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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(420)寛永六年・日帳(六月廿一日~廿三日)

2020-12-03 07:05:43 | 展覧会

                      日帳(寛永六年六月)廿一日~廿三日

         |       
         |     廿一日  安東九兵衛
         |
おばノ服忌伺   |一、瀧口伝丞登城にて被申候は、拙者おば相果申候、穢可有御座候か、如何可仕候哉、日々御天主な
         |  とにあかり申様二御座候へハ、拙者冥加のためにても御座候間、候得御意候由、被申候、談合
         |  申候而、重而従是可申候由、申候也、
大槻某ノ当番勤方 |一、右同人申候は、大槻仁右衛門をくの御番被仰付候処ニ、時ニより、御番を明申様なる儀共御座
不良ノ申告    |  候、御番被仰付候上は、たとひ、ひるハ其所ニ居相不申候共、夜ルの御番をかゞし申候儀は、不
         |  可然儀候と、内々仁右衛門二申候へとも、左様ニは不成由申候、か様ノ儀、私ゟ申上候事如何ニ
         |  御座候へ共、自然夜ル御番を明候刻、拙者一人として、御番を仕候而能事にて御座候共、又はあ
         |  しき儀にて御座候とも難弁御座候ニ付、兼而ゟ、各様立御耳由申候也、
土佐某借米ヲ返納 |一、土佐新太郎登城にて被申候は、私手前御借米不残才覚以、御蔵入仕候由被申候、御借方奉行ニ
ス        |  其通被申候へノ由、申渡候也、
牢人妻子ノ門出切 |一、村山安兵衛妻子御門出切手の儀、才津惣兵衛監物殿へ参、仕申候処ニ、いつもかやうの出入り在
手又ハ与頭ノナキ |  之、又ハ与頭無之様成仁ノ出切手ハ、御奉行衆ゟ切帋参候間、切帋を取可給由、被仰せ候ニ付、則
者ハ奉行ヨリ切紙 |  仕調、進之申候事、
ヲ得ベシ     |
誅伐人改ニ新牢ノ |一、御誅伐人相改候付、しちへや・新籠之諸切手取寄候を相改、籠之切手ハ高津甚左衛門ニ相渡、し
切手ハ高津某へ質 |  ちへやの切手ハ安野藤左衛門ニ相渡也、
部屋ノ切手ハ安野 |
某へ渡スニ改ム  |
         |                                          (加藤)
小々性知行ハ万事 |一、御小々性衆知行之儀、万事御蔵納並と被 仰出候、口米・庄屋給之儀、いかゝ可有之哉と新兵衛
御蔵納並ト令セラ |   (金子)  
ル     口米 |  ・喜左衛門被申聞候間、御蔵納並と被 仰付上ハ、御蔵納同然ニ可被仕通、申渡候也、
庄屋給も御蔵納並 |

         |       
         |     廿二日  奥村少兵衛
         |
         |           (田川郡)
惣積奉行香春ノ銭 |一、栗野伝介被申候ハ、香春ニ有之御銭、急度可被也御取寄候、今程爰元ニ而売申才覚も可有御座候間、
ヲ売ラントス   |  買手於有之は、うり可申由、被申候ニ付而、田川御郡奉行衆へ急度津出可被申付通、切紙遣候也、
         |                  (久間)           (内藤)
船頭ノ重病ニ当番 |一、鏡善右衛門登城にて被申候ハ、御船頭平兵衛煩、御医師宗印御薬ニ而、少検御座候様ニ相見え申
中ノ医師宗印ノ往 |  候、しかれとも大事之煩にて御座候、宗印も昨朝御見廻被成候迄にて御座候、今日も被成御見廻
診ヲ乞ウ     |  被下候様ニと申候へ共、今日ハ御番にて御座候間、御見廻被成儀成間敷候、御奉行衆へ其段申理
         |  候へ、左候は可有御見廻由、被仰候間、御番にて候へ共、御見廻候様ニ、被仰渡候而被下候へかし
         |  と申ニ付、御見廻候へと申遣候也、
松丸葬儀ニツキ町 |一、吉田縫殿・米田平右衛門」登城ニ而申候は、松之丸様御葬灵礼ノ日、共之者幷見物之女切手にて出
奉行等紋出入ノ切 |                            〃
手ノ捌方ヲ問ウ  |                                 (細川藤孝室、沼田光兼女)
光寿院ノ例三日間 |  シ候儀、切手之取さばき、何共難成可有御座候、如何可仕候や、前廉 光寿院殿御葬礼之時は、
切手ナシ     |  三日ハ切手なしニ御門出入仕候、此度茂、一日は切手なしニ御通日成可然御座候哉と被申候、一
家老ノ指示次第  |  段可然候、併、我々分別まてニ而、切手なしニ可被通との儀難申候間、頼母殿・監物殿へ両人と
         |  もニ被参、右ノ趣被得御意、御両人御差図次第ニ可被仕通、申渡候也、
         |                 佐分利作左衛門与森作右衛門
光尚台所ノ番人  |一、御六様御台所ニ被召置候御鉄炮衆桑原主殿与福嶋五兵衛也、追付差上せ申へく候間、早々用意仕
         |                 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |  候へと、被申渡候へ之由、小頭岡権丞ニ申渡也、           (元明)
少峯送リ来ル人馬 |一、今日少峯幷送り候て被参候仁、少峯乗候而参候御馬とも賄可被仕之由、住江甚兵衛所へ申遣候也、
ノ賄       |

         |       
         |     廿三日  加来二郎兵衛
         |
         |          (猪膝、田川郡)
唐人少峯帰ル   |一、少峯経罷帰候ニ付、いのひさまて御馬にて送申候、又小荷駄弐疋申付候、いのひさにて、朝夕
ソノ賄銀駄賃   |  する廻候へと申付、河村加右衛門と申御鉄炮衆も一人付遣申候、いのひさゟ長崎迄之賄銀・たち
         |  ん銀ノため銀壱枚渡遣申候、人ハ付不申也、但、鉄斎煩為養生、態こくらの年寄共、少峯をよひ
         |  寄候由候間、長崎へ送可遣旨 三斎様 御諚旨、中津御奉行衆ゟ奉書参に付、如此候也、
         |                            (飢)
鉄炮小頭多数登城 |一、御鉄炮衆ノ小頭数多登城にて申候ハ、何も手前不罷成、礑及飽、のか/\敷躰弐御座候間、何と
シテ困窮故ニ借米 |  そ御談合を以、少宛御米を被借下候様ニと申候、兵庫殿、其外ノ衆ニも談合可申候由、申候而返
ヲ願ウ      |  し候事、

