津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(390)寛永六年・日帳(卯月五日)

2020-10-30 06:41:13 | 展覧会

                      日帳(寛永六年卯月)五日

         |       
         |     (四月)五日  石本三介
         |
忠利牡丹ノ実ヲ植 |一、上林甚助呼、江戸ゟ被仰下候、ほたんの実取、植させ候へと、被仰下候間、自分ぬけさる様ニ植
へシム      |  可被申候、なく候ハヽ、御家中ニてもらひ、うへ可申旨 御意之通、書付渡申候、
牡丹ノ種ヲ小壺ニ |一、甚助被申候ハ、ちいさき壺壱つ御詰被成候而、江戸へ御下被成可然存候由、被申候、得其意候由
詰ム       |  申事、
         |   阿片(熊本大学永青文庫センター編「永青文庫の古文書」p120~「上田太郎右衛門によるアヘンの製造と葡萄酒」後藤典子氏)
あひん制作ニ浅葱 |一、あひん御誘被成御用ニ、浅黄椀拾人前入申候間、上林甚助ニ可有御渡遣候、そこね申儀にてハ無
椀ヲ求ム     |  之由、住江甚兵衛所へ切帋遣事、                〃
         |
家屋敷ヲ望ムモ鬮 |一、田辺角介・菅八左衛門登城にて、角介申候ハ、八左衛門儀今迄家ヲ持不申候、先度もくじ取仕
ニ当ラズ     |  候へ共、取当り不申候、左様ニ御座候ヘハ、今度江戸にて果申蒲生猪左衛門家と、谷下総下屋敷
家奉行ニ厚相スル |  ニも家御座候間、いつれ成共壱軒被下候様ニと被申候、尤にて候、左様ノ儀ハ御家奉行へ被仰候
ヲ指示ス     |  ハヽ、家奉行ヨリ可被申候間、家奉行衆へ被申候へと、申渡候事、
家中用ノ茶壷ハ舟 |一、式ア少輔殿ゟ、御使者にて被仰下候ハ、家中の茶壷御舟にて上り申候、来十日ニ出船仕候間、可
ニテ上ス     |  被得其意旨申触候間、御舟之儀可被仰付之由被仰下候、得其意存候通申候事、
遠州灘難破ノ船頭 |一、今度遠州灘にて、破損仕候御舟之船頭林六右衛門走り申候ニ付、彼女房籠者被仰付候、六右衛門
         |                       
走ルニ付女房入牢 |  養娘壱人御座候、是物当町新や與左衛門尉預り籠申候、六右衛門養のせかれ壱人四つニ成申
養娘ハ町預リトス |  
養娘ノ子四才ノ処 |  候、是者おば所ニ居申候間、是もおやこ壱つニ召置候而可然之由候間、新や與左衛門預り候へは
置        |
         |  と先日ご家老衆にて相談合仕候、御家老衆差図にて候間、
早々與左衛門預り、母と一所ニ置候
         |  へと可被申付之由、吉田縫殿ニ申渡、其分ニ仕置候処ニ、又今日吉田縫殿新や與左衛門同道にて
町人新や与左衛門 |  登城被仕候而、被申候は、先日預り可申と申候もの、預り可申と申候へとも、是は奉公人かた
町預ヶヲ拒ム   |  の者を町ゟあつかり申儀も如何にて候間、母ともニ上ヶ可申由、縫殿取次にて申候、此方ゟ申候
         |  は、以外先日之段々相違仕候、ひとたび御年寄衆御相談の上ニ而、預り申候ニ仕候而、又左様の申
         |                         (ママ)            (木下延俊)
木下延俊ノ宿主  |  分、ひとへにうへをかろしめたる様にて候、以来を能心得候へ、其方なとハ右衛門殿御やと、又
殿様モ御存知ノ仁 |  は、殿様も御存知の仁にて候ニ、其方なとゟか様ニかたきりたる事を申候ヘハ、わき/\の町人
         |  なとも、縫殿申付候事かろく可存候、沙汰のかきりなる申様にて候、其上彼せかれ其方造作ニな
         |               
         |  るほとのものにても無之候、〇四つニ成候ものゝ儀にて候間、如何様ニ仕候而めしおき候とも、
         |               つかり
         |  事やすき事かと存候、弥々あ■■申間敷と存候ハヽ、又々御家中老中へ申、その上にて御年寄衆被
         |                              〃
         |  仰次第ニ可仕申候ヘハ、それまても無御座候、御奉行衆右ノ御意にて候間、早々與左衛門預り
町預ヲ承服ス   |  候へと縫殿被申候、與左衛門も御意次第ニ可仕と申候而、其通ニ定候也、
         |一、山村三丞、今程御算用之すきにて御座候間、在所へ参度由申候間、参候へと申渡候事、
         |            (頭脱)                       (野脱)
           
家中茶壷ノ回漕  |一、家中茶壷積上り候船上原久右衛門・袖九右衛門尉両人也、但、九右衛門舟一艘ニ弐人上ス、
         |   (正次)
         |一、嶋又左衛門、大坂ゟ被罷下候時、舟壱艘かり乗被下候、其様子、寺嶋主水方ゟ被申下候状、中神
         |  與兵衛ニ渡也、

 

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■細川小倉藩(388)寛永六年・日帳(卯月三日)

