宇土細川家に在ったと伝えられ、かって太閤秀吉が愛蔵したという
「川越名号」についてその伝来記が見つかって当サイトで紹介した。
いかにも和歌の道の達人らしい幽齋の逸話として受け止めていた。
ところが小野武次郎が著した細川家正史「綿考輯録」は、忠興の事
として紹介している。しかし詳細な内容には触れていない。
この食い違いに些か頭を悩ましていたところ、広島市の高橋様から
貴重な情報が届けられた。江戸末期の広島の医術士で儒学者の野
坂完山という人が著した「鶴亭日記」というものに、この「川越名号伝
来記」が記載されているというのである。文章を見ると全く同じ物であ
り、当方サイトにおいて「読み」が分らず、伏字にしておいた部分まで
が一挙に解決してしまった。そしてこれはまさしく細川幽齋に関する
逸話であることが証明された。綿考輯録の著者小野武次郎の間違
いであろう。「鶴亭日記」は野坂完山が40年にわたり記したもので、
当時の広島の社会、経済、文化などを知る上での貴重な史料となっ
ているという。 先人の偉業に頭が下がる。
「川越名号」についてその伝来記が見つかって当サイトで紹介した。
いかにも和歌の道の達人らしい幽齋の逸話として受け止めていた。
ところが小野武次郎が著した細川家正史「綿考輯録」は、忠興の事
として紹介している。しかし詳細な内容には触れていない。
この食い違いに些か頭を悩ましていたところ、広島市の高橋様から
貴重な情報が届けられた。江戸末期の広島の医術士で儒学者の野
坂完山という人が著した「鶴亭日記」というものに、この「川越名号伝
来記」が記載されているというのである。文章を見ると全く同じ物であ
り、当方サイトにおいて「読み」が分らず、伏字にしておいた部分まで
が一挙に解決してしまった。そしてこれはまさしく細川幽齋に関する
逸話であることが証明された。綿考輯録の著者小野武次郎の間違
いであろう。「鶴亭日記」は野坂完山が40年にわたり記したもので、
当時の広島の社会、経済、文化などを知る上での貴重な史料となっ
ているという。 先人の偉業に頭が下がる。