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■安国寺開山・明巌梵徹

2020-11-29 16:29:44 | 展覧会

                          

 豊前細川藩の安國寺の開山明巌梵徹は、明智光秀の末子(ガラシャ夫人末弟)とされる。
明智研究家の方々からはあまり信用されていないようだが、このように立派な像が熊本の安国寺に遺されている。
いろいろお説を伺うが、いずれも「帯に短したすきに長し」で、明智一族については正解を知ることは永遠にないように思える。
その間、先生方が談論風発いろいろお書きになるのを拝見することにしよう。

                     「麒麟がくる」によせて・・・熊本から・

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■熊本大学付属図書館の「オンライン貴重資料展」

2020-11-26 18:24:49 | 展覧会

 令和2年度の熊本大学付属図書館の貴重資料展は、コロナ禍のなか取りやめとなった。
そこで「オンライン貴重資料展」と銘打ち、「甦った絵図と古文書」としてWEB上で公開されている。
古い資料が、当代一流の職人たちの手により現代に甦った貴重資料が紹介されている。

            

肥前国有馬城之絵図ひぜんのくに ありま しろ の えず」、「細川忠興駿河御普請中掟ほそかわただおき するが ごふしん ちゅう おきて」、「細川家老衆廻状(千代姫様へ御礼申上次第)ほそかわ かろうしゅう かいじょう ちよひめさま へ おんれい もうしあぐる しだい

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■細川小倉藩(411)寛永六年・日帳(六月朔日~二日)

2020-11-23 07:20:59 | 展覧会

                      日帳(寛永六年六月)朔日~二日

         |       
         |     朔日  安東九兵衛
         |
         |      (山本松井家家司            (松井興長室、三斎女)
こほ母松丸之病状 |一、式ア殿内源太夫登城仕候而申候は、 御こほ殿被仰候は、式ア殿御物語にて被聞召付候、松丸様
ヲ忠利へ報スルヲ |  御儀煩二付、又江戸へ御飛脚を被進之候由、被聞召付候、御煩もさしてかわる儀茂無御座候、其
制止ス      |   〃
         |  上被仰上候而も、達而御差図も不被成儀共にて候間、此度之御飛脚は御無用二思召候間、先々此  
         |  度は被遣間敷由、被仰聞候事、
         |                                         (験)げんき
松松病少峯調薬二 |一、重而源太夫を以、被仰聞候ハ、一昨晩ゟ少峯薬を被成御用候処、薬相等仕、検気ニも検気御座候
験アリ      |                                    〃〃〃〃
         |  様ニ相見え申候、左様候ヘハ、今一両日も、今度之御飛脚御待候而、いよ/\検も御座候ハヽ、
         |  其段御吉左右被仰上尤ニ存候、又検も無御座様ニ候ハヽ、其上を以、御飛脚被遣候而も可然由、
         |          (浅山)(田中氏次)
         |  被仰せ候、とかく修理・兵庫、それへ致参上、其上ニて之儀ニ可仕と、御返事申候事、
         |       (細川光尚)
求菩提山ヨリ光尚 |一、求菩提山ゟ 御六様御祈祷の御札之由にて、持参被仕候也、
ノ祈祷札     |
         |
木下延俊領内ニ金 |一、修理・兵庫両人ともニ式ア少殿へ参候処、四季ア殿被仰候は、木下右衛門尉殿御領内ニ、金山
出来
山出来ノ報    |  候而、則右衛門殿侍衆江戸へ注進参候由、御物語候也、

         |       
         |     二日  奥村少兵衛
         |
江戸ヨリ飛脚ノ小 |一、江戸ゟ、御小人與介与源四郎・源三郎与吉蔵参候、江戸を五月九日に立、大坂へ廿三日に着、大
人帰着 ソノ旅程 |    
三斎へ音信物   |  坂を廿四日に出船、今日着申候御小早にて罷下候、御小早船頭ハ桑田左兵衛也、 三斎様へ為
塩引鮭      |  御印信、鮭塩引十尺・かな川ふくの皮百枚、右ノ御小人幷式ア殿・左馬殿・備前殿・勘解由殿ゟ
神奈川鰒ノ皮   |  ノ御飛脚、此六人に被仰付、持来候也、
忠利書状諸方へ  |  一、佐藤将監方へ  御書壱通、
         |    (元五)
         |  一、志水伯耆殿へ  御書壱通、
         |  一、加々殿へ    御書壱通、
         |    右は、歩之御小性長屋才三郎ニ持せ、進之候也、
         |  一、御家老衆へ之 御書ハ、兵庫ものニ持せ、進之候也、
         |  一、我等両人ニも 御書成被下、則致頂戴候也、
         |     (光尚)  
         |  一、楯岡鉄斎へも 御書成被遣候、右両人之御飛脚之内も、壱人ハ鉄斎御見廻ニ被遣通被 仰下 
         |      鉄斎相果候ニ付而    (定直)     
         |    候、〇 御書ハ子息孫市郎方へ、村井内蔵助を以、相渡候由、
         |  (恵重)            (志水元五)    (志水清久)
志水元五父宗加拝 |一、志水新丞登城にて被申候は、伯耆守申候は、宗加拝領仕候知行の水帳にて候間、差上申候、御代
領ノ知行ノ水帳ヲ |  官を茂被仰付にて可有御座候間、御代官ニ御渡候ためニ上申候由にて、新丞持参被仕候へとも、
差上グ      |  今迄左様並多候へ共、水帳上りたる例ム御座候間、先御手前ニ被召置候へ、若御用ニ候ハヽ、従
先例ナキ故返ス  |  是可申入由申候而、則差返候事、

