伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

プラチナデータ

2013-05-22 19:55:43 | 小説
 警察庁が開発したDNA解析・検索システムにより容易に犯人を特定・検挙できるようになった近未来の日本で、それにもかかわらず現場に残されたDNAから犯人がまったく浮かび上がらない連続殺人事件が起こり、同一犯による新たな犯行と目される事件の現場に残された毛髪の解析結果がシステム開発担当者神楽を指し示し、驚愕した神楽が逃走しながらその謎に迫るというミステリー小説。
 前半から、科学とデータのみを信じ管理社会の構築に突き進む神楽龍平と密室で絵を描き続けるリュウの2重人格、神楽の生い立ちに言及され、神楽とリュウを媒介する少女スズランを度々登場させ、神楽の逃走中に出会うチクシ・サソリののどかさも併せ、神楽の人間性の描写に相当な力が注がれています。そのあたりの遊びというか含みが意外に読みどころかもしれません。
 ただ、スズラン、自動改札で切符はどうしたんだろう。スズランの正体についてはわりとすぐ見当がついてしまうだけに、そこがずっと気になっていましたが、それについては謎解きなしでした。あと防犯カメラの偽装工作をしたのはリュウというスズランの言葉(222ページ)と志賀の謎解き(423ページ)のズレ。スズランの容姿と実像のズレも、リュウの目にはスズランがそう見えていたのひと言(423ページ)では納得できません。スズランを登場させることで神楽の人物描写を深め、柔らかさを出せたメリットと説明にいくつかの破綻を生じさせたデメリット、どちらを重く見るか、好みの分かれるところかなと思います。


東野圭吾 幻冬舎 2010年6月30日発行

映画についての感想記事は「映画な週末」の2013年3月20日の記事で紹介しています。
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別れさせ屋の恋

2013-05-21 22:29:53 | 小説
 子どもの頃、夫がありながら多数の男と人目をはばからず関係を持ち続ける母親に対して愛情とともに憎しみと軽蔑を感じ、長じて女を憎むようになった別れさせ屋のエース早見俊27歳が、天使と悪魔、淑女と娼婦の2つの顔を持つターゲット栗原栞に翻弄されるうちに恋心を感じてゆく、屈折ラブストーリー。
 女性に対して憎しみと嫌悪、軽蔑しか感じていない冷酷な別れさせ屋の俊が、職場の従業員や獣医の女性とは巧くやっていける様子とか、栗原栞の言動のあまりの場当たりさ加減は、読んでいてしっくりこないところがありますし、俊のキャラが栗原栞のようなキャラに惚れるだろうかということには相当な疑問を感じます。
 しかし、それでもなお、終盤の純なラブストーリーへの展開は、やや強引な感じはしますが、巧みに思えます。読み終わってみると、俊の母佳澄のキャラも、さばけたあっけらかんとした魅力を感じますし。


新堂冬樹 ポプラ社 2013年1月30日発行
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検証 官邸のイラク戦争 元防衛官僚による批判と自省

