小田原市曽我谷津に宗我氏の祖先を祀った曽我の里の総鎮守「宗我神社」はある。宗我播磨守保慶が長元元年(1028)創建。曽我郷六ヶ村(上曽我、曽我大沢、曽我谷津、曽我岸、曽我原、曽我別所)の各鎮守を明治時代に合祀し「曽我の里の総鎮守」としたのが興りである。祭神は宗我都比古之命と宗我都比女之命である。応神天皇、桓武天皇、小沢大明神を配祀している。寛治元年年(1088)には源義家が奥州下向の際に参詣した伝えがある。戦国時代以後、歴代の領主は小田原城の日少宮祭所(守護神)と定め、当初「宗我都比古神社」であったが、その後「宗我大明神」、「小澤大明神」となり明治2年に「宗我神社」となった。下曽我交差点に面したところに大きな「大鳥居」、参道には宗我神社の神主の家に生まれた昭和の代表的私小説家「尾崎一雄の文学碑」が建てられている。「二の鳥居」を抜けると正面に関東大震災で破損し、昭和4年再建の「本殿」がある。境内右手に「尾崎基成の記念石碑」、社殿裏には6基の「石塔群」が祀られている。当社の最大の祭礼は9月末に湘南随一といわれている豪華な深彫り彫刻で飾られた山車が5基並ぶ景観は壮観である。(1802)
相模原市下溝に四季の花で彩られる市民のオアシスとなっている「県立相模原公園」はある。今年は雪が降ったり、寒波で開花が遅れていた当園では遊具広場後方に植栽されている「河津桜」、紅葉の丘の「梅」も咲き始めたのに加え、芝生広場とイベント広場の境界線近くに植栽されている3本の「寒桜(カンザクラ)」が開花し始めた。寒桜は寒緋桜と山桜の雑種で暖地では1月中旬から花が咲きだす桜で「熱海桜」とも呼ばれる。花びらは可愛らしい小輪、一重咲きで淡紅色である。当園もいよいよ春の花シーズンの到来で華やいできた。ムクドリと思われる鳥たちも花蜜を啄んでいた。(1802)
座間市座間に座間の古刹の浄土宗寺院「来迎山宗仲寺」はある。当寺は高遠藩初代「内藤修理亮清成」が実父の「武田宗仲」の菩提を弔う為、慶長8年(1603)に創建した。本尊は阿弥陀如来。徳川家康公も立ち寄ったとされ、元和3年(1617年)家康公の霊柩が久能山から日光へ遷御される際に一行がこの場所にて休息したと伝えられる。当寺には「山門」右手には家康公お手植えの「大樹イチョウ」がある。境内には最近完成した「月影の泉」がありその中央には「大燈籠」が屹立し夜には「本堂」と「燈籠の灯り」が池に映し出され「幽玄な世界」が広がる。山門を抜けると左手奥に「本堂」、本堂左手に「鐘楼」、「水子観音堂」、「清浄殿」がある。山門」そばには3本の「河津桜」が開花し始め華やいできた。本当前の「白梅」、ピンクの枝垂れ梅も満開となった。「清浄殿」その奥にある「彫刻の広場」には「三体の女性像」、「河津桜」と「紅梅」各5本、しだれ「白梅」が満開、紅梅は5分咲き前である。「河津桜」も咲き始めいよいよ「梅花」と「河津桜」の競演が始まった。(1802)
今月10日から360本の「河津桜」を主役とした西平畑公園全「第20回 まつだ桜まつり」が開催されている。既に満開期を過ぎてちらほら新若葉が芽を吹き始めているがまだ「桜回廊」、「桜トンネル」、「桜アーチ」は美しく見応えがある。この「まつだ桜まつり」期間中もう一つの目玉は「子供館」が展示されている「雛のつるし飾り」である。地元の人々が一雛一雛を手作りしたという色とりどりの愛らしい「雛のつるし飾り」が約6千個も天井から吊るされ飾られている。年々個数が増え今は室内全体が立錐の余地もないほどたくさんである。この「雛のつるし飾り」は江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習「吊るし飾り」のことで、長女の初節句に「無病息災」、「良縁」を祈願して雛壇の両脇に細工を吊すもので庶民の雛壇の代りとして作られたのが始まりである。この風習には子を想う親の深く熱い愛情が感じられる。(1802)
府中市南町に広大な敷地(13ha)に各種施設建物や公園があり、「森」全体が野外博物館となっている「府中郷土の森公園」はある。園内は四季の花が咲き乱れ、水辺や池に多くの鳥がやってくる。今「郷土の森公園」の「梅園」では2/3から3/11まで「梅まつり」が開催されている。梅園には60種、1100本の梅が植栽されている。今年は寒い日が続いたがこのところ少し暖かくなり、今「中咲き」が咲きだし梅園は紅白のグラデーションとなりつつある。予報では梅園全体の見ごろは2月末のようである。梅は百花に先駆けて咲くことから「花の兄」とも呼ばれる。気温に敏感な梅花、約60種、1100本の梅が咲き始めから散り際まで日々異なる「旬の美しい花姿」、「華やかな表情」、「甘い香り」、「雅な風情」で春の兆しを感じさせてくれる。(1802)