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■細川小倉藩(390)寛永六年・日帳(卯月五日)

2020-10-30 06:41:13 | 展覧会

                      日帳(寛永六年卯月)五日

         |       
         |     (四月)五日  石本三介
         |
忠利牡丹ノ実ヲ植 |一、上林甚助呼、江戸ゟ被仰下候、ほたんの実取、植させ候へと、被仰下候間、自分ぬけさる様ニ植
へシム      |  可被申候、なく候ハヽ、御家中ニてもらひ、うへ可申旨 御意之通、書付渡申候、
牡丹ノ種ヲ小壺ニ |一、甚助被申候ハ、ちいさき壺壱つ御詰被成候而、江戸へ御下被成可然存候由、被申候、得其意候由
詰ム       |  申事、
         |   阿片(熊本大学永青文庫センター編「永青文庫の古文書」p120~「上田太郎右衛門によるアヘンの製造と葡萄酒」後藤典子氏)
あひん制作ニ浅葱 |一、あひん御誘被成御用ニ、浅黄椀拾人前入申候間、上林甚助ニ可有御渡遣候、そこね申儀にてハ無
椀ヲ求ム     |  之由、住江甚兵衛所へ切帋遣事、                〃
         |
家屋敷ヲ望ムモ鬮 |一、田辺角介・菅八左衛門登城にて、角介申候ハ、八左衛門儀今迄家ヲ持不申候、先度もくじ取仕
ニ当ラズ     |  候へ共、取当り不申候、左様ニ御座候ヘハ、今度江戸にて果申蒲生猪左衛門家と、谷下総下屋敷
家奉行ニ厚相スル |  ニも家御座候間、いつれ成共壱軒被下候様ニと被申候、尤にて候、左様ノ儀ハ御家奉行へ被仰候
ヲ指示ス     |  ハヽ、家奉行ヨリ可被申候間、家奉行衆へ被申候へと、申渡候事、
家中用ノ茶壷ハ舟 |一、式ア少輔殿ゟ、御使者にて被仰下候ハ、家中の茶壷御舟にて上り申候、来十日ニ出船仕候間、可
ニテ上ス     |  被得其意旨申触候間、御舟之儀可被仰付之由被仰下候、得其意存候通申候事、
遠州灘難破ノ船頭 |一、今度遠州灘にて、破損仕候御舟之船頭林六右衛門走り申候ニ付、彼女房籠者被仰付候、六右衛門
         |                       
走ルニ付女房入牢 |  養娘壱人御座候、是物当町新や與左衛門尉預り籠申候、六右衛門養のせかれ壱人四つニ成申
養娘ハ町預リトス |  
養娘ノ子四才ノ処 |  候、是者おば所ニ居申候間、是もおやこ壱つニ召置候而可然之由候間、新や與左衛門預り候へは
置        |
         |  と先日ご家老衆にて相談合仕候、御家老衆差図にて候間、
早々與左衛門預り、母と一所ニ置候
         |  へと可被申付之由、吉田縫殿ニ申渡、其分ニ仕置候処ニ、又今日吉田縫殿新や與左衛門同道にて
町人新や与左衛門 |  登城被仕候而、被申候は、先日預り可申と申候もの、預り可申と申候へとも、是は奉公人かた
町預ヶヲ拒ム   |  の者を町ゟあつかり申儀も如何にて候間、母ともニ上ヶ可申由、縫殿取次にて申候、此方ゟ申候
         |  は、以外先日之段々相違仕候、ひとたび御年寄衆御相談の上ニ而、預り申候ニ仕候而、又左様の申
         |                         (ママ)            (木下延俊)
木下延俊ノ宿主  |  分、ひとへにうへをかろしめたる様にて候、以来を能心得候へ、其方なとハ右衛門殿御やと、又
殿様モ御存知ノ仁 |  は、殿様も御存知の仁にて候ニ、其方なとゟか様ニかたきりたる事を申候ヘハ、わき/\の町人
         |  なとも、縫殿申付候事かろく可存候、沙汰のかきりなる申様にて候、其上彼せかれ其方造作ニな
         |               
         |  るほとのものにても無之候、〇四つニ成候ものゝ儀にて候間、如何様ニ仕候而めしおき候とも、
         |               つかり
         |  事やすき事かと存候、弥々あ■■申間敷と存候ハヽ、又々御家中老中へ申、その上にて御年寄衆被
         |                              〃
         |  仰次第ニ可仕申候ヘハ、それまても無御座候、御奉行衆右ノ御意にて候間、早々與左衛門預り
町預ヲ承服ス   |  候へと縫殿被申候、與左衛門も御意次第ニ可仕と申候而、其通ニ定候也、
         |一、山村三丞、今程御算用之すきにて御座候間、在所へ参度由申候間、参候へと申渡候事、
         |            (頭脱)                       (野脱)
           
家中茶壷ノ回漕  |一、家中茶壷積上り候船上原久右衛門・袖九右衛門尉両人也、但、九右衛門舟一艘ニ弐人上ス、
         |   (正次)
         |一、嶋又左衛門、大坂ゟ被罷下候時、舟壱艘かり乗被下候、其様子、寺嶋主水方ゟ被申下候状、中神
         |  與兵衛ニ渡也、

 

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■細川小倉藩(388)寛永六年・日帳(卯月三日)