2020-10-28 07:03:59 | 展覧会

                      日帳(寛永六年卯月)三日

         |       
         |     (四月)三日  石本三介
         |                                             遣、
町加子ノ父入牢セ |一、町加子加右衛門親五郎右衛門、昨日籠者被仰候付候、則籠ニ入候切手壱枚、修理・兵庫者ニ持せ〇、
シメ切手ヲ渡ス  |  番衆ニ渡候也、
         | (筑紫重門室、細川幸隆女)
かね幷いよヨリ端 |一、御かね殿ゟ、御使にて被仰下候は、江戸へ被成御上候御帷子、御飛脚参候は御言伝有度ノ旨、被
午ノ帷子進上ノ便 |              (長沢顕長室、沼田清延女)  
ヲ求メラル    |  仰下候、いまた究不申候、いよとのよりも御帷子御上せ候、是も御家中ゟ使者被参候ハヽ、それ
         |  ニ言伝可申との事にて候、追而御左右可申上よし申候也、
         |     (六脱)                                   (隆重)
明家奉行家屋敷ヲ |一、大津留左衛門・波多理右衛門、家屋敷ノ望申衆ノ書立、持参被申候、村上八郎左衛門内田頭又右
         |      (口脱)
望ム者ノ書立ヲ持 |  衛門屋敷面五間半ニ、入四間五尺、山添彦兵衛望申、別ニ望て無之由候間、かたかきニ、別
参ス       |  ニ、望て無之候ハヽ、可被相渡通、かき付候事、
         |一、志水市兵衛上り屋敷、面口五間ニ、入拾五間御座候、上野角左衛門望申由候、これも別ニのそミ
         |  申者無之候ハヽ、可被相渡候通、肩書ニ仕、遣事、
         |                                    (野脱)    (野脱)
         |一、面口五間半ニ、入拾五間八木田平右衛門上り屋敷、右家屋敷南野九郎兵衛・菅八左衛門・庄理左
鬮取       |  衛門・岩下弥次右衛門、四人ニてのそミ申候、くじ取ニ庄理左衛門取当り申候間、可被相渡通、
         |  肩書仕、遣事、
請藪理リノ書物  |一、国東郡竹田津ノ長助・慶竹・助丞請藪理りノ書物壱つ、中津ゟ国東郡御奉行ニ当り申、蒲田久
         |  左衛門・清水自兵衛ゟノ状壱つ、共ニ清田次左衛門ニ渡候也、
忠利ヘノ端午ノ帷 |一、黒瀬九郎右衛門呼、伊与殿へ被申候へと申候ハ、一昨日被仰候ハ、 殿様御帷子五つ急度江戸へ
子        |  上ヶ可申候間、便無之候ハヽ、態上せ可申由被仰候、今日御家老衆ゟ、御飛脚両人江戸へ可被遣
         |  候間、申付候へと被仰候間、此使ニ御上ヶ可被成由、被申候へと申候ヘハ、其通申候ヘハ、今少
便船一両日出発ヲ |  はり申御帷子御座候間、一両日御またせ被成候儀ハ成申間敷哉と被仰候、それは成不申候、子細
延スコトナラズ  |  ハ、我等共ゟ遣申飛脚にて無御座候間、御家老衆ゟ被遣儀候間、まち申儀ハ成申間敷通、御返事申
         |  候事、
         |一、今日上り申御小早御船頭田辺長助登城申事、
すやき      |一、安場仁左衛門被申候ハ、先日申候すやきの事・御番筒台金具事、大学殿へ尋申候ヘハ、すやきハ
番筒ノ台金具   |  急ニ入申候ハヽ、木ほりにて成共約ニたて可申候、台かな具ハ急ニ成申間敷候間、申付可然由、被
十一丁分御印帳ニ |  仰候通被申候間、台金具御番筒拾壱丁分、御印帳ニ付申候事、
記入ス      |
         |一、今日江戸へ参候御飛脚寺本八左衛門与有永少九郎・同与川上少右衛門、右両人上り候也、
江戸ヘノ書状   |  右ノ御飛脚ニ上せ申もの
         |  一、御年寄衆ゟ言上ノ文箱壱つ、
         |  一、修理・兵庫ゟ文箱壱つ、但、言上也、
         |    野田小左衛門・乃美市郎兵衛状二つ遣也、

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■細川家家臣略系譜との違いを調べる。

2020-10-23 12:49:27 | 展覧会

 先に ■「侍帳」の本当の数で、「細川家家臣略系譜」の数として次のようにご紹介した。
細川家家臣略系譜は、永青文庫に「先祖附」が存在する諸家の名簿でもある。

    知行取                       小計1,149家

      南東五六・27家 南東五七・36家        小計  63家
      南東五八・62家                小計  62家
    茶・鷹・馬  南東五九・24家            小計  24家
    一代御中小姓  南東六〇・29家 南東六一・30家   小計  59家
    十代相族寸志  南東六二・15家           小計  15家
                              合計1,372家  

T家所蔵の「肥後旧藩士禄名籍」によると、御中小姓が省かれているが、大凡の数からするとあまり変わらないことになる。
    旧知人数      515人
    新知 同      460人
    蔵米          30人
    擬作        240人
    中小姓
    寸志          47人               合計1,315人

この「肥後旧藩士禄名籍」は公になっていない史料だが、特記といったものはないものの、幕末期の確かな記録として貴重である。
現在これを「新・肥後細川藩侍帳」改定版に反映させる作業を行っている。
これが上の「細川家家臣略系譜」とどう異なるのかを調べ上げてみようと思っている。

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■細川小倉藩(384)寛永六年・日帳(閏二月廿五日)

2020-10-23 06:42:11 | 展覧会

                      日帳(寛永六年閏二月)廿五日                

         |       
         |     廿五日  安東九兵衛
         |

大阪城普請惣銀ノ |一、御年寄衆ゟ、夜前両人ともニ被召寄候間、参候処ニ、式ア殿・頼母殿・監物殿被仰候は、去年大
算用       |
         |  坂御普請惣銀の御算用、住江四郎兵衛・佐田吉左衛門尉仕上候を、安東弥次右衛門尉・河北九太夫
銀子ノ欠立ツ   |  両人に承届候処ニ、銀子のかん立候、今又悪敷銀を請取申ニ付、つかわれ不申候而、右両条つ
悪敷銀ヲ請取ル  |
両条ニヨリ算用ニ |  かへ有之儀ニ候、是は如何仕たる儀ともにて可在之候や、惣中ノわまへになり可申ニ成儀にて可
ニ支障アリ    |  有之候哉、またハ四郎兵衛・吉左衛門尉両人ノ手前ゟ弁可申儀ニて候やと、御年寄衆被仰せ候間、
ソノ決済法 惣弁 |  先例も可有御座候、先例無御座ニ、惣わきまへニ成申候ハヽ、例ニもなり、大銀の時如何可有御  
ヘノ先例ナシ   |          (米田是季)
         |  座候や、幸、大坂へ監物殿被成御座候間、先にて此段被■聞召届、かん立候而も、又悪敷銀取置、
         |  其主ニ
         |  〇払さき戻シ申儀も不相成時は、惣様損ニ可被成と被仰定候ハヽ、如何程かん立候とも、又あし
         |   〃〃〃
         |  き銀取置、損立候とも、可被成御立儀と奉存候由、申候処ニ、其御約束も無之候、またかん銀、悪
銀奉行ノ弁へ   |  敷銀惣様ゟ聞たる例も無之候間、銀奉行わきまへニ可仕通ニ相極候事、則中神與兵衛ニ、式ア殿
         |  座敷にて、そのまゝ被仰渡候事、惣銀の儀は與兵衛次第と冣前被仰出候間、私とも申儀は在之間敷
         |                                  (ママ)
         |  通、此儀被仰聞候へと、即刻御三人へ申候処ニ、先例も有之やと、無之やと御尋ニ候、與兵衛も
         |  銀奉行弁ニ成可申儀と、右ゟ存候と申置候事、
         |    主                     くろさき
永嶺左ニ衛門父子 |一、桑原殿与永嶺左二衛門おやこいさかいにて、〇筑前口人留の所ニ参懸り候、御番衆召連参候を、
諍ヒ倅出奔    |                       〃〃
黒崎口ニテ捕ハレ |                          (寄脱)        (沢村吉重)
入牢中発病ス   |  籠ニ御入置候処ニ、煩申候ニ付、主殿預り申度由、御年衆へ御理申候、大学殿も同前ニ被仰、我
与頭預リヲ願ウ  |  等共両人ニも御申候間、とかく御年寄衆御分別次第にて御座候、私ともさしづ無之通申候処ニ、
ソノ処置     |  此儀も右銅座にて、御年寄衆煩之様子、預り人の儀如何可在之やと被仰聞候間、尤せかれの儀、
         |  其上煩申儀ニ御座候間、御預候而 御前如何可有之やと被思召通、私とも分別ニ 御前之儀推量
         |  不罷成候、尤各様御分別ニも 御前之様子は相申ましきと存候間、さし当り煩之儀ニ御座候
         |  間、籠ゟ御出シ候て、被成御預、重而被立 御耳、其時出スましき物を出シ候と被仰出候時、御
         |  後悔無之御分別被成候か、其まゝ被召置、籠にて養生被仰付候か、此儀は何共私ともさしつニ不
ソノマゝ養生セシ |  罷成候間、しかと御分別可被成通申候処ニ、所詮被成にくき儀ニ候間、其まゝ置、養生御させ被
ム        |  成ニ相究候事、
         |                              (き脱)
免ノ吟味城中ニテ |一、金子喜左衛門尉被申候は、御免ノ吟味、御城にてハ何とも仕にく儀にて候間、服部九郎左衛門
ハ仕難シ     |  尉同心仕候而、加藤新兵衛やとにて、御免之吟味をも仕度存候由被申候、一段可然候間、其通ニ
         |  被仕候へと申候事、
秀林院塀ノ修繕ノ |一、秀林院ゟ、使僧にて被仰越候ハ、御寺のへいひかへ柱被仰付、忝存候、左様ニ御座候ヘハ、又廿
追加ヲ乞ウ    |               (土 居)
         |  間ほところひ申候ヲおこし、つちいおち申候て、下地まてにて御座候、如何被仰付可被下やと被
         |  申候、心得申候、追而可申付由申候事、
呼野金山門番妻子 |一、辻九右衛門登城にて申候ハ、呼野御金山の御門番被仰付、参候処ニ、私一人参候而居申候ヘハ、
同伴ノ可否ヲ伺ウ |               (春木)
         |  めしたべ可申様も無御座候、金太夫被申候ハ、とく/\妻子引越候て可然由、被申候、如何可仕
         |  や、妻子引越候而も、又 殿様御下向之時、罷出候ヘハ、少身物にて何共成かね申候由申候、
妻子ヲ引越サシム |  返事ニ、万事不自由ニ候ハヽ、まづさいし引越候へ、重而御用之時ハ、其時何とそ申付やうも可
         |  有之候間、引こし候へと申付事、
         |                                    (隆重)
村上隆重下明邸ニ |一、沢村大学殿ゟ、御使にて被仰越候ハ、拙者下屋敷へ今日参候とて見申候、村上八郎左衛門尉下屋
大風ニヨル潰家ア |  敷ノ内ニ、今度の風ニつふれ家弐つ三つ有之と見え申候ま、御うらせ候か、左なく候ハヽ、御台
リ   家奉行ニ |  所へ、御薪ニ成共御払わせ候而可然由、被仰候、返事ニ、左様之儀家奉行ニ申渡、見苦敷無之
処分セシム    |  様ニ被仕候へと、申付候由、御返事申候事、
藤本勘助身内ノ掛 |一、藤本勘助登城ニ而被申候ハ、猪左衛門兄久次と申者、尾張国ニ罷居候へ共、一両年爰元罷下居申
人ノ仕官願    |         候而  
         |  候、我々ニ引合〇被申候ハ 殿様御下国被成候ハヽ申上、相当ニ被 召遣被下候様ニと被申候
         |  事、



