相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「県立相模原公園」では「ボケ」の花が満開~見頃となつた!!

2019-12-28 13:27:11 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に四季の花が絶えないオアシス的存在の「県立相模原公園」はある。今、紅葉も終わり寂しくなったがイベント広場からグリーンハウスへ向かう途中に小さな花壇にまるで蝋細工のような光沢のある花びらの赤、白、桃色、ぼかしの入ったものといろんな色の「ボケ(木瓜)」の花が見頃を迎えている。「ボケ(木瓜)」の花と言えば春の花であるが、今咲いているのはこの冬季に咲く「カンボケ(寒木瓜)」である。ボケは平安時代に中国から渡来したバラ科の落葉低木で葉より先に根ぎわより分枝したトゲのある小枝に鮮やかな緋色や白色の五弁花が3~4輪まとまって咲き丸く壺のように重ねた独特の花姿をしている。花言葉は先駆者、早熟、情熱、魅惑的な恋、妖精の輝きなどあり、織田信長はこの「ボケ」の花を家紋としている。(1912)






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七百年の寺歴を誇る「月寶山専光寺」

2019-12-28 08:51:21 | 寺院
港区元麻布という一等地に浄土真宗本願寺派寺院、麻布山善福治の支院「月寶山専光寺」はある。当寺は延慶2年(1309)に教念法師の開基が開山。当初芝下町に善福寺住職了海上人の弟子了智(元応2年=1320寂)が延慶2年(1309)に創建「紫村専光寺」と称した。その後寛文5年(1665)、第14代住職智慶法師の時に現在地へ移転した。以降700年以上の歴史を持つ格調高い寺院として法灯が連綿と受継がれている。本尊は阿弥陀如来。南北線「麻布十番駅」から徒歩数分、「麻布山善福寺」の左側に鉄筋コンクリート造りの大きな重厚感ある褐色の三階建ての「本堂」がある。大正11年(1922)に本堂、庫裏、客殿が完成するも昭和20年(1945)の戦火に依り全焼。その後再建されたものであるがその立派さには目を見張る。この一帯には浄土真宗本願寺派「麻布山善福寺」の支院が集まっている。(1912)        
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難波駅前に和のシックな「大阪新歌舞伎座」のフォルム

2019-12-27 13:50:36 | 歌舞伎
大阪市中央区難波、御堂筋の南端、大阪メトロ各線の難波駅の目の前に正面外観は波を打つような連続した唐破風の庇が独特の感じの建物 「大阪新歌舞伎座」はある。2009年に閉館した大阪市中央区の旧新歌舞伎座跡地に建てられたのが19階建ての「ホテルロイヤルクラシック大阪」で、客席は三階、全1,600席を越える大型劇場である。名称に歌舞伎と付いているが現在は専ら演歌歌手や俳優の興行に使用されている。この建物ホテルの設計は新国立競技場を設計したあの「隈研吾」氏である。何といっても目を惹くのが「新歌舞伎座」の屋根の造形を取り入れたデザインで低層部の外観に採用し館内は格子模様や直線美が生む和モダンな空間に仕上げられいかにも和風の歌舞伎座独特のフォルムをしている。「新歌舞伎座」は2010年9月に大阪・上本町に移転して再開場している。(1911)      
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江戸時代蔦木家の菩提寺「連栄山持法寺」

2019-12-27 10:19:13 | 寺院
港区北青山、地下鉄外苑前という一等地に江戸時代蔦木家の菩提寺の法華宗陣門流寺院「連榮山持法寺」はある。法華宗陣門流は日蓮を宗祖(高祖)とし「日陣」を派祖(門祖)の日蓮門下の一派である。白金立行寺第二世日祐が白金立行寺を隠居した後の明暦元年(1655)創建。本尊は三宝尊である。青山通りから左折したすぐ左手にあり「山門=寺号標」を抜けると正面に「本堂」、右手に「庫裏」がある。石塔には「越後国長久山本成寺末寺武州江戸豊嶋郡」、「持代六世感寿院日応」と刻まれている。江戸時代幕臣たちが眠る格式の高いお寺のようで、境内裏手の墓域には檀越となった大久保彦左衛門の分家平左衛門家督「大久保勝次郎」、江戸末期「蔦木家」三代にわたる菩提寺、「井伏鱒二」らの古墓がある。(1912)








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鎌倉小町の鎮守「蛭子神社」

2019-12-27 10:00:07 | 神社
鎌倉市小町に小町大路の中程、滑川沿いに源頼朝、日蓮上人ともゆかりがあり、小町の鎮守でもある「蛭子神社」はある。「ひるこ」と読むが「えびす」とも読むことがある。創建(推定)は1192年頃。主祭神は大国主命、山王大権現。明治の神仏分離により「本覚寺」に源頼朝が鎌倉幕府を開く際に鬼門の鎮守として建てた天台宗系「夷三郎社(夷堂)」を当地に遷され、もともとこの地にあった七面大明神と山王大権現(北条氏の守神)を合祀し「蛭子神社」とした。佐渡配流から戻った日蓮上人が文永11年(1274)頃にこの夷堂に滞在し布教の拠点とした。小町通りの左手にある鳥居を抜けると左手に大正12年(1923)の大震災で倒壊し昭和8年(1933)に再建された「本殿」があり、右手に「神輿庫」がある。本殿の奥そばには滑川が流れている。(1912)            
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