伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

感じがいいと思われる敬語の話し方

2022-05-11 21:21:20 | 実用書・ビジネス書
 敬語表現についてのマニュアル本。
 場面ごとに基本的な応答がまとめられていて読みやすくできています。
 「『すみません』は基本的に目上の人が目下の人に使うものです。」(36ページ)って、知りませんでした。もちろん、「申し訳ありません」「申し訳ございません」という敬語があり、目上の人、というか気難しい相手向けにはそういう言い回しをしますが、「すみません」に目下と扱われている印象を持つ人がいるというのは驚きました。まぁ、うるさい人はうるさいですからね。
 「モノや外来語に美化語は使わない」として食品では「お紅茶、お大根、お茄子など」(38ページ)「【例外】お茶、お弁当、お餅など」(39ページ)、「天候などの自然現象は『お/ご』を付けると不自然に聞こえます」「【例外】お空、お天気など」(39ページ)というのも、言葉なので理屈どおりに行かず人々の現実の使い方で変わってきますから何事にも例外は出てきますが、説明として聞くと、そもそもそういう原則の取りまとめ方がどうなのかなと思います。生活用品にも美化語は使わない、「お座布団」「お服」は使わないとされています(38ページ)が、「お座布団」はあまり違和感ありませんし、ビジネスシーンではありませんが、うちでは「お布団」はふつうに使っています。「お服」と言わなくても「お洋服」は使うんじゃないでしょうか。ビジネスシーンでも、「お鞄」くらいは使うように思えます。
 タイトルの「思われる」は受け身(受動態)なんでしょうか、推量(文法用語では「自発」)なんでしょうか。前者なのだろうと「思われ」ますが、それを明確にするためには「相手に」とかを入れるべきなんじゃないでしょうか。日本語の使い方を指導する本であれば、誤解の余地がない明瞭な記載を心がけるべきかと思います。


川道映里 監修:西出ひろ子 ナツメ社 2022年2月8日発行
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遊廓と日本人

2022-05-10 23:56:57 | 人文・社会科学系
 吉原遊廓の沿革、文学や記録に描かれた遊女、吉原文化、年中行事等について解説した本。
 吉原を初めとした遊廓をどう捉えるかについて、冒頭とあとがきで、ジェンダーの視点と伝統・文化に引き裂かれる著者のスタンスが記されています。「遊廓は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」(3ページ)、「遊廓は、家族が生き残るために女性を、誰も選びたくない仕事に差し出す制度でした。同じようなことを今日の私たちはしていないのか、と立ち止まる必要があると思います」(7ページ)としつつ、同時に「遊廓は日本文化の集積地でした」(7ページ)、「遊廓では一般社会よりはるかに、年中行事をしっかりおこない、皆で楽しんでいたこと。それによって日本文化が守られ承継されたという側面」(8ページ)とする著者には、遊廓に対して学者として研究対象に向ける愛着が感じられます。著者の中ではそれは矛盾するものではないようです。著者は、「遊廓がなければ、芝居から排除された女性たちは踊り子として、芸者衆として、町の中で芸能や師匠をしながら生きていたでしょう」(165ページ)、「他の社会であれば、遊女たちが別の面で才能を発揮し、日本の文化と社会に大きな貢献をしたのではないかと考えると、とても残念な気がします。辛い経験の果てに命を絶った遊女や病で亡くなった遊女のことを考えると、悲しいです。しかし同時に、彼女たちは家庭に閉じ込められた近代の専業主婦たちに比べれば、自分を伸ばす機会を与えられたのではないか、とも思うのです」(166ページ)と論じるところでその調和を取っているように思えます。しかし、遊廓がなければ踊り子として「自由に」生きたであろう女性たちがどれくらいいたと評価できるか、それと遊廓の遊女/娼婦の数、ましてや専業主婦の規模を同じ視野の中で語れるのかには疑問を感じます。矛盾は矛盾として残しつつ忘れてはならないことと位置づけた方が、私にはしっくりときます。
 正月に抱え主から遊女に着物が配られる風習を紹介した後「太夫からは遣手にも、身の回りを手伝ってくれる禿にも、着物を贈ります。また遊女からは抱え主に対してもお歳暮としてご祝儀や布を贈り、遊女屋や挙屋の従業員たちにも祝儀を配ります」という記述が「まさに贈り物文化です」と評されて結ばれています(101ページ)。高級遊女はそういった費用をすべて客に転嫁できたのかもしれませんが、年季・前借り金で拘束されている遊女には、そのような風習自体が身柄の解放を大幅に遅らせる縛りではなかったのでしょうか。そこをあっさり、文化と肯定的に賞賛されると、違和感を持ちます。
 吉原に通う客の方もさまざまな嗜みを求められたという中で、「髭は徹底的に抜きます」(63ページ)というのが、毛深いおっさんには衝撃的でした。まぁ、遊廓はもちろん、お金持ち/お大尽の遊興場など行きたいと思わないので、私にはどうでもいいことですが。