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■京兆家・典厩家・野州家

2020-10-22 10:53:36 | 展覧会

 今日の「細川小倉藩」でご紹介した細川七左衛門については、長い間一族ではあろうがどういう人物なのか謎であった。
ある方の情報で今年の3月11日、下記の系図をお示しした。
         ■細川之系図「典厩家細川藤賢の子が清左衛門、その子が七左衛門と出雲」

典厩家とは代々の人(全てではない)が右馬助を名乗ったため、 「馬寮の長官を務める官職、左馬頭・右馬頭(従五位下)の名称」の唐名からそう称したとされる。
典厩家は細川宗家の京兆(左京大夫・右京大夫の唐名)家の10代持之の弟・持賢を初代とし藤賢は4代目である。

肥後細川家は藤孝(幽齋)が和泉守護家とされるが、典厩家系・七左衛門と肥後細川家の関係は、それぞれの家系を京兆家3代頼春まで10代余遡らなければならない遠い/\一族である。
この親子二代三人を忠興・忠利が豊前に迎え入れた。「細川小倉藩」の記録に時折名前が登場するが、清左衛門は小倉で亡くなったようだが、清左衛門は熊本入国後離国したらしい。弟・出雲については詳しいことは判らない。
一族の栄枯盛衰が見て取れる。

さて系図上からすると、和泉守護家の細川藤孝(幽齋)の後は、息・幸隆が継ぎ、そののちは細川刑部家がついだとされている。(ウイキペディア)

藤孝の息・忠興は細川奥州家を継承した。陸奥守を名乗った家柄から奥州家とされるが、忠興は「自分は父藤孝とは違う大外様である」といっている。(綿考輯録)奥州家はまさに足利将軍家の大外様の家である。

はっきりしている事は、藤孝(幽齋)、忠興、忠利と肥後細川家の流れは一本の「清らかな流れ」として今日に至っているということである。

                                     

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■秋の展覧会

2020-10-20 15:00:48 | 展覧会

チラシ 熊本県立美術館

10月3日(土)~12月13日(日)

 

ポスター 熊本県立美術館・細川コレクション展示室

細川コレクション展 細川コレクション展示室
9月18日(金)~11月8日(日)
 
チラシ画像オモテ 熊本県立図書館「くまもと文学歴史観」

企画展「絵図が語るくまもと」

―熊本県立図書館 絵図コレクションから―
10月8日(木)~11月30日(月)
〈休館日:毎週火曜日(※11月3日は開館)、10月30日(金)、11月4日(水)、11月27日(金)〉
 
 
 
肥後の里山ギャラリー開館5周年記念 松井文庫展 ―松井文庫の風雅― 肥後の里山ギャラリー
会期: 2020年8月3日(月)〜 10月31日(土)
時間: 9時30分〜16時30分
休館: 日曜・祝日

 

 

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■細川小倉藩(369)寛永六年・日帳(二月廿三日~廿七日)

2020-10-07 06:52:47 | 展覧会

                      日帳(寛永六年二月)廿三日 ~廿七日                

         |       
         |     廿三日  安東九兵衛
         |

三齋ヨリ忠利ヘノ |一、三斎様より、追而 忠利様へ被進候 御状壱通幷靏壱つ、爰元ゟ差上せ候様ニとの儀にて、中津
書状幷鶴ヲ江戸へ |  御奉行衆より書状にて、夜前持せ被指越候事、則今日江戸へ上ヶ申候事、
上グ       |
江戸へ上グ物数ノ |一、今日江戸さし上候物数覚
覚        |
 及台子     |  一、御きうたい 弐つ 箱弐つ入、
 大丸盆     |  一、大丸盆   三つ 箱壱つ入、
 鶴       |  一、靏 三つ内 壱つハ 三斎様ゟ 殿様へ被進候、
         |          壱つハ 源兵衛打候也、
         |          壱つハ かい申鶴也、
 川口ノ苔    |  一、川口ノのり 一包  壱斗五升、
 切熨斗     |  一、きりのし  一箱  三斗入
         |  右之分、御鉄炮衆飯田七左衛門・古藤一太夫二渡、江戸へ上候、但、壱駄分也、
江戸大廻ノ船   |一、江戸大廻ノ御船頭中村喜兵衛舟ニ、 御六様へ上候杉原弐束、此詰ニ御国小帋拾束入、此送切手
杉原紙      |  ハ林隠岐仕、遣被申候事、
豊前小紙     |
伊勢参宮     |一、小林久助此中在郷へ参、昨夜罷出候由にて、登城被仕候、舟便次第、参宮仕由被申候事 

