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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ご恵贈御礼ー「放送大学日本史学論叢」

2023-04-28 09:55:39 | 書籍・読書

                           

 「加藤清正妻子の研究」「続・同左」「加藤清正と忠廣ー肥後加藤家改易の研究」など一連の肥後加藤家研究の第一人者の福田正秀氏から頭書の「放送大学日本史学論叢」をご恵贈給わった。
深く感謝を申し上げる。この冊子の中に氏の論考「徳川家康養女清浄院の母方系譜ー清浄院書状を解析するー」が、30ページに亘り掲載されている。
今迄の業績に加え「妻子の研究」は更なる進展をしている。つまり清浄院の生母(目加田氏)の存在が明らかにされ、清浄院の実父・水野忠重(家康生母・於大=伝通院の兄)との関係が明らかになってきた。
氏は「清浄院の人間関係や人柄、功績に新たな知見を開く」論考と言って居られるが、まさしくこれまでの氏の研究の成果としてこのような貴重な資料がもたらされて、氏の許に蓄積された多くの資料と共に更なる校合研究がなされて新たな世界が開かれてきた。
氏とはずいぶん長いご厚誼をいただいているが、今般またこの論考掲載誌をご恵贈給わり、論考をいち早く拝見できたことに感謝を申し上げる。
また機会を得てご講演を拝聴できる機会が訪れるのではないかと期待している。

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■御恵贈御礼「大日本近世史料 細川家史料 二十八」

2023-04-20 11:36:09 | 書籍・読書

                                                         

 東京大学史料編纂所(財務・研究支援チーム)様から、頭書の書籍を御恵贈給わった。誠に有難く、伏して御礼を申し上げる。
地方の、それも一介の市井の歴史好きにすぎない老人にとっては、これに過ぎる名誉はない。
今回の内容は、細川光尚公の公儀御案文(6月15日~9月26日)の533件の書簡が掲載されている。楽しみに拝見させていただく。

すでに、ご恵贈給わった同資料は「24巻」以降これで5冊目となり望外の喜びで、只々感謝申し上げる次第である。

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■俳句が好きなあなたへ、漱石が好きなあなたへ

2023-02-04 07:06:42 | 書籍・読書

       以下、 出版社・弦書房HPより引用

俳句は国境を越えて One-Poem One-World

    著者: 西川 盛雄
240頁
978-4-86329-260-4
定価 2100円 (+税)
2022年11月30日発行   
紹介

俳句は、いまや〈世界文学〉と言ってよい。著者は国際俳句交流協会会員で、俳句と〈英語ハイク〉の双方を詠み、比較研究してきた英語学の専門家でもある。俳句が、世界の国々との文化交流・対話の〈橋渡し〉となり、共感と共生のヒューマニズムを呼び起こすことを願ってまとめられた本書の意義は大きい。夏目漱石が熊本時代に詠んだ俳句を厳選して句題ごとに分類、さらに英語詩(3行詩)へ訳した試みは画期的である。また、世界各地の愛好家が詠んだ〈英語ハイク〉を独自の観点で紹介した章は、俳句の世界を一気に広げてくれる。

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■お安く読むー推薦・細川家を知るための必読書

2023-01-20 11:06:49 | 書籍・読書

  司馬遼太郎の著「春灯雑記」では、「護貞氏の話-肥後細川家のことども」という86頁にわたる、長大な項が立てられている。

1991年が第1冊なのだが、司馬氏は20年前の事だとしておられるから、1960~70年代の事だと思われるが、熊本で細川護貞さまと会われ、貴重な時間を過ごされ結果としてこの項が誕生している。
その時期に思い到る事があるが、多分新聞社の主催による講演会の開催であったろう。
私は出かけていないが、なぜか新聞の切り抜きが残っていた(現在は紛失)。
話は多岐に亘っている。然し内容のそれぞれが護貞さまの事、肥後細川家の事を鋭い洞察力で表現されており、寸分の違和感を感じさせない。
「護貞氏は躯幹まことに長大である。温容ではあるが、容貌の特徴は、刃でするどく切れを入れたような一皮の上瞼にあるといっていい。」と護貞さまを紹介する。
まさに膨大な愛読者を有する作家の表現力に「まさにその通り」と申しあげたい。
この本(ハードカバー)は数冊購入して、読んでほしいと人様に差し上げたことがあるほどの、私の愛読書でありいつも目の前の棚に鎮座している。
いまでは安野光雅氏装丁のこの様な文庫本になっている。お安いですからお買い求めいただきお読みください。