2013-05-20 20:18:38 | ノンフィクション
 2003年のイラク戦争開戦時は防衛研究所所長、自衛隊のイラク派遣中は内閣官房副長官補であった著者が、イラク戦争に対する支持表明と自衛隊のイラク派遣をめぐる官邸の判断について論評した本。
 アメリカの真の目標はイラクという敵対者を潰すことが新たな潜在的敵対者への見せしめになりアメリカと世界の安全に通じるという発想であったと思われる(12~13ページ)、「国民戦争の時代には、ヒロイズムは前線の兵士に属していた。今や、それは政治指導者のものとなった」(32ページ)、「このように見ると、かつての日本の指導部がアメリカとの戦争を決意したプロセスとの類似に驚かされる。それはまさしく、閉ざされた政策決定サークルが共有する偏狭な『時代精神』によって導かれる戦争の意思決定の特徴かもしれない」(39ページ)など、ブッシュ政権の開戦の判断に対しては、元官僚の手になるものとしては比較的思い切った表現が目につきます。
 また、著者が防衛研究所でアメリカの先制攻撃を正当化する論拠を探していた際に防衛研究所でも開戦反対論があり、その論拠はアフガニスタンとの2正面作戦が軍事的にはあり得ない判断である、アメリカが強力な軍事力を持って攻撃して簡単に勝利をおさめることになれば目標とされる国はかえって核兵器を持つ動機を強め世界を不安定化させる、アメリカが作りアメリカの力を背景に維持されている国際システムの信頼性が低下する、信頼によって成り立っているアメリカの国際的なリーダーシップが失われる等で、現実にはその通りになったことも指摘しています(42~45ページ)。
 そして日本の政権の主張に対しても、周辺事態法の国会審議での答弁のアメリカが国際法遵守義務を負っているから違法な武力行使をするはずがないという論理には首をかしげざるを得なかった(80~81ページ)、イラク戦争は国連決議に基づくものではなくイラク戦争支持の方針は従来の日本政府の姿勢とも当時の国連の大勢とも矛盾するものであった(87ページ)、大量破壊兵器がないことが明らかになった後に小泉総理が持ち出した「疑惑があることが脅威」との論法については「国同士の不信感が跡を絶たない今日の世界で、特定の国への不信感が戦争を正当化するような論理は、たとえアメリカ支持が間違いではなかったという立場であっても、使うべきではなかったと思う。そのような世界は、日本自身が望んでいないはずだからだ」(98~101ページ)、読売新聞記者がサマワの自衛隊を防衛庁と協議の上で取材しようとしたが直前に官邸から拒否された事件に関して「イギリスは、国家戦略としてこの戦争に参加しており、国民の支持を動員する必要がある。また、多くの犠牲を出していることへの説明が必要である。一方、日本は、政治的ポーズのために自衛隊を派遣している。出していること自体が目的であって国民の支持を動員する必要がない。むしろ報道が、政府に対する批判の種になることを恐れている」(119~120ページ)などの批判的な記述もあります。
 もちろん、この本の記述の大筋は政権の判断を支持するものです。ただアメリカの開戦を支持するにしても、「アメリカの同盟国である日本」というアイデンティティー以外の自己認知を持たず、今も持たないことへの疑問を感じるというような立ち位置です。「終わりに」でそのあたりが語られるとともに、2004年4月に日本人ボランティア3人が人質になった際、テロに屈しないとし人質に対しては自己責任を強調したことについて、「善意の日本国民に対するテロは許せない」というのが政府の出すべき最初のメッセージでなければならなかったのだと思う(184~185ページ)とされていることは、官邸の判断を尊重する官僚の立場でもなお各場面で別の判断・対応があり得たことを示していて興味深いところです。


柳澤協二 岩波書店 2013年3月19日発行
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プライドの社会学

2013-05-19 19:11:07 | 人文・社会科学系
 社会学者である著者によるプライドをキーワードにした社会学的考察ないしは雑談的エッセイを編集した本。
 「はじめに」で「本書はプライドに関する社会学的考察を試みるものである」(10ページ)と述べ、自己、家族、地域、階級、容姿、学歴、教養、宗教、職業、国家の10章構成となっていますが、論理の連なりはなく、話の流れとしても、各章の最後に次の章への導入的(というよりは接続をつけるだけの)1節が置かれているだけで、章内の各節がまったくバラバラでつながりがなく、各節も最初からプライドをテーマにしているものもあるけれども最後に取って付けたようにプライドに結びつけたものもあり、読んだ感じとしては短編集とさえ感じにくく、エッセイ集のイメージです。そのことについて著者は「おわりに」で「極端に言えば本書が、六十のまとまりのない話から構成されている」「もはや開き直ってわたしはこう言いたい。何もパブロフの犬のように、学問的な記述=首尾一貫した体系的な記述と決めてかかることはない、と」と述べています(232~233ページ)。「極端に言えば」というよりもふつうに読めば、だと思いますし、それで勝負したいなら「終わりに」じゃなくて「はじめに」でそう宣言しておいて欲しいなと、読者としては思います。そういう試みを好ましく思う読者もいるでしょうけれど、「学」の名を前提に読み始めて、そのイメージに反する論理展開がぶつ切れの散漫な文章を、最後まで読み続けるのは、私にはけっこうな苦痛でした。
 それぞれの考察ないしエッセイ自体は、特殊な学問用語が使われず映画や小説を題材にしたものが多く親しみやすい工夫がなされていると感じられます。そういう意味で、タイトルをもっと柔らかくして、これはプライドをくくりにしたエッセイ集だと最初に書いていれば、もっと素直に読めたかなと思います。