         |       
         |     廿四日  加来二郎兵衛
         |                                   先殿ニてノ、

         |一、岡部道宇子息ニ付候而、江戸へ被参候歩之御小性衆松岡角太夫登城被申、〇様子申渡候事、
         |                             (有清)
彦山座主ヨリ材木 |一、御寺御材木之儀ニ付、彦山座主御奉行衆ゟ之返事、又■重而座主御坊ゟ之御返事共ニ二通、此方
ノ返書      |  ゟ彦山へ遣申状二通うつし仕、川田八右衛門・矢野勘右衛門式ア少殿へ持参被申、右之様子被申
         |  候段々、式ア殿被仰候ハ、座主若キ人ニて、か様ニ被申候間、いそき落合、山杞取之儀申付可然
         |  由被申候事、
日向ノ材木購入ニ |一、日向ニ而御材木被成御買候、此御材木取ニ御舟を被遣候か、無さ候ハヽ、うんちん舟ニ而成共と
船ノ手配     |                    (白井)(鏡)
         |  りよせ候様ニと、河田八右衛門被申候、兵介・善右衛門ニ御舟申付候ヘハ、今程御舟無之由申候
惣積衆ノ損得ノ勘 |  ゆへ、さ候ハヽ、日向ニ而舟を借、つミ廻候か、爰元ニてかり解候かを、物積衆かんかへられ可
考ヲ求ム     |  然由、申候ヘハ、日向ニ而御かり被成、御勝手ニ可成も、爰元ニ而御借リ肥成、御勝手ニ可成哉
         |  とも不存由被申候ニ付、万事御損徳をかんかへ候へと被 仰付候ヘハ、引切万事沙汰可被仕由、
         |  かた/\申渡候事、

         |       
         |     廿五日  石本三介
         |

上リ畠ニテ壁土ヲ |一、阿部甚五郎登城ニ而申候ハ、篠崎上り畠にて、御かべ土取申候跡ニ、竿をあて可申候間、御横目
採ル       |  を一人被下候様ニと申候、其方ハ土を取候役人にて候処ニ、其御役迄を不仕、きこへさる竿を打
白土奉行聞へザル |                        (河田) (矢野)
竿ヲ打ツカ    |  可申とハかつてん不参候、御作事奉行之儀候間、八右衛門・勘右衛門ゟ被申候へと申付、返し候
         |  事、

         |       
         |     廿六日  安東九兵衛
         |

秀林院塀ノ修理  |一、秀林院ゟ、使僧を以被仰越候、御寺の東の方之へいころひ申候間、被仰付可被下由被申候、此方
         |  ゟ申候ハ、御使得其意申候、同作仕様子我々ハ不存候間、御作事奉行衆ニ相尋、可申付候、残へ
         |  い共ころき不申様ニ、内々御用心可被成旨申渡事、
竹屋喜兵衛刀道具 |一、竹屋喜兵衛登城ニ而申候ハ、明後日日なミ能御座候間、豊後・日向・さつま表迄参候て、道具を
         |  も買可申と存候、さやうに御座候ヘハ、御銀子をちと被遣候ハヽ、御道具ニ可成物ニ見当候ハ
         |  ゝ、認可参由申候事、
磨上ゲノ刀ヲ見損 |一、喜兵衛前廉かい申候刀すり上物、銀子卅めニ調参候処ニ、見損、はきれ御座候間、解刀ニ成共た
ヒ刃切レアリ   |  て候て、仕替可申と存由被申候、一段可然候、かへ可被申由申候、先ゟ八寸ほと前ニこぼれ在
下刀ニ立テ仕替へ |  之、其内ニ刃だけ切れ存之、此方も見届候、 殿様御目ニもかけ置候由、被申候事、
ントス      |
肥前鍛冶惣右衛門 |一、同人申候ハ、肥前かち惣右衛門ニ御腰物三つ被仰付候、出来仕由にて、此中持参仕候内、壱こし
ニ誂エシ刀出来ス |  ハ出来能候付、取置候、今一腰打直、持参候へと、申聞遣候、重テ主留守中ニ持参仕候ハヽ、
         |  取置候へと、申付置由候事、
         |        (立成) 
         |一、言上相調、道家左近右衛門尉所へ持せ遣、渡候事、
         |      (か脱)
京へ柄鮫目貫紫革 |一、京へ、御つさめ・御目貫・紫皮・歳暮ノ小そての切手、松岡角大夫ニ上せ申候事、
歳暮ノ小袖ノ切手 |

         |       
         |     廿七日  加来二郎兵衛
         |

妙円寺住持職認可 |一、妙円寺 御前相済、江戸ニ而、御両 殿様へ御礼申上、昨日小倉着仕候由にて、登城被仕候事、
サル       |

  

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■飛脚の世界

2020-09-19 20:52:54 | 展覧会

以下の写真は細川韶邦公(当時・慶順)の初入国の際の行列の模様の一部である。(花畑屋敷四百年と参勤交代から引用)
右から5人目に「山鹿屋」とあるが、これは江戸の飛脚屋の下請け業者である。行列の中に五人ほどの姿が見えるが手代であろう。
こういう参勤の行列の、荷物の運送や日雇いの手配を生業としているが、継飛脚なども行っている。
              
 現在取り上げている「細川小倉藩」においても、盛んに江戸や京・大阪から継飛脚によって、大事な文書が送られてくることが記されている。
私は全く知識がなく何か良い資料はないかと思っていたところに、「江戸の飛脚 - 人と馬による情報通信史」を見つけた。

                    

 もう少し早く見つけて居れば、四連休に間に合ったのにと、少々残念なことではあるが待つことにしよう。

内容(「BOOK」データベースより)

街道を翔け抜けた人馬たち―江戸時代に手紙やモノはどのように運ばれたのか。飛脚の知られざる全容に迫る、初めての書!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

巻島/隆
1966年、東京生まれ。地方紙記者。放送大学卒業、信州大学・群馬大学大学院修士課程修了、高崎経済大学大学院博士後期課程修了。2010年、高崎経済大学博士(学術)。博士論文は「近世における飛脚問屋の研究―情報・金融・流通・文化の地域間交流」。2008年、石川薫記念地域文化賞(奨励賞)受賞。2014年、群馬大学社会情報学部非常勤講師(前期)
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■細川小倉藩(350 )寛永五年・日帳(十二月廿ニ~廿四日)