田中優子 岩波新書 2021年10月20日発行
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場所からたどるアメリカと奴隷制の歴史

2022-05-09 20:28:46 | ノンフィクション
 トーマス・ジェファーソンの所有していたモンティチェロ・プランテーション(ヴァージニア州)、鎮圧された奴隷反乱後のさらし首を再現するなど当時の奴隷小屋と奴隷の生活を展示するホイットニー・プランテーション(ルイジアナ州)、「奴隷解放」後陪審員の全員一致でなくとも有罪判決を言い渡せる仕組みの下で大量の黒人囚人を収監し労働力として貸し出していたアンゴラ刑務所(ルイジアナ州)、奴隷制度を守るために戦った南軍の兵士を埋葬するブランドフォード墓地(ヴァージニア州)、北軍将軍ゴードン・グレンジャーが奴隷解放宣言を読み上げたと言われているガルヴェストン島(テキサス州)、南北戦争で自由州を名乗りながらその実奴隷制度により発展しウォール街が南部の奴隷制度を支えていたニューヨーク、奴隷貿易の拠点だったゴレ島(セネガル)を著者が訪ね、現地での歴史を語るツアーに参加するなどして、奴隷制度を語るガイドの様子やガイド等との問答を描写しながら奴隷制度の過去と現在を報じた本。
 現地でガイドをする人たちの姿勢、葛藤、逡巡、反発等を描くことで、奴隷制度の過去と現在をめぐる実在の生身の人々の思いを浮かび上がらせ、最後には著者自身が祖母たちと語り合う中で歴史や知識だった奴隷制・人種差別が自分の家族の物語だったことに気づくエピローグを配することで、問題意識を身近に感じさせる巧みな構成が取られています。
 他方、一般に反奴隷制の立場の偉人と扱われるトーマス・ジェファーソンやリンカーンにせよ、南軍の英雄ロバート・E・リー将軍にせよ、ツアーのガイドにせよ、著者が気に入らないというか苛立つ様子が目につきます。それは立場上仕方ないこととも思えますが、トーマス・ジェファーソンが妻の死後再婚しないという誓いを16歳くらいだった女性奴隷に6人の子を産ませることで守ったことや奴隷所有者として多数の奴隷を売り払って家族を離散させた、黒人を差別し劣った存在と論じていた、リンカーンも黒人と白人の社会的・政治的平等には反対していたということを採り上げて非難する書きぶりには、私は違和感を持ちます。そういうことを知っておくことは有益だと思いますが、それはむしろガイドの人たちが指摘するように、複雑な一面と捉える方が大人の感性ではないでしょうか。もしトーマス・ジェファーソンやリンカーンが、著者が好むような平等主義者でそれを表明し貫いていたとしたら、そもそもその時代に大統領になることも、政治家として力を持つこともできず、彼らが成し遂げたこと自体が実現できなかったのではないでしょうか。
 そのあたりのせめぎ合いが読みどころにもなっているような、読んでいて息苦しく感じる点でもあるような気がしました。


原題:HOW THE WORD IS PASSED : A Reckoning with the History of Slavery Across America
クリント・スミス 訳:風早さとみ
原書房 2022年3月1日発行(原書は2021年)
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日本の虐待・自殺対策はなぜ時代遅れなのか 子供や若者の悲劇を減らすための米国式処方箋