奥井智之 筑摩書房 2013年4月15日発行
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3・11とメディア -徹底検証 新聞・テレビ・WEBは何をどう伝えたか-

2013-05-18 19:37:48 | 人文・社会科学系
 東日本大震災と福島原発事故をめぐる新聞・テレビ等の報道について論評した本。
 新聞・テレビ等の「伝統メディア」の姿勢について、市民デモ等の扱いや放射能汚染についての報道、市民が居住している地域からの撤退、在京紙・在京キー局の東京目線の報道などを批判していますが、他方でその姿勢にも理解を示す記述も見られ、伝統メディアもよくやっていると評価したり、全体の論旨は旗幟不鮮明に思えます。
 サブタイトルの「徹底検証 新聞・テレビ・WEBは何をどう伝えたか」に惹かれて読んだのですが、検証部分は多いとはいえず、後半は理屈の部分が多く、どこが徹底検証なのかと思ってしまいました。比較検証が地震直後や1周年当たりで、その他の記述も2011年夏とか暮れ段階ではというのが目につき、読んでいるうちに、これ書き下ろしじゃなくてあちこちに書いた原稿の寄せ集めで一丁上がりの本なんじゃないかと疑念を持ち、それでも終わりに初出一覧とかないしなぁと不思議に思っていたら、あとがきの中に埋め込まれていました。最初にこれに気づいてたら読まなかったのになぁ。
 官僚の議事メモ等が作成されていない、文書はないなどの言い訳を信頼して、「今回の震災をきっかけに判明したことの一つが、公文書管理の杜撰さである」(190ページ)として、官僚が文書記録を作成しなかったり保存しないことを批判しています。最近私が読んだ「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」では、琉球新報の記者だった編著者が外務省に日米地位協定の逐条解説が欲しいと言ったらそんなものはないと言われ、外務省が作成した「日米地位協定の考え方」を入手して機密文書が存在することを報道しても外務省は「そんな文書は存在しない」とコメントしたので、琉球新報が全文を紙面に掲載したら掌を返して「これは外務省にも数冊しかない機密文書だ。それをこともあろうか20万部も印刷してばらまくというのは、いったいどういうつもりか」と電話で怒鳴ってきたということが書かれています(同書294~299ページ)。官僚というのはそういう連中だと思いますし、マスコミの姿勢としては官僚の言い訳をあっさり信じるのではなくてこちらの方があるべき姿ではないかと思います。


山田健太 トランスビュー 2013年3月5日発行
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ウィルス・プラネット