2020-09-18 16:24:30 | 展覧会

                      日帳(寛永五年十二月)廿二~廿四日

         | 
         |     廿二日 石本三介
         |
         |             (扶持ヵ)
弓足軽扶持ヲ放ツ |一、山内勘兵衛組の御弓之衆放をはなし、いなせ被申候ニ付、彼者母なと川口出申ニ付、勘兵衛組の
ニツキ母等女ノ川 |  小頭松尾彦兵衛参候而申候は、川口御番衆ニ申候ヘハ、出シ可申由、申候通申ニ付、則川口御番
口ノ出方 与頭判 |  之者両人召寄候而、口を開候ヘハ、今朝早天ニ小頭彦兵衛参候而、山内勘兵衛判の出切手を持参
ノ出切手     |  候而見せ申候、私とも存候は、当分在所へ参、やかて罷帰ものかと存候而、出シ可申由申候、少
         |                                      〃
         |  無念シ、他国へ居留申候ものにて候か、又やかて帰り申候ものかとも尋不申、出シ可申と申候
女ノ出シ方    |  而、迷惑仕由にてあやまり申候、惣而女出シ申候ハ、 殿様御内ニ被成御座候ヘハ、御印にて出
忠利在国中ハ御印 |  シ申候、御留守之時は、御年寄衆ゟの御切手にて出シ申旨、連々其旨を守申候へとも、右申上
ニテ出シ留守ノ時 |  候ことく、当分ノ儀にて、やかて罷下者かと存候而、無念を仕候由候間、以来能心得可申候、
ハ年寄中切手   |  大事ノ儀ニて候間、此已後能嗜候へ之由申付候而、指帰候事、
         |   (親盛)      (元明)            半斎
松野幷住江百姓同 |一、松野半斎百生と住江甚兵衛百生との公事ニ、〇召仕被申候もの、半斎百生之ひいきを仕、同前ニ
士ノ公事ニ松野家 |  公事の相手の所ニ参候而、公事ニ手伝候ものニて候故、以来為御掟、今朝御誅伐仕候由、吉田縫
来贔屓セルヲ誅伐 |  殿助登城にて、被申候事、
ス        |
竹ノ注文     |一、御舟のはしり竹 百本、但、根ほりニして、但、六寸五寸廻り也、
         |一、にか竹 五十束、但、矢蔵かき竹、弐尺五寸なわ也、
         |一、から竹 三十束、但、同なわ也、
古木■縄葛奉行へ |  右之注文、大槻久次ニ遣、久次ゟ御郡へ切かミ遣申候、きり申入ハ沢田善右衛門へ切かミ遣わ候
指令       |  也

         | 
         |     廿三日 安東九兵衛
         |
求菩提山惣中ヨリ |一、求菩提山惣中ゟ、歳暮之御札弐枚、巻数壱枝、御茶五拾袋参候
歳暮之御札巻数茶 |
ヲ上グ      |
         | 同山
南ノ坊幷地蔵院ヨ |一、御祈祷之御目録壱つ、南ノ坊ゟ、
リ祈祷目録ヲ上グ |
         | 同山
         |一、御祈祷之御目録壱つ、地蔵院、
         |  右之分、玄徳そへ、林隠岐に被相渡候へと、遣申候也、
本丸ヨリ餅搗ノ祝 |一、御本丸ゟ、御餅つき御祝として、御餅幷御すゝ参候、則松丸中諸奉行ともあつまり候て、祝申候
松丸奉行所ニ来ル |  事、
鞍持山ヨリ山ノ芋 |一、中津郡鞍持山ゟ、山ノいも一折・御札、使僧ニて被差上候、則林隠岐ニ持させ候事、
御札ヲ上グ    |
         |  (苅田、京都郡)
落真鴨ヲ上グ   |一、かん田之町ノ橋つめニ、真鴨ノ女鳥壱つ死在之由ニて、持来候、則ひかへ帳ニ付させ、御台所へ
         |  上ヶ候事、
         |  (是季)
拾得ノ白鷺ヲ鷹部 |一、長岡監物殿ゟ、白さき壱つ持せ、被成御上候、子細ハ、監物殿鷹それ申候付、たつねニ被遣候処
屋へ遣ス     |  ニ、右ノさきひろい参候由ニて、御上候、則御鷹へやへ遣候事、
 
         | 
         |     廿四日 加来二郎兵衛
         |
         |一、大坂ゟ一尾采女・国友式右衛門被罷下候事、
正月ノ祝道具積下 |一、吉田市左衛門舟ニ、正月ノ御祝道具つミ下り候を、梅田和泉・黒瀬九郎右衛門ニ被渡候へと、申
ルヲ台所人へ渡ス |  渡候、御材木もつミ下り候由申候付、守田又兵衛・井上長助ニ被渡候へと、申渡候事、
積下ル材木ヲ材木 |
奉行へ渡ス    |

 

 

 

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■第51回古書籍販売会

2020-09-18 10:48:49 | 展覧会

                 

 古書籍販売会が開催される季節になった。又目録をお送りいただいた。厚くお礼申し上げる。
51年という歴史はすごいものだが、私が初めて足を運んだのは30年ほど前のことではなかろうか?
初めて古文書なるものに興味を持ち「銀台遺事」を購入した。今では何とか読むことができるが、当時は全くと言っていいほどチンプンカンプンであった。
古書籍には随分お世話になり、本棚の主要部分に鎮座している。

この目録を眺めていると、欲しいものが随分あるが慢性的金欠病である私にとっては大いに目の毒ではある。
コロナ禍でお客様の出足が心配だが、盛会をお祈り申し上げる。

                     第51回古書籍販売会
                      期間:令和2年9月23日(水)~28日(月)
                      会場:鶴屋百貨店 本館6階 大催事場

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■「論語と算盤」

2020-09-13 13:55:34 | 展覧会

 自民党総裁選挙、もう決まったようなものだが、セレモニーとして三者の会見が行われていた。
そんな中、岸田氏が示したボードに「論語と算盤」と書かれている。奥方が「何のこと?」と首をかしげていた。
「ほほう、そう来たか」と思ったが、来年の大河ドラマを意識したことではあるまいが?

               現代語訳 論語と算盤の画像

渋沢栄一の著「論語と算盤」は、「利潤と道徳を調和させる」ことを説いている。
新10,000円札や大河のせいでもあるまいが、ちくま新書の現代語訳(守屋淳訳)は35刷以上となりベストセラーである。
私も同著を購入したあとパラパラと目を通したままであったから、今日は一気に読了してみようと思って今からチャレンジしてみようと思う。
岸田氏の話の内容は承知していないが、何をいわんとされたのかを探ってみようと思っている。

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■細川小倉藩(331 )寛永五年・日帳(九月八日)