2020-10-28 07:03:59 | 展覧会

                      日帳(寛永六年卯月)三日

         |       
         |     (四月)三日  石本三介
         |                                             遣、
町加子ノ父入牢セ |一、町加子加右衛門親五郎右衛門、昨日籠者被仰候付候、則籠ニ入候切手壱枚、修理・兵庫者ニ持せ〇、
シメ切手ヲ渡ス  |  番衆ニ渡候也、
         | (筑紫重門室、細川幸隆女)
かね幷いよヨリ端 |一、御かね殿ゟ、御使にて被仰下候は、江戸へ被成御上候御帷子、御飛脚参候は御言伝有度ノ旨、被
午ノ帷子進上ノ便 |              (長沢顕長室、沼田清延女)  
ヲ求メラル    |  仰下候、いまた究不申候、いよとのよりも御帷子御上せ候、是も御家中ゟ使者被参候ハヽ、それ
         |  ニ言伝可申との事にて候、追而御左右可申上よし申候也、
         |     (六脱)                                   (隆重)
明家奉行家屋敷ヲ |一、大津留左衛門・波多理右衛門、家屋敷ノ望申衆ノ書立、持参被申候、村上八郎左衛門内田頭又右
         |      (口脱)
望ム者ノ書立ヲ持 |  衛門屋敷面五間半ニ、入四間五尺、山添彦兵衛望申、別ニ望て無之由候間、かたかきニ、別
参ス       |  ニ、望て無之候ハヽ、可被相渡通、かき付候事、
         |一、志水市兵衛上り屋敷、面口五間ニ、入拾五間御座候、上野角左衛門望申由候、これも別ニのそミ
         |  申者無之候ハヽ、可被相渡候通、肩書ニ仕、遣事、
         |                                    (野脱)    (野脱)
         |一、面口五間半ニ、入拾五間八木田平右衛門上り屋敷、右家屋敷南野九郎兵衛・菅八左衛門・庄理左
鬮取       |  衛門・岩下弥次右衛門、四人ニてのそミ申候、くじ取ニ庄理左衛門取当り申候間、可被相渡通、
         |  肩書仕、遣事、
請藪理リノ書物  |一、国東郡竹田津ノ長助・慶竹・助丞請藪理りノ書物壱つ、中津ゟ国東郡御奉行ニ当り申、蒲田久
         |  左衛門・清水自兵衛ゟノ状壱つ、共ニ清田次左衛門ニ渡候也、
忠利ヘノ端午ノ帷 |一、黒瀬九郎右衛門呼、伊与殿へ被申候へと申候ハ、一昨日被仰候ハ、 殿様御帷子五つ急度江戸へ
子        |  上ヶ可申候間、便無之候ハヽ、態上せ可申由被仰候、今日御家老衆ゟ、御飛脚両人江戸へ可被遣
         |  候間、申付候へと被仰候間、此使ニ御上ヶ可被成由、被申候へと申候ヘハ、其通申候ヘハ、今少
便船一両日出発ヲ |  はり申御帷子御座候間、一両日御またせ被成候儀ハ成申間敷哉と被仰候、それは成不申候、子細
延スコトナラズ  |  ハ、我等共ゟ遣申飛脚にて無御座候間、御家老衆ゟ被遣儀候間、まち申儀ハ成申間敷通、御返事申
         |  候事、
         |一、今日上り申御小早御船頭田辺長助登城申事、
すやき      |一、安場仁左衛門被申候ハ、先日申候すやきの事・御番筒台金具事、大学殿へ尋申候ヘハ、すやきハ
番筒ノ台金具   |  急ニ入申候ハヽ、木ほりにて成共約ニたて可申候、台かな具ハ急ニ成申間敷候間、申付可然由、被
十一丁分御印帳ニ |  仰候通被申候間、台金具御番筒拾壱丁分、御印帳ニ付申候事、
記入ス      |
         |一、今日江戸へ参候御飛脚寺本八左衛門与有永少九郎・同与川上少右衛門、右両人上り候也、
江戸ヘノ書状   |  右ノ御飛脚ニ上せ申もの
         |  一、御年寄衆ゟ言上ノ文箱壱つ、
         |  一、修理・兵庫ゟ文箱壱つ、但、言上也、
         |    野田小左衛門・乃美市郎兵衛状二つ遣也、

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■細川家家臣略系譜との違いを調べる。

2020-10-23 12:49:27 | 展覧会

 先に ■「侍帳」の本当の数で、「細川家家臣略系譜」の数として次のようにご紹介した。
細川家家臣略系譜は、永青文庫に「先祖附」が存在する諸家の名簿でもある。

    知行取                       小計1,149家

      南東五六・27家 南東五七・36家        小計  63家
      南東五八・62家                小計  62家
    茶・鷹・馬  南東五九・24家            小計  24家
    一代御中小姓  南東六〇・29家 南東六一・30家   小計  59家
    十代相族寸志  南東六二・15家           小計  15家
                              合計1,372家  

T家所蔵の「肥後旧藩士禄名籍」によると、御中小姓が省かれているが、大凡の数からするとあまり変わらないことになる。
    旧知人数      515人
    新知 同      460人
    蔵米          30人
    擬作        240人
    中小姓
    寸志          47人               合計1,315人

この「肥後旧藩士禄名籍」は公になっていない史料だが、特記といったものはないものの、幕末期の確かな記録として貴重である。
現在これを「新・肥後細川藩侍帳」改定版に反映させる作業を行っている。
これが上の「細川家家臣略系譜」とどう異なるのかを調べ上げてみようと思っている。

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■細川小倉藩(384)寛永六年・日帳(閏二月廿五日)