2013-05-17 19:49:55 | 自然科学・工学系
 ウィルスについてのあれこれを解説した本。
 インフルエンザでは通常免疫力が弱い子どもや高齢者が犠牲になりやすいのに1918年の世界的大流行(いわゆるスペイン風邪)では免疫力が強い人たちが犠牲になった。その理由は今もわかっておらず、免疫系統にあまりにも激しい反応を引き起こすためにウィルスを叩きのめすよりも宿主自身を破壊する結果になるという説もあり、そうではないだろうという説もある(36~37ページ)。致死率が非常に高いエボラ出血熱の場合、病原性があまりにも強いため新たな宿主を見つけるよりも早く現在の宿主を殺してしまい、大流行にはならずに、通常は数十人が死んだところで終息し、ウィルスは数年間姿を現さない。本当に怖いのは致死率が高いウィルスよりも、致死率は低くても大勢の人に感染が広がるウィルス(166~169ページ)。というような、ウィルスに関するうんちくが、読みやすく書かれています。
 比較的軽いウィルス感染症や細菌感染症にかかった子どもは成人後にアレルギーやクローン病などの免疫系疾患にかかりにくく、風邪の原因であるヒトライノウィルスなどのウィルスは人間に利益があるという面もある(31ページ)とか、受精卵が胎児となり胎盤を形成する際には人類がかつてゲノムの中に取り込んだレトロウィルスの遺伝子が重要な働きをしていて人間が子宮内で胎児を育てられるのはウィルスの遺伝子のおかげともいえる(114~118ページ)なんてことも書かれていて、勉強になるというか、人間って生き物って不思議でいろいろなものと共存してるのだなと思いました。
 旧ソ連は天然痘ウィルスの生物兵器を研究していたが、ソ連崩壊後その研究所は遺棄され、貯蔵されていた天然痘ウィルスの行方は不明だ(182~184ページ)とかいう由々しい/嘆かわしい話もありますが…


原題:A PLANET OF VIRUSES
カール・ジンマー 訳:今西康子
飛鳥新社 2013年2月26日発行 (原書は2011年)
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脱常識の社会学 [第2版]

2013-05-16 00:17:44 | 人文・社会科学系
 社会学の入門書。
 まえがきの冒頭で「どんな学問も次の2つのことをめざさなければならない。すなわち、明快であること、そして当たり前でないこと、である」「社会学は、これら2つのどちらに関しても評判がよくない。その抽象的な特殊用語は悪名高い。社会学の文章は、最悪の場合、まったく理解不能なものと見なされている。そしてしばしば、読者がようやくその抽象概念と専門用語を解読してみると、実際にはほとんど何も言われていないことに気づくのである」と述べられています。率直に言って、私がこれまで社会学(あるいは政治学も)の本を読んだときの感想の大半はこの通りでしたから、このまえがきを見て快哉を叫び、この本を読もうと思ったわけです。
 第1章は、人が社会を形成することが、全体としてみると分業により誰もが利益を得ると考えられるが、個人レベルで考えればルールを守ることは合理的ではない(最大利益は、他人がルールを守る中で自分だけがルールを破るところに得られる)という論理展開で、人が社会を形成するのは非合理的な感情、儀礼と信頼に基づく連帯感によることを論じています。第2章ではその儀礼と信頼を宗教問題へと当てはめ、宗教は社会のアナロジーで神はその社会を映したものと論じています。これらの議論は、論理学的な課題演習というか、思考実験としてはなかなかに興味をそそられますが、ミクロレベルでの対抗命題(常識的・通説的論理)の否定が直ちに論証とされ、中間的な考察を飛ばしてマクロレベルの論証に結びつけられている感があり、消化不良感が残りました。
 第4章の「犯罪の常態性」で「最も常識を離れた見方」として著者が述べている自分の意見(175~185ページ)を読んで驚きました。著者の主張は、犯罪の処罰は、厳罰により犯罪をなくすためでも刑務所等での教育で犯罪者を更生させるためでもなく、犯罪処罰(捜査・裁判)という儀礼により一般公衆に法が確かに存在し犯されてはならないことを強く印象づけ結束し連帯する感情・確信を強めるためにあるというのです。私は、自分のサイトで「子どもにもよくわかる裁判の話」のコーナーの「何のために人を罰するの」というページで、「考えていくと、簡単(かんたん)じゃあないけど、犯罪が少ないよい社会を作るためのしくみがあって、もっと言えば、被害者が守られるしくみもあって、こういういいしくみ(いい社会)を守っていきたいという気持ちが生まれ、続くことでみんなが法律を守ろうという生き方をするようになる、このことが大事なんだと思う。」と結論づけています。この部分、どこかから拾ってきたのではなくて私自身の思いを書いたのですが、論理はこの著者と基本的に同じ。私は、儀礼(象徴)と信頼・連帯という意識(なんか国家主義的でいやだなぁ)はまるでなかったんですが。自分の思考を外からの光で照らされるとちょっとたじろぎますね。
 論証には飛躍を感じるところがありますが、さまざまな点で知的好奇心というか興味をくすぐられる読みでのある本です。
 原書の初版が1982年で、第2版が1992年。で、日本語版は1992年初版で2013年第2版というのは、どうよと思う。訳者あとがきの後に、日本語版初版が1992年3月に単行本として刊行されたと記載しているのは、原書第2版の出版(Amazonの表示では1992年4月2日)より先だと言い訳したいのかなと思いますが、翻訳の過程で著者への問い合わせとかするでしょうし、そうでなくても著者の関連のものにはアンテナ張ってるはずで、当然、日本語版初版の出版前に、原書第2版が準備されてるのは気づくはずだと思います。それで日本語版で原書第2版の反映をしないでおいて、11年もたった今頃その翻訳を出版というの、出版社としてどんなものかなぁと思います。それを棚に上げて訳者あとがきで、コンピュータや人工知能に関する記述はやや時代遅れと書くのも(時代遅れになったのは11年も放置した出版社と訳者のせいでしょ?)…