2020-08-28 06:42:47 | 展覧会

                      日帳(寛永五年九月)八日

         | 
         |   八日

         |
唐人二官ニ付置シ |一、唐人二官ニ被為付置候御小人ノ小頭與助与の助左衛門と申もの、昨夜とりにけ仕候由、但、おや
小人取逃ゲ親兄弟 |  ・あにきともにはしり申由申事、
供ニ走ル     |
棕櫚ノ移植困難  |一、築城・上毛御郡奉行衆被申候ハ、上毛郡ニほりニ被遣候五間四尺之しゆろほり候而、持せ可出と
         |  仕候へ共、間のび候故、出しかね申由、被申候事、
         |一、辛川四郎三郎煩にて、九日之御礼ニ不罷出候由、忠介被申届候事、
祇園社神事能ノ折 |一、祇園御能之折奉行、歩之御小性渡辺六太夫・瓦林金太夫也、
奉行       |
惣庄屋服忌ニヨリ |一、築城御惣庄屋椎田與右衛門儀、女房二三日已然ニ相果申ニ付、節供之御礼ニ不罷出由、沢少兵衛
重陽ノ礼ニ不出仕 |  被申候事、
         |一、同郡八田助左衛門煩故、不罷出申候事、せかれ罷出申候事、
         |                  〃
         |        
         |一、上毛郡篠瀬三右衛門煩ニ付、不罷出由候事、
         |一、同郡友枝助右衛門煩申候ゆへ、せかれ罷出候由候事、
福王千松呉服等拝 |一、福王千松ニ呉服壱つ・御肩衣袴弐通拝領仕由、十大夫申来候事、
領        |
祇園神事能ノ用  |一、祇園御能ニ入申たゝミだい壱つ入申候間、ぎおんへ持せ候へと、八川田八右衛門ニ申渡候事、
         |                               〃
         |一、かすや新兵衛・へにや太郎兵衛、御小袖壱つ・御袷壱つ宛拝領仕候事、
中津ヨリ狂言師来 |一、中津ゟ、狂言仕六右衛門・喜四郎・長左衛門おやとひ被候、参事、
ル        |
棕櫚ノ移植    |一、築城郡岩丸のしゆろ三本ほり、右之内、壱本七日・八日両日ニ椎田へ出申候、壱本ハ須田ノはし
         |  ニ有之、〆弐本ハ御郡奉行衆・御惣庄や九日之御礼二罷出候間、舟津へ出申事不成候由、上林甚
         |  助ゟ、同くミノ新右衛門ヲ使二被越候事、
         |一、同御郡之内、安武ノ御惣庄やハ残り候而、御用ヲ調候へと残シ申由、右ノ新右衛門申候事、
祇園能興行ニ警固 |一、祇園御能之日、とがわのかきなとくゝり可申候間、見つくろい、けいこかたくいたし、見廻り候
ヲ厳重ニセシム  |  へと、野瀬少左衛門ニ申渡候事、
         |   (武次)
椎田村ノ棕櫚ノ搬 |一、牧丞大夫与ノ小頭ニ、椎田ニ有之しゆろ、御鉄炮廿人召連参、御郡夫ニ加へ、右ノしゆろさいか
出        |  く仕、津出仕、舟ニのせ、もとり候へと、申付候事、
松平忠重使者ノ接 |一、松平大膳様御使者斎藤九郎右衛門幷木下右衛門様ゟ、右ノ安内者ニ被参候青野少左衛門ヲ、林作
待        |  左衛門・赤尾茂兵衛両人ニておくり、右衛門様御領分内、むくのと申所まて被参候、やさい・薪、
         |  所々ニて人足相渡申候事、
         |                                  かい
ひせん壷購入   |一、ひせんつほ十御用ニ入申候旨通、伊藤甚左衛門東ニ而調可申旨候間、急度調、甚左衛門ニ渡可被
         |              〃
         |             (ママ)
         |  申候、以上おかい物奉行
佐藤将監見舞ニ頭 |一、佐藤将監へ御見廻ニ被遣候物、御づきん四つ・御そてほそ壱つ、杉箱ニ入、竹原少大夫おくゟ持
巾袖細ヲ遣ス   |  参被申、上へ上せ可申由、被申事、
         |一、河喜多八助相煩申候間、明日之御礼ニ出申儀成間敷通、入江勘三郎ニ言伝被申候事、
         |一、沖津作大夫儀、右兵衛手前不慮之儀ニ付、中津ニ御預ヶ被成候間、罷出候儀如何と存候へ共、
沖津弥五右衛門  |                               (孫ヵ)  
         |  御前もやわらかさうニ御座候ニ付、罷出申由申候事、弥五右衛門□ハ煩故、不罷成由、作大夫被
         |  申候事、                  〃
                                 
      ■「一木三銘」の名香木購入時の、沖津弥五右衛門同僚殺害の逸話は間違いだった・・・ 関連記事
        
唐人二官ニ小袖等 |一、唐人二官ニ御小そで壱つ、御道ふく壱つ・御おひ壱筋被遣候事、
ヲ与ウ      |
白革足袋注文   |一、林喜介ニ、しらかわのたひ壱足調可遣旨、一角奉ニ而被申越候間、つんほうかわや所へ、喜介古
古キ見本     |  キたひを一そく本ニ遣、申付候、使ハ竹内吉兵衛与坂本伝兵衛也、

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■細川小倉藩(319)寛永五年・日帳(七月十二~十三日)

2020-08-15 14:06:58 | 展覧会

                      日帳(寛永五年七月)十二~十三日

         |              
         |   十二日
         |

刀屋竹屋喜兵衛ノ |一、竹屋喜兵衛、中国ゟ弐腰取よせ申、被 召上候刀・わきさしの内、兼光ノ御わきさし、下とき
下研鑑定     |  仕、見申候処ニ、おもわしく無御座候間、かへし可申由申候処、よく申上候、おもわしく無
兼光ノ脇差ハオモ |  之候ハヽ、かへし可申候、以来もかやう之儀ハ不及申上候、竹屋次第弐思召候間、其通ニ可仕
ハシカラズ 竹屋 |  旨、被 仰出候事
ノ鑑定次第トス  |
三斎山田喜斎ヲ呼 |一、三斎様ゟ、山田喜斎御用ノ由ニ而、次飛脚にて 御書 忠利様へ被進之候、則被 仰付、喜斎中
ブ        |  津へ被遣候、御乗物かき六人、幷宿々ゟ乗物かき十人宛出置、宿送ニ而、中津へ送届可申由、申
駕籠ヲ宿送リトス |  付遣候也、右ノ中津ゟノ御文箱、夜前戌之刻ニ時付ニ而候処ニ、巳之下刻ニ着仕候ニ付、次飛脚
         |                                   (黒原、規矩郡)
継飛脚大水ニ遅引 |  手前せんさく仕候ヘハ、事外大水出候て、河越不罷成候通、宿々ゟ申来由、くろ原の次飛脚申候
ス        |  事、
         |(一脱ヵ)
         |  盆之御悦ノ外ニ、三荷三種被進之候事、右之荷物次夫二而遣候、さい料ニハ、御鉄炮衆弐人遣候
         |  事、
         |                                    (ママ)
三斎等宇佐ヨリ帰 |一、明石権太夫・山路太郎兵衛、うさへ御掃除奉行として被遣候、 三斎様御機嫌、昨十一日に中津
着ス       |  へ被成御帰由、右両人被申候事、
         |一、続権六 三斎様へ之御進物被進御使者被遣、是又右両人同心に而被罷帰候、則 御返書持参被申
         |  候、何も奥へ被参、 御返書を上、又様子可被仰上由、申渡候事、
         |一、江戸へ被遣候御鉄炮衆を追付候て、遣候小早之御船頭中靏二左衛門、備前之内出崎うらにて、去
         |                (延俊)   (俊治)
         |  十日之巳ノ刻に追付、江戸へ木下右衛門様ゟ同左兵衛様へ被遣候御文箱相渡、切手を取、下申候
         |  事、