2020-10-23 06:42:11 | 展覧会

                      日帳(寛永六年閏二月)廿五日                

         |       
         |     廿五日  安東九兵衛
         |

大阪城普請惣銀ノ |一、御年寄衆ゟ、夜前両人ともニ被召寄候間、参候処ニ、式ア殿・頼母殿・監物殿被仰候は、去年大
算用       |
         |  坂御普請惣銀の御算用、住江四郎兵衛・佐田吉左衛門尉仕上候を、安東弥次右衛門尉・河北九太夫
銀子ノ欠立ツ   |  両人に承届候処ニ、銀子のかん立候、今又悪敷銀を請取申ニ付、つかわれ不申候而、右両条つ
悪敷銀ヲ請取ル  |
両条ニヨリ算用ニ |  かへ有之儀ニ候、是は如何仕たる儀ともにて可在之候や、惣中ノわまへになり可申ニ成儀にて可
ニ支障アリ    |  有之候哉、またハ四郎兵衛・吉左衛門尉両人ノ手前ゟ弁可申儀ニて候やと、御年寄衆被仰せ候間、
ソノ決済法 惣弁 |  先例も可有御座候、先例無御座ニ、惣わきまへニ成申候ハヽ、例ニもなり、大銀の時如何可有御  
ヘノ先例ナシ   |          (米田是季)
         |  座候や、幸、大坂へ監物殿被成御座候間、先にて此段被■聞召届、かん立候而も、又悪敷銀取置、
         |  其主ニ
         |  〇払さき戻シ申儀も不相成時は、惣様損ニ可被成と被仰定候ハヽ、如何程かん立候とも、又あし
         |   〃〃〃
         |  き銀取置、損立候とも、可被成御立儀と奉存候由、申候処ニ、其御約束も無之候、またかん銀、悪
銀奉行ノ弁へ   |  敷銀惣様ゟ聞たる例も無之候間、銀奉行わきまへニ可仕通ニ相極候事、則中神與兵衛ニ、式ア殿
         |  座敷にて、そのまゝ被仰渡候事、惣銀の儀は與兵衛次第と冣前被仰出候間、私とも申儀は在之間敷
         |                                  (ママ)
         |  通、此儀被仰聞候へと、即刻御三人へ申候処ニ、先例も有之やと、無之やと御尋ニ候、與兵衛も
         |  銀奉行弁ニ成可申儀と、右ゟ存候と申置候事、
         |    主                     くろさき
永嶺左ニ衛門父子 |一、桑原殿与永嶺左二衛門おやこいさかいにて、〇筑前口人留の所ニ参懸り候、御番衆召連参候を、
諍ヒ倅出奔    |                       〃〃
黒崎口ニテ捕ハレ |                          (寄脱)        (沢村吉重)
入牢中発病ス   |  籠ニ御入置候処ニ、煩申候ニ付、主殿預り申度由、御年衆へ御理申候、大学殿も同前ニ被仰、我
与頭預リヲ願ウ  |  等共両人ニも御申候間、とかく御年寄衆御分別次第にて御座候、私ともさしづ無之通申候処ニ、
ソノ処置     |  此儀も右銅座にて、御年寄衆煩之様子、預り人の儀如何可在之やと被仰聞候間、尤せかれの儀、
         |  其上煩申儀ニ御座候間、御預候而 御前如何可有之やと被思召通、私とも分別ニ 御前之儀推量
         |  不罷成候、尤各様御分別ニも 御前之様子は相申ましきと存候間、さし当り煩之儀ニ御座候
         |  間、籠ゟ御出シ候て、被成御預、重而被立 御耳、其時出スましき物を出シ候と被仰出候時、御
         |  後悔無之御分別被成候か、其まゝ被召置、籠にて養生被仰付候か、此儀は何共私ともさしつニ不
ソノマゝ養生セシ |  罷成候間、しかと御分別可被成通申候処ニ、所詮被成にくき儀ニ候間、其まゝ置、養生御させ被
ム        |  成ニ相究候事、
         |                              (き脱)
免ノ吟味城中ニテ |一、金子喜左衛門尉被申候は、御免ノ吟味、御城にてハ何とも仕にく儀にて候間、服部九郎左衛門
ハ仕難シ     |  尉同心仕候而、加藤新兵衛やとにて、御免之吟味をも仕度存候由被申候、一段可然候間、其通ニ
         |  被仕候へと申候事、
秀林院塀ノ修繕ノ |一、秀林院ゟ、使僧にて被仰越候ハ、御寺のへいひかへ柱被仰付、忝存候、左様ニ御座候ヘハ、又廿
追加ヲ乞ウ    |               (土 居)
         |  間ほところひ申候ヲおこし、つちいおち申候て、下地まてにて御座候、如何被仰付可被下やと被
         |  申候、心得申候、追而可申付由申候事、
呼野金山門番妻子 |一、辻九右衛門登城にて申候ハ、呼野御金山の御門番被仰付、参候処ニ、私一人参候而居申候ヘハ、
同伴ノ可否ヲ伺ウ |               (春木)
         |  めしたべ可申様も無御座候、金太夫被申候ハ、とく/\妻子引越候て可然由、被申候、如何可仕
         |  や、妻子引越候而も、又 殿様御下向之時、罷出候ヘハ、少身物にて何共成かね申候由申候、
妻子ヲ引越サシム |  返事ニ、万事不自由ニ候ハヽ、まづさいし引越候へ、重而御用之時ハ、其時何とそ申付やうも可
         |  有之候間、引こし候へと申付事、
         |                                    (隆重)
村上隆重下明邸ニ |一、沢村大学殿ゟ、御使にて被仰越候ハ、拙者下屋敷へ今日参候とて見申候、村上八郎左衛門尉下屋
大風ニヨル潰家ア |  敷ノ内ニ、今度の風ニつふれ家弐つ三つ有之と見え申候ま、御うらせ候か、左なく候ハヽ、御台
リ   家奉行ニ |  所へ、御薪ニ成共御払わせ候而可然由、被仰候、返事ニ、左様之儀家奉行ニ申渡、見苦敷無之
処分セシム    |  様ニ被仕候へと、申付候由、御返事申候事、
藤本勘助身内ノ掛 |一、藤本勘助登城ニ而被申候ハ、猪左衛門兄久次と申者、尾張国ニ罷居候へ共、一両年爰元罷下居申
人ノ仕官願    |         候而  
         |  候、我々ニ引合〇被申候ハ 殿様御下国被成候ハヽ申上、相当ニ被 召遣被下候様ニと被申候
         |  事、