                     春灯雑記 (朝日文芸文庫)

 

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■「都甲太兵衛」とか「よじょう」とか

2023-01-14 10:35:52 | 書籍・読書

 宮本武蔵に係わる小説は結構ある。主役ではなく準主役みたいな形で扱われているのが、森鴎外の「都甲太兵衛」や、山本周五郎の
「よじょう」等がある。
いずれも細川家に係わる人物を主人公としているから興味をそそられているが、こんな感じの小説は他にもあるのだろう。

 前者については結構御存知ではない方も多い。都甲太兵衛は実在の人物で、あるときどちらの大学の方か判らないが、お墓の所在と
「ご子孫をごぞんじないか」と尋ねてこられたことがある。
花園の市営墓地に母方の祖母の父・猿木宗那のお墓があるが、そのすぐ近所に都甲太兵衛のお墓はあった。(今はない)
ご子孫のお宅は存じ上げない。そこで私は電話帳を調べて同姓の方のお宅に電話をかけてご子孫を探す作戦に出た。

運よく二件目でご当人に電話が通じていろいろお話が出来た。子供さんが居られないという事で、「我が家は当代で絶家です」と仰って、
返す言葉がなかったことを思い出す。刀その他は、島崎の「島田美術館」に寄贈されたとお聞きしたた。
小説については、「青空文庫」でも紹介されていないから、「津々堂・電子図書館」でご紹介している。

 後者の「よじょう」は中国の故事に因んだものだ。こちらの主人公は架空の人物で、事件そのものも周五郎の創作であろう。
「ある調理人が武蔵の腕を試そうと出刃を以て襲ったが、切り捨てられた。息子の某は仇を討とうと、武蔵が通る道筋に粗末な小屋を
たてて時を伺う。これを知った人々が援助の手を差し伸べ銭の寄進を受ける。武蔵もそれを知り、家の前で時折立ち止まったりした。
しかし事は成就することなく武蔵は死去する。武蔵は帷子を残したという。
援助を受けたものを元手にかれは旅籠を始める。武蔵の残した帷子に無念の刃で切りつけ、これが旅籠の名物となったという。」
大方そんな筋書きであったように思うが、終活が過ぎてこの作品が掲載されている本を処分してしまった。
心に残る作品である。

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■黒人の士・弥助

2022-12-11 17:34:06 | 書籍・読書

                   信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍

 NHKのEテレで「信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の再放送を観た。ロックリー・トーマス氏の上記著作がベースとなって話が勧められていく。
この本は2017年2月7日第1版が出版されたが、私はしばらくしてから大いなる興味を以て購入した。
NHKの放送内容によると、この著作は黒人社会で大いなる反響を呼び称賛され、キム・バースというアメリカ人監督が弥助を主人公とした映画を100億円の大金をかけて映画化するという話があった。
奴隷としてイエスズ会の宣教師・アレッサンド・バリヤーノにつれられ、インドのゴアの聖パウロ学院で教育を受け、その後日本へやってきた2mを超える大男で屈強な体力を持った男は、バリヤーノの九州布教の後、信長に布教の許しを得るために京へ上る。
この黒人の存在は人の口を経て信長の知る所となり、バリヤーノは信長に謁見することになった。
好奇心旺盛な信長はバリヤーノに乞い、この黒人を家来とする。黒人侍「弥助」の誕生である。
どうやら小姓らしき待遇を受け信長はあちこちと連れまわしている。しかし、本能寺の変が起り信長は死去し弥助の運命も急変する。明智の軍勢に捕らえられた弥助は、光秀の命により南蛮寺に届けられたという。
いろんな古文書が駆使され其の後の足取りがうっすらとあぶり出される。それによると弥助は九州の有馬氏の許に在ったらしい。また加藤清正の書簡から、妻子もあったとされる。
奇しき彼の人生は黒人だからという当時の日本の差別感情がなかったとしている。そうすると幸せな異国での生活であったかもしれない。
そんな特異の人物だが、その後の事は陽として知れない。その後の切支丹排除の動きが増すと日本を離れたのかもしれない。
映画製作の進捗はどうなっているのか、著者・ロックリー・トーマス氏のその後の研究の成果も知りたいところである。

