜」に二宮金次郎(尊徳)祀る「報徳二宮神社」はある。明治27年(1894)二宮尊徳翁の教えを慕う6ヶ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により翁を御祭神として生誕地ある小田原に神社が創建された。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し神宛を拡張し現在の社地の景観が整えられた。平成6年(1994)創建百年記念奉告祭を斎行、すでに120年を迎えようとしている。境内には神明造りの「社殿」、「祈祷所」、「社務所」、「授与所」、「手水舎」、お馴染薪を背負った「二宮金次郎像」、後の「尊徳翁像」、二宮翁夜話を著した「福住正兄翁碑」に「神池」、近くには尊徳の資料を展示した「報徳博物館」、「報徳会館」、 「きんじろうカフェ」がある。尊徳の教えは「積小為大」。小さい努力の積み重ねが大切である。怠け者には耳の痛い言葉であるが、境内はモミジの紅葉ベールに包まれ幻想的な神域となっていた。(2012)
 
 
 
 
 
 





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