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■京兆家・典厩家・野州家

2020-10-22 10:53:36 | 展覧会

 今日の「細川小倉藩」でご紹介した細川七左衛門については、長い間一族ではあろうがどういう人物なのか謎であった。
ある方の情報で今年の3月11日、下記の系図をお示しした。
         ■細川之系図「典厩家細川藤賢の子が清左衛門、その子が七左衛門と出雲」

典厩家とは代々の人(全てではない)が右馬助を名乗ったため、 「馬寮の長官を務める官職、左馬頭・右馬頭(従五位下)の名称」の唐名からそう称したとされる。
典厩家は細川宗家の京兆(左京大夫・右京大夫の唐名)家の10代持之の弟・持賢を初代とし藤賢は4代目である。

肥後細川家は藤孝(幽齋)が和泉守護家とされるが、典厩家系・七左衛門と肥後細川家の関係は、それぞれの家系を京兆家3代頼春まで10代余遡らなければならない遠い/\一族である。
この親子二代三人を忠興・忠利が豊前に迎え入れた。「細川小倉藩」の記録に時折名前が登場するが、清左衛門は小倉で亡くなったようだが、清左衛門は熊本入国後離国したらしい。弟・出雲については詳しいことは判らない。
一族の栄枯盛衰が見て取れる。

さて系図上からすると、和泉守護家の細川藤孝(幽齋)の後は、息・幸隆が継ぎ、そののちは細川刑部家がついだとされている。(ウイキペディア)

藤孝の息・忠興は細川奥州家を継承した。陸奥守を名乗った家柄から奥州家とされるが、忠興は「自分は父藤孝とは違う大外様である」といっている。(綿考輯録)奥州家はまさに足利将軍家の大外様の家である。

はっきりしている事は、藤孝(幽齋)、忠興、忠利と肥後細川家の流れは一本の「清らかな流れ」として今日に至っているということである。

                                     

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■秋の展覧会

2020-10-20 15:00:48 | 展覧会

チラシ 熊本県立美術館

10月3日(土)~12月13日(日)

 

ポスター 熊本県立美術館・細川コレクション展示室

細川コレクション展 細川コレクション展示室
9月18日(金)~11月8日(日)
 
チラシ画像オモテ 熊本県立図書館「くまもと文学歴史観」

企画展「絵図が語るくまもと」

―熊本県立図書館 絵図コレクションから―
10月8日(木)~11月30日(月)
〈休館日:毎週火曜日(※11月3日は開館)、10月30日(金)、11月4日(水)、11月27日(金)〉
 
 
 
肥後の里山ギャラリー開館5周年記念 松井文庫展 ―松井文庫の風雅― 肥後の里山ギャラリー
会期: 2020年8月3日(月)〜 10月31日(土)
時間: 9時30分〜16時30分
休館: 日曜・祝日

 

 

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■細川小倉藩(369)寛永六年・日帳(二月廿三日~廿七日)

2020-10-07 06:52:47 | 展覧会

                      日帳(寛永六年二月)廿三日 ~廿七日                

         |       
         |     廿三日  安東九兵衛
         |

三齋ヨリ忠利ヘノ |一、三斎様より、追而 忠利様へ被進候 御状壱通幷靏壱つ、爰元ゟ差上せ候様ニとの儀にて、中津
書状幷鶴ヲ江戸へ |  御奉行衆より書状にて、夜前持せ被指越候事、則今日江戸へ上ヶ申候事、
上グ       |
江戸へ上グ物数ノ |一、今日江戸さし上候物数覚
覚        |
 及台子     |  一、御きうたい 弐つ 箱弐つ入、
 大丸盆     |  一、大丸盆   三つ 箱壱つ入、
 鶴       |  一、靏 三つ内 壱つハ 三斎様ゟ 殿様へ被進候、
         |          壱つハ 源兵衛打候也、
         |          壱つハ かい申鶴也、
 川口ノ苔    |  一、川口ノのり 一包  壱斗五升、
 切熨斗     |  一、きりのし  一箱  三斗入
         |  右之分、御鉄炮衆飯田七左衛門・古藤一太夫二渡、江戸へ上候、但、壱駄分也、
江戸大廻ノ船   |一、江戸大廻ノ御船頭中村喜兵衛舟ニ、 御六様へ上候杉原弐束、此詰ニ御国小帋拾束入、此送切手
杉原紙      |  ハ林隠岐仕、遣被申候事、
豊前小紙     |
伊勢参宮     |一、小林久助此中在郷へ参、昨夜罷出候由にて、登城被仕候、舟便次第、参宮仕由被申候事 

         |       
         |     廿四日  加来二郎兵衛
         |                                   先殿ニてノ、

         |一、岡部道宇子息ニ付候而、江戸へ被参候歩之御小性衆松岡角太夫登城被申、〇様子申渡候事、
         |                             (有清)
彦山座主ヨリ材木 |一、御寺御材木之儀ニ付、彦山座主御奉行衆ゟ之返事、又■重而座主御坊ゟ之御返事共ニ二通、此方
ノ返書      |  ゟ彦山へ遣申状二通うつし仕、川田八右衛門・矢野勘右衛門式ア少殿へ持参被申、右之様子被申
         |  候段々、式ア殿被仰候ハ、座主若キ人ニて、か様ニ被申候間、いそき落合、山杞取之儀申付可然
         |  由被申候事、
日向ノ材木購入ニ |一、日向ニ而御材木被成御買候、此御材木取ニ御舟を被遣候か、無さ候ハヽ、うんちん舟ニ而成共と
船ノ手配     |                    (白井)(鏡)
         |  りよせ候様ニと、河田八右衛門被申候、兵介・善右衛門ニ御舟申付候ヘハ、今程御舟無之由申候
惣積衆ノ損得ノ勘 |  ゆへ、さ候ハヽ、日向ニ而舟を借、つミ廻候か、爰元ニてかり解候かを、物積衆かんかへられ可
考ヲ求ム     |  然由、申候ヘハ、日向ニ而御かり被成、御勝手ニ可成も、爰元ニ而御借リ肥成、御勝手ニ可成哉
         |  とも不存由被申候ニ付、万事御損徳をかんかへ候へと被 仰付候ヘハ、引切万事沙汰可被仕由、
         |  かた/\申渡候事、