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■御恵贈御礼「家系研究」

2022-12-02 07:19:50 | 書籍・読書

 家系研究協議会様から会報「家系研究・第74号」をご恵贈いただいた。厚くお礼申し上げる。
何時もながらの会員諸兄の真摯なご研究の成果に対し敬意を表するとともに、会のますますのご発展をお祈り申し上げる。
最期の「表紙家紋について」では「丸に帆掛け舟紋」が紹介されており、主なる使用家に天草五人衆・大矢野家をご紹介いただいている。感謝。

  

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■ドッグ・イアとワイ談

2022-11-29 06:53:31 | 書籍・読書

 私はいたって本は大事にする方で、書き込みをしたり、ページの端を折るいわゆるドッグ・イア(犬の耳折)をする事はない。
書き込みをしたいページがある時は付箋をつけて是に書き込む。読みかけの時は、栞を挟み込むことにするがこれはひっきれ紙が多い。
時折、新聞や折り込み広告のひっきれが挟まっていることがある。
師匠のDr・高田先生は、古本を随分購入されたらしいが、書き込みなどには頓着されず、かえって貴重な書き込みに教えられることがあると仰っていた。

 オークションなどで手に入れた本になると、しっかりドッグ・イアがされていることがある。
前の所蔵者が特別に挟み込んだのか、また後日読むための者なのかは判じかねるが、時折なるほどこの記事を読みたかったのかと合点することがある。
そんな中、古本で手に入れた半藤一利氏の「続・漱石先生ぞな、もし」という本、これにドッグ・イアがあった。
手に入れた時は、折りたたまれてはいなかったが、くっきりと折り目が残っていた。
このページを読んで私は思わず笑いだしそうになったことを思い出す。
p81に「●ワイ談にあらずや」という項が立てられているが、この中に英国のジョージ五世とメリー皇后の、くすりと笑わせる挿話がある。
ワイ談というよりも落語の艶笑小噺といった処だ。興味がお有りの方はご覧いただきたい。
また、吾輩は猫である中の六章に、苦沙弥先生と奥方の会話があるのを、半藤氏は目ざとく見付て紹介している。
この話もワイ談というのかどうかはよく判らないがだが、これにドッグ・イアをされているこの本の前の所蔵者のきもちをくすぐらせたらしい。
こういう時はドッグ・イアよりも付箋にしておかれるのが良かろうと、御忠告申しあげる。

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■師匠・高田先生の間違い

2022-11-18 07:03:48 | 書籍・読書

   今年大活躍したヤクルトの村上宗隆選手は、村上水軍の末裔だろうと一人で決め込んでいる。
                                                               
その村上氏については、師匠のDr高田先生の著書・「宮本武蔵玄信の実像」の記事に、村上氏の一族が武蔵の後継者として二天流師範を数代にわたり勤めたことから、記事や写真と共に系図(p213)があった。
何度か眺めたことがあるのに今迄気づくことがなかったが、今回は見た途端系図に違和感を感じた。
記事にはこれらの関係が詳しく説明してあるのにかかわらず、系図では明らかな間違いが見て取れる。
「先生、やっちまいましたね・・・・」校正の段階でも見落とされたのだろう。
相当の部数が世に出ていると思うが、困ったものだ。正しい系図を作成してお配りしようかしら・・・

                       間違い系図

                 1、下段右端の八郎右衛門尉と東右近大夫は同人で隆重(景則)の嫡男。
         2、二男とある長岡河内(村上縫殿介・景広)は隆重の二男、八郎右衛門の弟。
         3、村上吉之允正重は八郎右衛門の嫡男である。            

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■ダイエット食は「武家の食卓」

2022-11-07 10:18:36 | 書籍・読書

 かってこのブログで、熊本のタウン誌・「すぱいす」に連載されていた「松寿庵先生とれき女様の江戸咄」を、「68回~最終243回」まで、掲載したことがある。
(ブログ内検索で松寿庵で検索してください)

「すぱいす」は熊本日々新聞が発行しているが、許可は得ていない。確信犯であって、お叱りを受けるかもしれないとは考えて居た。
しかし最終回に至ってもお叱りはなかった。そればかりか、松寿庵先生(松本寿三郎・元熊大教授)のお相手をされたれき女(松下康恵氏)氏から、このブログ掲載以前、熊本日々新聞の夕刊に連載された「歴史コラム・江戸咄」をまとめた「松寿庵先生江戸咄」という文庫本をご恵贈いただいた。
この文庫本はいつも私の身近にあって、時折ページを開いている。