         |              
         |   十三日
         |

京大坂ヘノ音信ノ |一、小早ノ御船頭桑田左兵衛、詰小早に上せ申候ニ、上せ申 御書数 其外ノ状数之覚
覚書       |      (米田是季・小笠原長元・沼田延之・志水元五)
         |  一、大坂四頭■衆へ被遣 御書箱壱つ、
         |  一、御文箱四つ、又しふかミつゝミ之文箱壱つ、一からけニして有之、
         |  一、小倉や二兵衛・木や理右衛門・石原久左衛門三人へ、被成 御書候御書数三つ、
         |  一、四頭衆へ、修理・兵庫ゟ上せ申状壱、
         |  一、四頭衆へ、修理・兵庫ゟノ状一、是も源左使ニ渡ス、
         |  一、明石源左衛門方へ、両人ゟ之状一、源左使ニ渡ス、
         |     (元五) 
         |  一、志水伯州へ、兵庫ゟ之状一、
         |
         |  一、京へ遣状三つ、寺嶋ゟ可被届由ニ而上ス、但、壱つ、我々両人・御納戸衆ゟ弐つ、
         |                                       (黒印)
請取       |                         右之前、慥請取申候、桑田左兵衛〇
         |   ル    (三斎室)    (ママ)
秀林院法事ノ準備 |一、来十七日、秀林院御法事之ニ付而、御掃除繕之儀、上林甚介に申渡候事、
         |        ガラシャ・28年忌 
呼野金山米銀幷金 |一、呼野金山御米銀幷御金子御算用被相済、返号取被申由、右田三右衛門・夏間少三郎被申候事、
子算用済ム    |
         |〇コノ間落丁アルカ、
京都借銀利足下ル |一、京都御借銀、利足去二月ヨリ壱朱通りさけ申候との書物、以上五通、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛ゟ
京ノ段      |  被持下候を請取、京之段ニ入置也、当暮御借銀為御返弁、御上被成仁ニ持せ可差上書物也、
         |  (烏丸光賢室)中津滞在中
         |一、御万様御留守ゟ、御万様へ上り申しふかミ包之小箱壱つ、宗像清兵衛被持下候間、則一昨日中津
         |  へ持せ進之候処ニ、貴田権内被請取、則御万様へ上被申候処ニ、被成御満足返事被差越候事、
         |  (久留島越後守通春)
久留島通春使者  |一、来嶋右衛門市殿ゟ御使者被参候事由ニ而、御状吉田少右衛門持被上候事、
         |                〃
京都借銀寛永四年 |一、寛永四年分京都御借銀のため被成候 御袖判十七枚之内、壱枚ハ保利與兵衛頂戴仕、平野屋仁吉
分袖判ノ内訳十七 |            〃〃〃
枚        |                   (富嶋)(宗像)
二十五枚     |  銀をかり申由候、〆而拾六枚ハ、去年弥兵衛・清兵衛 御袖判弐拾五枚持参仕内之由候、廿五   
         |  枚之御袖判払ハ、去年深野二郎右衛門江戸へ罷下候時、二郎右衛門ニ払仕上被申由候事、右拾七
         |  枚之被請届候 御袖判、我等共請取、 御前へ差上申候事、
         |                                        
京都借銀寛永五年 |一、寛永五年京都御借銀ノため 御袖判弐拾枚、清兵衛・弥兵衛請取被申候内、拾四枚ハ寛五の御借
         |         御袖判     (ママ)
         |  銀ニ相渡候、内壱枚分ハ利足申さけ候ニ付、又壱枚書直、前かとのと取かへ申被申候而、右利足
         |                                    〃
         |                       外ニ
京都買物ノ代銀  |  たかく候 御袖判を取もとし、只今被差上候、又弐枚ハ、京都御かい物ノ代銀幷御国之御小遣不
         |  足之時、為御借用、小野九右衛門・佐藤少三郎・黒川甚左衛門ニ相渡置申候、又外ニ三枚ハ余り
         |  申ニ付、只今上ヶ被申分、都合弐拾枚請取被申、 御袖判請払相済申候、
         |  右之前、我等共請取 御前へ差上申候事、
         |(ママ)
         |一、
      

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■細川小倉藩(314)寛永五年・日帳(七月三日)

2020-08-09 10:18:54 | 展覧会

                      日帳(寛永五年七月)三日

         |              
         |   三日
         |

         |        12時      9時
三斎鷹狩ノ報   |一、中津郡ゟ夜前子之刻之状、今朝辰ノ下刻ニ参着申候、 三斎様今日ひよりよく候ヘハ、御鷹野ニ
         |  被成御座候由ノ注進也、
忠利六郎渕ニ遊ブ |一、今日六郎ふちへ被成御出、被成御慰候事、
         | (豊後速見郡)
木下延俊へ紙合羽 |一、日出へかミかつは持せ被遣候御小人、御返書持帰申候、又中津ニ山田喜斎彼付置候、 三斎様御
進上       |  気色如何御座候由、喜斎ニたつね罷帰候へとの 御意ニ付、喜斎方へ書状事伝遣申候、此返事も
         |  取参候、 三斎様御気分一段能御座候由、被申越候事、
         |                     同所
下関ノ傾城ヲ盗ミ |一、下関ノ左兵衛と申けいせいやノけいせいを、久右衛門と申もの盗候て走申ニ付、肥後迄追かけ参
去ル者アリ    |           (規矩郡)                                     追かけ参候久七
同心シテ走リシ者 |  候而、罷帰候とて、徳力村ノ前ニ而、右ノ久右衛門同心仕走申候善七と申候もの〇とらへ、徳
を捕ウ      |
         |                   (規矩郡奉行) (同上)
ソノ後之処置   |  力村之庄やニ預ヶ可申由申ニ付、庄や平井五郎兵衛、小崎與次兵衛所へめしつれ参候ニ付、右両
         |  人様子被相尋候ヘハ、本庄久右衛門儀ハ中津表へ可参由、申たる通、善七申候、如何善七儀被返
         |  遣候哉と、書付を以、被得 御諚候処、追かけ参候もの壱人ニて成間敷候間、人を相添、式ア・
         |  (有吉英貴)       (伊藤)                       (伊秩元恵)
         |  頼母所ゟ、下関ノ杢・隼人所へ可遣候、則隼人・杢所ゟ采女所へ、此■分ニ而小倉ゟ被遣由、申
         |  理候様ニと可申遣旨、被 仰出候、則五郎兵衛・與次兵衛両人、式ア殿へ参、此段可被申由、申
         |      〃
         |  渡候事、
         |
江戸邸門番    |一、江戸ノ御門番中尾二郎右衛門、又江戸御六様御台所ニ居申候 御六様御台所ニ詰居申候久左衛門
光尚ノ台所ノ者  |                              〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |  両人、江戸を六月十五日ニ立、大坂を同廿四日ニ出船、但、船頭宮崎孫左衛門舟ニ而、今夜下着申
光尚ノ賄銀ナシ  |  候、 御六様御息災ニ被成御座由、其外下々迄無事之由申候、御六様御賄銀無御座ニ付由而、
         |                                        〃
         | (岩間正成)(遠藤)                      (町)    (小篠)   (松野親英)
         |  六兵衛・安斎方ゟ右ノ久左衛門被差下候、又三右衛門・次太夫・織アかたゟも被申越候、又方々
江戸方々ヨリノ状 |  ゟノ御返書之由ニ而、しふかミの大キ成文箱壱つ下申候事、
走者ニ付遣ス人数 |一、右之書付候下関ゟノ走者追かけ参候もの、幷走者ニ被付遣人数覚
覚書       |       井門武右衛門与長留七左衛門
         |       佐分利作左衛門与村上一右衛門
         |                                                   (つなもち)                                                     
         |       御小人弥左衛門与兵七
         |       歩之御小性菅野那智左衛門
         |       小早之船頭■作内也
         |    右分ニ申付、遣候事
後藤定林院子預リ |一、後藤定林子志水安右衛門尉ニ預置候処、主も働ふちかた取ノ儀ニ御座候付、覚悟も難成由申候、
幷扶持方     |  尤ニ候間、御ふちかたを可渡由申候ヘハ、忝存候、さりながら、在所へ遣置申度候、ともかくも私
在所ニ置ク    |                (破損)
         |  預分ニ御座候上ハ、御ふちかた□取不申、国東へ遣度由申候、いかやうニ成共、其方心儘ニ可被
         |  仕由、申渡候事、 