         |       
         |     廿五日  石本三介
         |

上リ畠ニテ壁土ヲ |一、阿部甚五郎登城ニ而申候ハ、篠崎上り畠にて、御かべ土取申候跡ニ、竿をあて可申候間、御横目
採ル       |  を一人被下候様ニと申候、其方ハ土を取候役人にて候処ニ、其御役迄を不仕、きこへさる竿を打
白土奉行聞へザル |                        (河田) (矢野)
竿ヲ打ツカ    |  可申とハかつてん不参候、御作事奉行之儀候間、八右衛門・勘右衛門ゟ被申候へと申付、返し候
         |  事、

         |       
         |     廿六日  安東九兵衛
         |

秀林院塀ノ修理  |一、秀林院ゟ、使僧を以被仰越候、御寺の東の方之へいころひ申候間、被仰付可被下由被申候、此方
         |  ゟ申候ハ、御使得其意申候、同作仕様子我々ハ不存候間、御作事奉行衆ニ相尋、可申付候、残へ
         |  い共ころき不申様ニ、内々御用心可被成旨申渡事、
竹屋喜兵衛刀道具 |一、竹屋喜兵衛登城ニ而申候ハ、明後日日なミ能御座候間、豊後・日向・さつま表迄参候て、道具を
         |  も買可申と存候、さやうに御座候ヘハ、御銀子をちと被遣候ハヽ、御道具ニ可成物ニ見当候ハ
         |  ゝ、認可参由申候事、
磨上ゲノ刀ヲ見損 |一、喜兵衛前廉かい申候刀すり上物、銀子卅めニ調参候処ニ、見損、はきれ御座候間、解刀ニ成共た
ヒ刃切レアリ   |  て候て、仕替可申と存由被申候、一段可然候、かへ可被申由申候、先ゟ八寸ほと前ニこぼれ在
下刀ニ立テ仕替へ |  之、其内ニ刃だけ切れ存之、此方も見届候、 殿様御目ニもかけ置候由、被申候事、
ントス      |
肥前鍛冶惣右衛門 |一、同人申候ハ、肥前かち惣右衛門ニ御腰物三つ被仰付候、出来仕由にて、此中持参仕候内、壱こし
ニ誂エシ刀出来ス |  ハ出来能候付、取置候、今一腰打直、持参候へと、申聞遣候、重テ主留守中ニ持参仕候ハヽ、
         |  取置候へと、申付置由候事、
         |        (立成) 
         |一、言上相調、道家左近右衛門尉所へ持せ遣、渡候事、
         |      (か脱)
京へ柄鮫目貫紫革 |一、京へ、御つさめ・御目貫・紫皮・歳暮ノ小そての切手、松岡角大夫ニ上せ申候事、
歳暮ノ小袖ノ切手 |

         |       
         |     廿七日  加来二郎兵衛
         |

妙円寺住持職認可 |一、妙円寺 御前相済、江戸ニ而、御両 殿様へ御礼申上、昨日小倉着仕候由にて、登城被仕候事、
サル       |

  

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■飛脚の世界

2020-09-19 20:52:54 | 展覧会

以下の写真は細川韶邦公(当時・慶順)の初入国の際の行列の模様の一部である。(花畑屋敷四百年と参勤交代から引用)
右から5人目に「山鹿屋」とあるが、これは江戸の飛脚屋の下請け業者である。行列の中に五人ほどの姿が見えるが手代であろう。
こういう参勤の行列の、荷物の運送や日雇いの手配を生業としているが、継飛脚なども行っている。
              
 現在取り上げている「細川小倉藩」においても、盛んに江戸や京・大阪から継飛脚によって、大事な文書が送られてくることが記されている。
私は全く知識がなく何か良い資料はないかと思っていたところに、「江戸の飛脚 - 人と馬による情報通信史」を見つけた。

                    

 もう少し早く見つけて居れば、四連休に間に合ったのにと、少々残念なことではあるが待つことにしよう。

内容(「BOOK」データベースより)

街道を翔け抜けた人馬たち―江戸時代に手紙やモノはどのように運ばれたのか。飛脚の知られざる全容に迫る、初めての書!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

巻島/隆
1966年、東京生まれ。地方紙記者。放送大学卒業、信州大学・群馬大学大学院修士課程修了、高崎経済大学大学院博士後期課程修了。2010年、高崎経済大学博士(学術)。博士論文は「近世における飛脚問屋の研究―情報・金融・流通・文化の地域間交流」。2008年、石川薫記念地域文化賞(奨励賞)受賞。2014年、群馬大学社会情報学部非常勤講師(前期)
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■細川小倉藩(350 )寛永五年・日帳(十二月廿ニ~廿四日)