 二三日前締め切りのヤフーオークションに「■汁■菜」の献立らしい古文書が出品されていて、少々心を動かされた。
というのもこの本の第2項に「奉公人の数まで決めた石高」があり、つつましい食事事情であったとしている。
最後にれき女のコメントがあるが、「亭主のために実行したい武家の食卓」とあって、思わず笑ってしまった。
ここでは「二汁三菜」と書いてあるが、これは、同上コメントからすると、「一汁三菜」なのではないか?
これならダイエット出来そうだ。私とて小禄ながら武士の端くれ、「武家の食卓」にチャレンジしてみようかと思ったりした。

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■日向ぼっこで読書

2022-10-26 15:19:34 | 書籍・読書

 南国熊本もやや寒むの朝でしたが、お昼前から日向ぼっこをして、痛みのある左肩にお天道様の恵みを受けて読書をしております。
一度精読したのですが、今一理解が足りない「秩禄処分」についてです。

                  

 明治維新に於ける三大改革は、軍制の改革・地租(ちそ)改正・教育改革だと言われるが、武士の家禄を召し上げる秩禄処分は、これに加えても良いほどの大改革であった。これがスムーズに(?)実行されたのかを再度確かめたいと、再度の精読を始めた。
一二行読んでは元に戻って読み返すことを繰り返している。
熊本には「改正禄高等調」という貴重な文書が残されている。熊本に於いてはこのデータをもとに秩禄処分がなされたと理解しているのだが、この禄高の改正については、どの様な基準で行われたのかまだ資料を見つけ出せないでいる。
コロナ発生前からの懸案であるが、「有禄士族基本帳」にある人たちの、元高と改正高を調べ上げてみたいと思っている。
資料をいろいろ処分しようとする中で、今年の3月「有禄士族基本帳」のコピーが顔を出し、これはそろそろ埒を着けねばなるまいと決意した。
そしてこれに連なる秩禄処分との関係も知りたくて、まずは予行演習的読書である。
「一歩あるいて二歩下がる」ような読書で、遅々として進まないが、図書館での調査と並行してでも詳しく完読したいと思う。

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■「酒縁歳時記」という捨てがたい本

2022-10-19 14:05:18 | 書籍・読書

              限りなき酒縁の旅や雪あかり  柳女(佐々木久子)

 終活の本の処分はまだ続いている。今日は朝から10数冊を紙袋に入れて、ごみ処分した。
捨てようと決心したものは即処分したが、さてどうしようかと迷う本が出てくる。
最期に目を通してからにしようと、読み直して処分したり、又本棚に戻したり、作業はかえって遅々と進まない。
そんな中、久しぶりに目にしたのが、佐々木久子著の「酒縁歳時記」だ。これも読み直していると、捨てがたい、随分草臥れているが本棚に戻した。
                     

 昭和52年の初版本だが、よくぞこんな本を購入したものだと思う。あとがきまで含めて250頁余、中身はすべて「お酒」の話である。
かって「酒」という雑誌がり、佐々木氏はその編集長だった。
佐々木氏は各地の蔵元や杜氏を訪ね、その地の水や食べ物、魚や野菜に触れ、文人や著名人・スポーツ界・芸能界の人たちとお酒を通じての交流の巾広さに驚かされる。
その「酒」という雑誌をどこで読んだのか、面白い雑誌だと思っていたところこの著の発刊を知り購入したように思うから、40歳前くらいの頃だ。
そのころは、本当によく飲んでいた。まだ焼酎が今の様にはなく、ウイスキーが主流だったが、家ではよくお酒を飲んだ。
酒器を楽しんだり、お酒の銘柄を替えたりして楽しんだものだが、最後は軽い感じのお酒をグラスで楽しんだりした。
「上善如水」等は軽すぎて一晩で720mlを飲み上げたりしていた。
熊本は一昨日の雨あたりから、涼気が寒気に変っていく。お酒を楽しむには良い季節になった。
久しぶりに燗をつけて飲むのもよいな~と思ったりしている。近所のマーケットに物色に出かけることにしよう。

 