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■細川小倉藩(310)寛永五年・日帳(六月廿一~廿三日)

2020-08-05 10:06:10 | 展覧会

                      日帳(寛永五年六月)廿一日

         |              
         |   廿一日
         |         

         |     馬廻組二番組 二百石(於豊前小倉御侍帳)天草島原乱、手負い死亡 
瓜進上      |一、此中、山路太兵衛うりを上ヶ申ニ付、又二度か三度ほと可上候、被 仰出ニ付、 御意ノ旨申
         |  遣候ヘハ、次飛脚を以、瓜一籠拾五被差上候、皆川治あを以、上申候事、
中津郡種籾ノ借状 |一、中津郡種米籾之借状、今日加判を取ニ、持せ差越候、借状之日付ハ、何も統二月之日付にて候、
ニ加判      |  兵庫上方へ御使者ニ被罷上候ニ付、今日は道家左近右衛門被相詰候、前之日付にて候へ共、左近
         |  右衛門ニも判形をさせ申候事、
坂崎一角邸作事出 |一、小林久助・杉山伝介、此中坂崎一角家作事奉行被 仰付、今日仕廻候て、渡申由被申候事、
来        |
早鞆明神社修理料 |一、昨日ハ大工作右衛門・嘉右衛門七十二石ニ請申候へ共、彦左衛門・次右衛門と申大工、七十壱石
競落シ七十一石  |  ニせり申ニ付、七壱石ニうけさせ申由、弥五左衛門・八右衛門ゟ被申越候、以上、

         |              
         |   廿二日         
         |
         |          御機嫌ニ違、御知行被召上、三ヶ年御扶持方迄被下置候、忠利君より寛政二年御知行弐百石被下、
石寺加兵衛暑気当 |一、竹田了由申候ハ、石寺加兵衛儀、夜前登城仕、申上候ハ、今朝食過ニ可罷上通、御約束申候
腹中ノ断     |  處、昨日日ニてられ、道を参候故か、又腹中差発、煩悪敷成申候間、食過ニ登城仕儀成申間敷
         |  候、此段我等ニ罷上り、様子申上くれ候へと申ニ付、如此之由、被申候事、
         |一、今日は、坂崎清左衛門尉当番にて被■■相詰候事、
森忠政飛脚    |一、森美作様ゟ御飛脚参候、横田権佐所迄参候御文箱、私持参可仕候へとも、卒度気相悪敷御座候
         |  故如此、持せ上申由にて、被上候事、
         |   〃〃
         |                竹田定賢ヵ)竹田永翁と兄弟とも?
         |一、森美作様へ之御返書出申候事、慶安法橋へ之 御返事も、同前ニ被遣候事、
飛脚へノ給与   |一、美作様ゟ之御飛脚ニ銀子壱枚被遣候事、
         |  右之 御返書幷御銀子、歩之御小姓赤尾茂兵衛ニ持せ遣候事、
         |               (泥 障)
泥障       |一、塩田少斎御奉行所ニ持来置候あをりを、御細工之片山久蔵取ニ参候間、渡申候事、
         |                  (林)   (河田)
小人繕作事手伝  |一、御小人ノ内拾人、小頭久作ニ申付、弥五左衛門・八右衛門繕作事之手伝出候へと申付候事、
         |   (延俊)                (久盛)  (一通)
         |一、木下右衛門様ゟ、御飛脚一人ニ御文箱参候、中山内膳様・稲葉民ア様ゟ之御返書之御文箱弐つ、
         |  以上三つ上ヶ申候事、
         |一、右衛門様へ之御返書、則出申候、新や與左衛門所へ持せ遣候事、
藺田ノ仕立ヲ畳屋 |一、藺田被成御作せ 御意旨、御畳屋h置三郎二申渡候、被成御抱候ヘハ、いつれ成共見立、野山ニや
二命ズ      |                 (国遠)
         |  しきを渡候へとの儀迄、申渡候、道倫も同前ニ被申渡候事、
         |           〃
         |        (湯浅ヵ)
紫染ノ奉行    |一、紫そめ奉行、角兵衛与水木理右衛門也、
         |
仙石政俊使者   |一、仙石兵介様ゟ、浅村伝兵衛と申仁、〇御使者ニ被参候、但、先中津へ被参ニ付、 三斎様ゟ小倉
仙石忠政遺物持参 |  無案内たるへく候間と、被為 思召旨ニ而、石田作右衛門方被付遣候、但、御使者の様子ハ、仙
         |          〃
         |  (忠政)
         |  石兵ア様御遠行ニ付、御形見なと被進之御使者の由候、右作右衛門被申候事、
         |                         〃

         |              
         |   六月廿三日         
         |
仙石使者乗船ノ賄 |一、右兵介様ゟノ御使者、乗せ上り候御船頭加来久二郎と申者也、船中十日分ノ賄被遣、久二郎ゟ米
賄に遣ス物数ノ覚 |  ・樽・肴、其外相渡、切手取下候様二との 御意に付、其段久二郎二申渡候、御賄被遣物数覚
白米黒米酒干鱧鮑 |  一、白米一俵五斗 一、黒米五升 一、酒樽弐斗入弐つ 一、味噌一樽 一、干鯛十五 一、干はも三十本
薪等       |  一・こんふ弐束 一、あわひ十五 一、薪廿束
「得御諚相済」袋 |     右ノ前可被遣哉と、書付を以、得 御意申候処、書付分二可遣旨、 御意ニ候、書付ハ
         |            (ママ)  
         |     御諚相済との袋入置候也、
伊勢貞重へ音信  |一、伊勢因幡殿へ御帷五つ、御銀十枚被遣候事、
忠利成敗ス    |一、今日角介・角内被成 御成敗候事、
         |一、永良助丞書物 御前へ上申候処ニ、主次第ニ勝手能様ニ可仕旨、御自筆之 御書付出申候、林弥
         |  五左衛門書物ハ、我等共書付上申候を、 御前へ留申候、弥五左衛門自身之書付ハ、為算用、松
         |  本彦進ニ相渡候事、
         |     (安岐)
安岐浦詰ノ船頭加 |一、国東郡あき浦ニ詰居申御船頭・御加子ニ、来月之御扶持方、麦を半分可相渡通、御代官被申候、
子旅中扶持方ニ麦 |  旅ニ居申、麦をうけ取候てハ、何共迷惑之由申越候、いかゝ可有御座哉と、御船頭衆被申候間、
ハ迷惑      |  尤候条、米を渡可被申通之切かミ遣被申候へと、彦進・甚丞ニ申遣候事、
         |一、大坂御普請之御侍衆ゟ、 御六様御疹輙被成候為御祝、御状被差下候事、
         |


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