原題:SOCIOLOGOCAL INSIGHT : An Introduction to Non-Obvious Sociology
ランドル・コリンズ 訳:井上俊、磯部卓三
岩波現代文庫 2013年3月15日発行 (日本語版初版は1992年、原書初版は1982年、原書第2版は1992年)
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デキる男の正解美容 誰も教えてくれなかった基本ルール70

2013-05-15 21:15:53 | 実用書・ビジネス書
 MEN'S CLUB編集長による男の美容法についての指南本。
 「はじめに」では、「モテる、ということは、いかに相手に不快感を与えないか。それに尽きると僕は思う。ファッション以前の常識だ」「この本はいわゆる基本中の基本、男性は美容をどうすべきかということを僕自身が実践していることから提案している。どれもいたって簡単なこと」(10ページ)と書かれ、さらには「そんな簡単なことができなくて、じゃあ何ができるのか、と思う。それは仕事のスキルにもつながるんじゃないかな。結局はズボラな人、ツメが甘い人。そういう印象だよ」(11ページ)とまでいってくれています。
 それで何が書かれているかというと…肌の手入れ関係は、私にはとても無理な水準ですが(洗顔と化粧水、乳液・クリームは必需品で、145ページでは50mlあたり3万円前後のクリームをお勧め(-_-;)、書かれていること自体は理解できます。でも、ひげそりが肌にダメージを与えるからというので、レーザーでヒゲを永久脱毛した(71~73ページ)、鼻毛が1本出ているだけですべてが台無しになるから鼻毛も脱毛した(123ページ)とかいわれると、もうおよそついて行けません。いや、本人が何を実践してもいいですけど、そういうことを書いておいて基本中の基本とか簡単なことっていうまえがきを書くのは感覚がおかしいと思います。
 シャンプーのしすぎは逆に髪の潤いが失われちゃう(88ページ)といいながら、「夜にシャンプーをしないなんてありえないからね」(88ページ)と毎晩のシャンプーを強く勧め、その上で朝も軽くシャンプーを勧めたり、体は「ナイロンのタオルで徹底的にこする派」(118ページ)という筆者。40代半ばになってそういうのは皮膚によくないと思うんですけど。汚れ落とし・匂い落としが最優先ならかまってられないのかもしれませんが。
 「メンズ」という言葉が名詞として、主語や目的語で頻繁に使われています。例えば「メンズは化粧水をささっとつけて満足、という人が案外多い」(23ページ)とか、「多くのメンズは思うだろう」(27ページ)とか、「メンズは女子に比べて化粧品が効きにくいって話もある」(50ページ)とか。「女子」の対句として「男」か「男性」の意味で使っているみたい。これがかっこいい用語法なんでしょうか。


戸賀敬城 講談社 2013年4月8日発行
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片桐酒店の副業