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■銀台遺事をよむ「萩原堤修復工事」

2022-10-15 06:58:01 | 書籍・読書

 八代の宝暦五年球磨川の大水害に伴う「萩原堤修復工事」の詳細を知りたいと思うが、詳しい史料に行き着かない。
稲津弥右衛門が7日間でこれを修復したというが、いつ頃始めたのかさえ判らない。
時の藩主・重賢は四月には参勤交代でこの時期は江戸在住であり、この大事は当然江戸に急使が送られたことであろう。
稲津弥右衛門に事を当たらせるのにも、江戸の重賢の決裁を得ているようだから、一月以上は時間が経過していると思われる。
そこで銀台遺事の該当項を読んでみようと思い至った。原本は「早稲田大学所蔵本」を使わせていただいた。
肥後文献叢書(一)に「銀臺遺事四巻」の釈文が掲載されているが、若干の食い違いが見て取れるが、これは使用された原本が違うことを意味する。ここでは早稲田大学原本に添い、特に脱落が認められるものは肥後文献叢書から( )書にて補筆した。

       

                                      (四行目から)
          宝暦五年當国の洪水こそ夥しかりき 六月朔日ゟ降出
          せし雨篠を束て突くが如く九日まておやミたにセす川々
          の水皆あふれけるに芦北瀬戸石山たちまちに崩れて
          球广川をせき留けれハ川浪逆巻て山を包ミ陸に登る
          といへる 古の程も今眼前に見へけるハ頓て其ときおし
          流し一同に川下の方へ出けれハ八代萩原といふ所の堤忽
          数十丁おし切りて田も畑も道もしれ万分らず神社仏閣を初
          人家数多流れ溺死する者数百人目も當られぬ有様
          そかし 此年は君東都にまし/\けれハ其よし注進す
          君則 懸官へ言上したまふ其状に曰
             私領分肥後の内六月朔日ゟ九日迄追々強雨洪
             水山崩破損之覚
         一高貮拾三万五百六拾石餘 潮入・砂利洗・剝山崩
             此田貮万千七百五十三町餘
             畑七千六百二十五町餘間
         一塩濱九十七町五反
         一塩塘三千四百十五

         一川塘   十三万ニ百九十間
         一井手塘堤 八万七千八百九十五間
         一水除石垣 八百五十間
        (一磧所   一万九千五十七間)
         一磧除棚(水除棚)四千二百八十七間
         一山崩(山岸崩所)一万七千百九十三間  
         一土橋   百五十五ヶ所
         一往還道筋 一万九千七百四十六間
                                 一井樋   百八十七ヶ所
         一流舟   百一艘
         一流失御番所 二ヶ所
         一同 社   二ヶ所 
         一同 辻堂  八ヶ所
         一八代蜜柑木之内 二百四十本餘
                    ママ
        (一流家   二千百十八間)
         一流木   三千ハ百二十二本
         一流死(溺死男女) 五百六人
         一怪我之者 五十六人
         一溺死牛馬 五十八匹
          右損耗破損之儀水引上り候上相改国許留守居之者ゟ
          申越候 右損所郡村之内芦北球广川筋に有之瀬戸石
          山 高サ二百間 横百間程崩落川向二有之御山に
                 (次回につづく)
              

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■ご紹介「忍者研究 第3号」

2022-10-05 17:27:51 | 書籍・読書

忍者研究 第3号
2020年8月31日 印刷・発行

【目次】

論文
戦国時代の忍びの実像(平山優)

熊本藩細川家の忍び(上田哲也)
「忍者・服部半蔵」の誕生(田村梨沙)
息長と簡易マインドフルネス訓練の比較(西村誠)

報告
書籍紹介:尼子騒兵衛「落第忍者乱太郎」とそのシリーズ(井上直哉)
二〇一九年の忍者界動向(福島嵩仁)
2019年忍者作品一覧(福島嵩仁・中津珠梨)
第3回国際忍者学会大会の講演・発表要旨
今号掲載の論文要旨

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■ご恵贈御礼-「隣人・第53号」

2022-09-24 08:18:12 | 書籍・読書

             

 長いお付き合いをいただいている東京在住の近世史家・佐藤誠様から、草志会会報の「隣人‐第35号」をお送りいただいた。
今回も前回に続き、伊藤武雄著「堀内傳右衛門書簡集・2」のご紹介である。
堀内傳右衛門は元禄期の熊本藩士、赤穂浪士の吉良邸討ち入り後にその内の大石内蔵助以下17名をお預かりした折、接待役を勤め、その有様を詳細に書き残している。
その後傳右衛門は、関係者に切腹の様子その他、また伝言などを書簡や又直接伝えるなどの交流をなし、細やかに活動している。
前回4通、今回4通が詳細に照会されており大変興味深い。全部で24通あるとの事で、今後の資料にも大いに期待したい。
いつもながらのご厚情に心からお礼を申し上げる。

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