2020-09-18 16:24:30 | 展覧会

                      日帳(寛永五年十二月)廿二~廿四日

         | 
         |     廿二日 石本三介
         |
         |             (扶持ヵ)
弓足軽扶持ヲ放ツ |一、山内勘兵衛組の御弓之衆放をはなし、いなせ被申候ニ付、彼者母なと川口出申ニ付、勘兵衛組の
ニツキ母等女ノ川 |  小頭松尾彦兵衛参候而申候は、川口御番衆ニ申候ヘハ、出シ可申由、申候通申ニ付、則川口御番
口ノ出方 与頭判 |  之者両人召寄候而、口を開候ヘハ、今朝早天ニ小頭彦兵衛参候而、山内勘兵衛判の出切手を持参
ノ出切手     |  候而見せ申候、私とも存候は、当分在所へ参、やかて罷帰ものかと存候而、出シ可申由申候、少
         |                                      〃
         |  無念シ、他国へ居留申候ものにて候か、又やかて帰り申候ものかとも尋不申、出シ可申と申候
女ノ出シ方    |  而、迷惑仕由にてあやまり申候、惣而女出シ申候ハ、 殿様御内ニ被成御座候ヘハ、御印にて出
忠利在国中ハ御印 |  シ申候、御留守之時は、御年寄衆ゟの御切手にて出シ申旨、連々其旨を守申候へとも、右申上
ニテ出シ留守ノ時 |  候ことく、当分ノ儀にて、やかて罷下者かと存候而、無念を仕候由候間、以来能心得可申候、
ハ年寄中切手   |  大事ノ儀ニて候間、此已後能嗜候へ之由申付候而、指帰候事、
         |   (親盛)      (元明)            半斎
松野幷住江百姓同 |一、松野半斎百生と住江甚兵衛百生との公事ニ、〇召仕被申候もの、半斎百生之ひいきを仕、同前ニ
士ノ公事ニ松野家 |  公事の相手の所ニ参候而、公事ニ手伝候ものニて候故、以来為御掟、今朝御誅伐仕候由、吉田縫
来贔屓セルヲ誅伐 |  殿助登城にて、被申候事、
ス        |
竹ノ注文     |一、御舟のはしり竹 百本、但、根ほりニして、但、六寸五寸廻り也、
         |一、にか竹 五十束、但、矢蔵かき竹、弐尺五寸なわ也、
         |一、から竹 三十束、但、同なわ也、
古木■縄葛奉行へ |  右之注文、大槻久次ニ遣、久次ゟ御郡へ切かミ遣申候、きり申入ハ沢田善右衛門へ切かミ遣わ候
指令       |  也

         | 
         |     廿三日 安東九兵衛
         |
求菩提山惣中ヨリ |一、求菩提山惣中ゟ、歳暮之御札弐枚、巻数壱枝、御茶五拾袋参候
歳暮之御札巻数茶 |
ヲ上グ      |
         | 同山
南ノ坊幷地蔵院ヨ |一、御祈祷之御目録壱つ、南ノ坊ゟ、
リ祈祷目録ヲ上グ |
         | 同山
         |一、御祈祷之御目録壱つ、地蔵院、
         |  右之分、玄徳そへ、林隠岐に被相渡候へと、遣申候也、
本丸ヨリ餅搗ノ祝 |一、御本丸ゟ、御餅つき御祝として、御餅幷御すゝ参候、則松丸中諸奉行ともあつまり候て、祝申候
松丸奉行所ニ来ル |  事、
鞍持山ヨリ山ノ芋 |一、中津郡鞍持山ゟ、山ノいも一折・御札、使僧ニて被差上候、則林隠岐ニ持させ候事、
御札ヲ上グ    |
         |  (苅田、京都郡)
落真鴨ヲ上グ   |一、かん田之町ノ橋つめニ、真鴨ノ女鳥壱つ死在之由ニて、持来候、則ひかへ帳ニ付させ、御台所へ
         |  上ヶ候事、
         |  (是季)
拾得ノ白鷺ヲ鷹部 |一、長岡監物殿ゟ、白さき壱つ持せ、被成御上候、子細ハ、監物殿鷹それ申候付、たつねニ被遣候処
屋へ遣ス     |  ニ、右ノさきひろい参候由ニて、御上候、則御鷹へやへ遣候事、
 
         | 
         |     廿四日 加来二郎兵衛
         |
         |一、大坂ゟ一尾采女・国友式右衛門被罷下候事、
正月ノ祝道具積下 |一、吉田市左衛門舟ニ、正月ノ御祝道具つミ下り候を、梅田和泉・黒瀬九郎右衛門ニ被渡候へと、申
ルヲ台所人へ渡ス |  渡候、御材木もつミ下り候由申候付、守田又兵衛・井上長助ニ被渡候へと、申渡候事、
積下ル材木ヲ材木 |
奉行へ渡ス    |

 

 

 

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■第51回古書籍販売会

2020-09-18 10:48:49 | 展覧会

                 

 古書籍販売会が開催される季節になった。又目録をお送りいただいた。厚くお礼申し上げる。
51年という歴史はすごいものだが、私が初めて足を運んだのは30年ほど前のことではなかろうか?
初めて古文書なるものに興味を持ち「銀台遺事」を購入した。今では何とか読むことができるが、当時は全くと言っていいほどチンプンカンプンであった。
古書籍には随分お世話になり、本棚の主要部分に鎮座している。

この目録を眺めていると、欲しいものが随分あるが慢性的金欠病である私にとっては大いに目の毒ではある。
コロナ禍でお客様の出足が心配だが、盛会をお祈り申し上げる。

                     第51回古書籍販売会
                      期間:令和2年9月23日(水)~28日(月)
                      会場:鶴屋百貨店 本館6階 大催事場

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■「論語と算盤」

2020-09-13 13:55:34 | 展覧会

 自民党総裁選挙、もう決まったようなものだが、セレモニーとして三者の会見が行われていた。
そんな中、岸田氏が示したボードに「論語と算盤」と書かれている。奥方が「何のこと?」と首をかしげていた。
「ほほう、そう来たか」と思ったが、来年の大河ドラマを意識したことではあるまいが?

               現代語訳 論語と算盤の画像

渋沢栄一の著「論語と算盤」は、「利潤と道徳を調和させる」ことを説いている。
新10,000円札や大河のせいでもあるまいが、ちくま新書の現代語訳(守屋淳訳)は35刷以上となりベストセラーである。
私も同著を購入したあとパラパラと目を通したままであったから、今日は一気に読了してみようと思って今からチャレンジしてみようと思う。
岸田氏の話の内容は承知していないが、何をいわんとされたのかを探ってみようと思っている。

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