2013-05-14 22:58:44 | 小説
 父親が「困ったときのまごころ便」と称して酒屋の副業として始めた配達屋を、父の死後引き継いだ陰のある無口な中年男片桐章が、困った配達依頼に対応していく様子を描いた短編連作形態の小説。
 第1章だけが片桐酒店で短期のアルバイトをすることになった貧乏学生丸川拓也の視点から、その他は片桐酒店の店主片桐章の視点から語られています。第1章を書いた後片桐章の内心描写を展開しようと気が変わったのか、とりあえず第1章でアウトラインを客観的な視点で紹介しておきたかったのか、最後に「書下ろし」と書かれているだけに、読んでいてちょっとあれっと思います。
 会社員時代に、親友となった同僚にちょっとした嫉妬心から押しつけた業務が親友の死につながり、罪悪感にうちひしがれ心を閉ざす片桐章の苦悩からの再出発が、全体を通した軸となっています。アルバイト学生拓也と店番のフサエの軽妙なやりとりが、その重苦しさをカバーしていると見るべきか、アンバランスと見るべきか。
 登場する人物の中で、突出した重苦しさ・暑苦しさを感じさせる原陽子と安居課長は第3章限りの登場ですが、その後どうなったんだろうと気になるような聞きたくないような…


徳永圭 新潮社 2012年6月20日発行
コメント (1)
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タイムデザイン

2013-05-13 19:48:38 | 実用書・ビジネス書
 現在の生活よりも時間に縛られないライフスタイルで過ごせるようになることを目標に、時間の有効活用を論じる本。
 学びや自己投資のための「インプットの時間」、仕事や料理等の「アウトプットの時間」、食事や風呂や睡眠などの「生活の時間」、自由に使う「プライベートの時間」の4つにわけ、前2者では効率的な使い方を、後2者では楽しいかどうか、心地よいかどうかを基準にすることを提唱しています。
 自己投資では、自分の得意なところ、長所を伸ばすことに投資し、苦手の克服は時間をかけてゼロでは割に合わないから人と協力するなどのアウトソーシングで対応する、長く使え高く売れるストック型スキルを身につけるよう努力するということが提唱されています。この分野では度々弁護士が高く売れるスキルの代表として上げられていますが、弁護士業界もいつまで持つかなぁという昨今のご時世です。10年先を見越して考えろという著者が、今からスキルと身につけてということでお薦めできるのだろうかと、業界人としてはちょっと疑問も。それはおいて、肉体労働の1時間1000円とか900円と弁護士の1時間1万円は買う側にはそういう比較になるでしょうけど、売る側で見ると給料をもらう人はもらった額そのままが所得でも弁護士のような自営業者は経費負担があるのでもらった分がまるまる所得ではないことが度外視されているのはちょっとなぁと思います。この本では、お金を稼ぐ側の視点でいっているわけですから、実所得で考えるべきだと思うのですが。
 仕事の分野では効率化して自由時間を増やす話ですが、1時間の会議を15分にする方法(60~65ページ)には、疑問を持ちました。資料の事前配付や事前に読む本を指定したり参加者の事前調査などでは、会議自体の時間は短くなり効率化が図れるとしても、その分事前準備時間が増え各個人の自由時間の増加につながるとは思えません。ビジネス書としての会議の効率化ならそれでいいでしょうけど、自由時間を作るための効率化を主張する本でそれではね、と思います。
 発想としてはおもしろいところがあるのですが、1日8時間労働年120日休暇とすると1年のうち75%が自分でコントロールできる時間(6ページ)ってそもそも睡眠時間はどうするよとか、残業休日出勤一切なしの職場がどれだけあるよと思うところや、人の労働を買って時間を作るとか、基本的には自分が経営者でお金が十分あるという前提で話を進めているところが多々あって、具体的にこの本が「使える」読者はかなり少なそうな気がします。ちょっとだけ発想を自由にする、というあたりで参考にするというのが適切な読み方かなと思いました。


泉正人 フォレスト出版 2013年4月2日発行
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