相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

鮮やかなオレンジ色の「ヒメオウギズイセン」の可憐な花!!

2021-06-21 14:25:46 | 
鎌倉市極楽寺に江ノ電の駅名となっている東国花の寺百ヶ寺、鎌倉唯一の真言律宗寺院「霊鷲山極楽寺」は鎮座している。創建は約760年前の正元元年(1259)。鎌倉時代に忍性が開基、執権北条重時が開山。本尊は釈迦如来。中世には子院49ヶ院を有する鎌倉有数の大寺院であった。今、山門前や境内参道には本数はさほど多くないがアジサイが見頃を迎えている。そのアジサイに埋もれる様に「ヒメヒオウギズイセン」が鮮やかなオレンジ色の可憐な花を咲かせている。南アフリカ原産で明治時代中期に日本に渡来した。アヤメ科クロコスミア属。和名は「姫檜扇水仙」、その他「モントブレチア」、「トリトニア」の名前もある。茎の上部に2、3本に分枝した穂状花序をだし左右に1個づつ交互に連なって咲く。花弁は雄しべ3と先端が3裂、雌しべが1本ある。開花を待つ蕾がなんとも行儀よく並んでいる。梅雨期に太陽のようなオレンジ色の花は夏到来を感じさせてくれる花である。丈夫で良く増える植物で繁殖力が強い花である。(2106)
 
 
 
 
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新林公園内に柄沢の旧家「旧小池家住宅」 の全容!!

2021-06-21 13:50:02 | 建造物
藤沢の中心街からほど近い川名字新林に残された緑の谷間に広がる「新林公園」はある。園内の池の辺の一画に柄沢地区から移築された茅葺の古民家「旧小池邸母屋」がある。この古民家は新編風土記に表されている江戸時代に名主を務めた柄沢の旧家「小池家住宅」(天保12年=1841建造)が昭和58年(1983)に移築された。小池家の先祖は足利尊氏に仕え、江戸時代になって柄沢に移ったと伝えられ、この年は水野忠邦による「天保の改革」が始まった年でもある。「旧小池家住宅」の規模は桁行18.7m、梁間11m、建築面積52坪の寄棟造、茅葺屋根、土壁、石基礎で土台は栗が使われた風格ある建物である。移築された建物は天保12年(1841)に棟上げされたものである。小池家は土間迄に入れ内部を見ることができる。太い大黒柱と立派な梁があり、座敷には囲炉裏もある。部屋の間取りは田の字に配置され、2間半の式台と立派な座敷を備え、名主の住宅らしい格式を有している。養蚕の為と思われる屋根裏もある。平成11年(1999)に「市指定重要文化財」(建造物)指定された。現在は謡曲や琴、俳句の会などの愛好団体に利用される。(2106)
 
 
 
 
 


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極楽寺、稲村ヶ崎全町の鎮守「熊野新宮」

2021-06-21 07:57:11 | 神社
鎌倉市極楽寺に極楽寺、稲村ヶ崎全町の鎮守「熊野新宮」は鎮座している。文永6年(1269)、「極楽寺」の忍性が信仰していた熊野本宮を勧請して創建したのが興りである。鎌倉時代「極楽寺」全盛の当時より「熊野新宮」と号し同寺の鎮守として広く神地を有し、厚く幕府の崇敬を受けて栄えた。殖産興業の守護神として多くの信仰を集め崇められている。永仁6年(1298)に火災で焼失したが、正安2年(1300)再建されたと伝えられている。かつては「極楽寺」の境内にあったが建武2年(1335)に足利直義によって土地が寄進された。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊した八雲神社(極楽寺上町)と諏訪神社(下手ヶ久保)が昭和3年(1928)に合祀された。祭神は日本武尊、速玉男命、素盞嗚命、建御名方命。極楽寺山門から稲村ヶ崎小方向へ、途中〒ポストを右折した先に「鳥居」が構えられている。その正面に昭和2年=1927に再建された「社殿」がある。その左にいくつかの石碑が建てられている。(2106)
 
 
 
 
 




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