相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「キョウチクトウ」のピンクの花に出逢った!!

2021-06-13 17:10:22 | 
相模原市南区新磯野に1600世帯という大規模マンション「相武台グリーンパーク」はある。敷地内通路や花壇で河津桜や梅、桜、アジサイなど四季の花、秋は紅葉で彩られる。今、花壇の一画で「キョウチクトウ」(夾竹桃)がピンクの可愛らしい花を開花させ披露中である。花びらが幾重にも重なりバラのようでもある。インド、中近東が原産、梅雨時から晩夏に芳香のある花を咲かせるキョウチクトウ科キョウチクトウ属の非耐寒性常緑小高木。春から初夏に枝先で花芽がつくられちょうど今頃から順次開花する。葉は光沢のある緑色で細長く、葉の付き方は輪生。一見竹のようである。この花は剪定時に切り口から出る白色の乳液には毒の成分が含まれている厄介な要注意の植物でもある。(2106)
 
 
 
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「アジサイ」咲き誇る瀬谷村の鎮守「瀬谷日枝社」

2021-06-13 13:32:14 | 神社
横浜市瀬谷区本郷に地頭松波氏が崇敬、瀬谷村の鎮守「瀬谷日枝社」は鎮座している。創建年代(伝)は鎌倉時代。天文7年(1538)には小田原北条の陣屋が当社隣接の台地に設けられた際、その地頭松波内蔵崇拝の社として敬われた。瀬谷八幡社、瀬谷諏訪社、瀬谷左馬社と共に瀬谷村の鎮守社であった。祭神は伊弉諾命、伊弉冊命。往時より「山王様」と呼ばれ山王権現「大山咋尊」を奉祀していたが明治元年の神仏分離令により日枝社に改められた。「石鳥居」を抜けると参道の奥正面に昭和8年(1933)の改築の「社殿」、右に「神楽殿」がある。庚申塔天和3年(1683)他4基、地神塔(年代不詳)、石祠(蚕神)がある。当社には社殿右横に「かながわの名木100選」、「横浜市文化財天然記念物」の指定を受けた樹齢350年の「大ケヤキ」が聳えている。樹高は約40m、周囲5mの大きさである。米軍厚木基地の飛行機はこの神社の「大ケヤキ」を目標にしていたと云われているほど大きい。鳥居の傍に植栽された20株ほどの青とピンク、白の「アジサイ」が満開となり見頃を迎えていた。(2106)
 
 
 
 
 
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江戸末期建築の薬・雑貨商建造物の「旧小倉家住宅」

2021-06-13 07:50:20 | 建造物
大和市下鶴間、矢倉沢往還(大山道)の下鶴間宿があったところに大和市指定重要文化財施設である「下鶴間ふるさと館」(2006/4開館)はある。この「ふるさと館」には江戸末期に薬など雑貨商を営んでいた「旧小倉可光家住宅」の母屋と白壁の「土蔵(袖倉)」を復元した建物が移築されている。宿場の商家建築としては県内でも数少ない建物で、「母屋」は江戸時代の建築遺構で木造銅版葺きの「入母屋造り」、「四間取り」となっている。平成7年の解体調査の際、ザシキの床板から見つかった墨書きの落書には「安政3年」(1856年)という年紀のほか、大工と思われる「石田利三良」という名前、さらに黒船の絵などが書かれている。「下鶴間宿」には紺屋、げんこく屋、かたい屋、そば屋、馬喰等の屋号を持った染め物屋・居酒屋・餅屋・質屋などの商家、山本屋・松屋・三津屋・松葉屋・角屋・ちとせ屋など20軒の旅籠があった。この宿場が賑いをみせたは幕末頃である。矢倉沢往還は宿場の中で瀬谷と町田を結ぶ通りと交差してることから、その辻には「高札場」があった。これは幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き人目の惹くように高く掲げておく場所であった。(2106)
 
 
 
 
 



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