南区相模大野も唯一老舗百貨店伊勢丹が閉店、建物は現在取り壊し中でその隣には相模女子グリーホール、図書館に隣接し地域住民の憩いの場として親しまれている「花と水と緑」がテーマの公園「相模大野中央公園」はある。当園は今年はコラナ感染防止で開催されなかったが「大野もんじぇ祭り」や「ハロウィン」など各種イベント会場である。園内には四季を通じて季節のいろいろな花が咲き乱れ先月末から紅葉で彩られる。相模湾をイメージした池と噴水、幾つもの遊具と砂場のある「チビッコ広場」、風の広場、水の広場、語らいの広場、集いの広場、四季の道などがある。園内ですでにピークを過ぎ落葉が始まっているがまだ紅く染まった「モミジ」、オレンジ色、黄色く紅葉した「落葉樹」、「ドウダンツツジ」が公園を美しく彩りラストステージを形成している。(2012)
今年の三大流星群の一つ「ふたご座流星群」の活動は明日10時頃に極大、ピークを迎える。とくに今日(12/13)の夜から明日(12/14)の明け方にかけてその流星現象が見られそうだと報じている。日付が14日に変わる頃、空の暗い場所では最大で1時間あたり55個前後の流星が見られるととのこと。今年は極大が日本で観察しやすい時間帯に比較的近い上、15日が新月のため月明かりの影響もなく、かなり良い条件でたくさんの流星を観察できると期待を抱かせる。しかし今現在(16:00)あいにくの曇天である。果たして現れてくれるだろうか?深夜2時頃は放射点がほぼ天頂に位置することから、流れ星が真上から降ってくるように見え、明け方にかけて流れ星を見られるチャンスが続くとのこと。しかも流星は放射点を中心に放射状に出現するため放射点の方向だけに現れるのではなく空全体に現れるられるということなので空の広範囲を見渡すように、隅々まで目を凝らさないと難しいようである。あと5時間、とにかく天候次第、晴れてくれることを祈り待つしかない。( 2012)
小田原市城内に難攻不落の城と言われた「小田原城天守」はある。市内のどこからで美しい姿を見ることができ小田原のシンボルとなっている。小田原城の築城は応永24年(1417)で別名は「小峯城」(小峰城)、「小早川城」(小早川館)とも呼ばれる「平山城」(城郭構造)である。築城主は大森頼春。現在目にしている小田原城天守閣は江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に鉄筋コンクリート造で再築されたものである。日本100名城にも数えられる「小田原城」はその昔、武田信玄や上杉謙信といった武将でも攻め落とせなかった天下の名城である。最近では天守閣の大規模な改修工事も終わり2016年から一般公開が再開されている。この城の特徴は何といっても豊臣軍に対抗用に作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9㎞の土塁と空堀で取り囲んでいて、後の豊臣大坂城の惣構を凌いだものとなった。天守構造は複合式層塔型3重4階(1633年築)である。小田原城天守は1階建の小天守、続櫓、3重4階の大天守の構成からなる。大天守は見た目は3重であるが、1重目は2階に別れ、4階建の天守となる。5重天守の規模で天守のみの高さは27.2m、天守台石垣高さは11.5m、総高38.7mである。本丸広場の海抜29.7m、合わせて海抜約70mとなる。1重の屋根には出窓の上に切妻破風と千鳥破風、出窓は3箇所に施されている。2重目の屋根には比翼千鳥破風と軒唐破風、入母屋造りの屋根には入母屋破風と軒唐破風と鯱が施されている。天守閣は白亜の壁が美しい約40mもの高さを誇る小田原のシンボル。コンパクトに見えるが真近で見ると大迫力が感じられる天守である。(2012)
小田原市本町に京都妙満寺を旧本山とする旧顕本法華宗、什師門流・禹師法縁で日蓮宗の寺院「青陽山妙経寺」(大乗院)はある。創立(創建)は本亀(1501~1504)年間。開山は日浄(永正16=1519寂〕。もとは足柄上郡金子村にあり真言宗であった。永正の初め七里法華開教の祖、京都妙満寺16世日泰が宗祖旧跡拝礼のため関本村に一泊時、真言宗僧(帰依し日浄と改め)が一宇建立のため北条早雲に出願、許されて日蓮宗に改め「青陽山妙経寺」(大乗院)を創立した。明和8年火災で全焼、仮堂再建間もなく安永5年に再び類焼被災。さらに関東大震災で古文書・記録などを全て消失しているため現在地に移った経緯は不明である。御幸の浜通りの住宅街の一画に鎮座、「寺号標」(寺門)より参道を進むと正面に入り母屋造りの「本堂」、右に庫裏がある。境内一画には鏡信一刀流西原銕兵衛相久の墓がある。真向かいには毘沙門天を祀る「妙泉寺」がある。