2022-05-08 20:35:17 | 人文・社会科学系
 虐待や自殺・他殺願望を知った専門家に通告義務(同時に守秘義務の解除)を課し、行政、医師、教育従事者、警察等がチームを組んで積極的に介入していくアメリカ(カリフォルニア)での取り組みを紹介し、日本でも同様の取り組みを実施するよう勧める本。
 タイトルにある「なぜ」の部分に言及しているのは、自殺対策について本人の意思、自主的な気づきを重視する日本でのカウンセリングが、「日本の文化に仏教思想が根付いていることと、河合隼雄というユング派の著名な学者が存在したからだと考えられます」(105ページ)としている点くらいで、それも「ではないか、とする研究者もいます」(109ページ)、「河合隼雄によるこうした影響で、日本での心理支援は問題解決に向けた変化よりも、丁寧に話を聞いてくれたとクライアントに思わせて、安心感を与えることを重視するカウンセリングのレベルにとどまることになったようです」(110ページ)というところにとどまっています。
 どちらかといえば「なぜ」時代遅れなのかというよりは「どのように」「いかに」時代遅れなのかを指摘する本だと思います。
 日本ではカウンセラーの資格が統一されず、民間資格やさらには資格もなしにカウンセラーを名乗って開業できて怪しげな連中が跋扈している(14~17ページ)、資格を統一して倫理違反に対して厳しく対応すべきだ(209~221ページ)と主張しているところは、同業者には厳しい意見ですが、正論でしょう。
 アメリカで事件が起こったときにそれで法律を変えて対応できる理由を判例法主義だからとしている(157ページ)ことには、疑問を持ちました。著者がその例として取り上げている2004年のイウィングとゴールドステインの事件の判決にしても、事件が起こったのは2001年と書かれています(158~159ページ)。アメリカの裁判は迅速だと誤解している人が多いですが、事件の衝撃で立法するなら事件後3年も経って出た判決を待たずに議会がさっさと立法すればいいのです。判例法主義だから事件ですぐ対応できるというのは実態に合わない意見だと思います。


吉川史絵 開拓社 2022年2月23日発行
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EU司法裁判所概説

2022-05-07 22:58:31 | 人文・社会科学系
 EU司法裁判所の構成、権限、手続、取り扱われる訴訟、各国裁判所との関係などについて解説した本。
 EUという国家連合/国際的な組織において各国の裁判所と別に存在するEU司法裁判所がどのような存在でどのように機能するのか、興味深いところで、それがコンパクトな本で解説されており、いくつかはその判断の実例が紹介され、最後には判決文の1つが掲載されていて、勉強になりました。
 弁護士の立場からすると、各国での裁判(日本の裁判でいえば、通常の民事・刑事の訴訟)の中でEU法がどのような場面でどのように問題となり、その裁判の過程で裁判所がどのようにEU司法裁判所に判断を付託し、そこに当事者やそれ以外の者がどう関与していくのか、つまり通常の裁判の中でEU司法裁判所がどのように利用され、どのような影響を現実に与えるのか、そしてEUの機関の行為を争う事件(日本の裁判でいえば行政訴訟・取消訴訟)はどのような問題について誰が提訴できて実際にはどんな展開でどういう判決が出るのか、具体的事件の顛末を数件程度詳しく紹介した上で説明してくれれば、グッとわかりやすくなったのではないかと思います。
 制度や法的概念、用語が日本のものとは異なるところで、その説明が今ひとつなされていなかったりわからなかったりして、日本の裁判でいえば何に当たるのか、日本にまったくない制度・概念なら日本のものとどこがどう違うのかが、読んでいて理解できないところが多々あります。EU司法裁判所には裁判官の他に法務官がいて、裁判官と同等と説明されるのですが、この法務官が結局どういう役割を果たしているのか(裁判官の判決と別に法務官が「意見」を出すようですが、その意見はどういう位置づけで法的にあるいは政治的にどういう意味があるのか)私には理解できませんでした。たぶんこの言葉はふつうに日本の制度でいえば別の言葉だよな(たとえば90ページの「不作為確認訴訟」って日本の法律概念では「不作為の違法確認訴訟」だろうねとか)と思いつつもどこか違うかもしれないしその違いがわからないのでモヤモヤ感・隔靴掻痒感が残ります。また、通常の日本語以上に主語・目的語が省略されているところが多く、日本語として疑問に思うところ、誤字、変換ミスが目につくのが残念です。


中西優美子 信山社 2022年1月30日発行
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証拠法の心理学的基礎

2022-05-06 22:36:34 | 人文・社会科学系
 アメリカでの裁判における証拠法、例えば不公正な予断を与えるような証拠(ぞっとするような写真とか)を陪審員に見せないとか、特定の証拠を特定の事実の認定に使用してはいけない(被告人の前科を被告人が現在訴えられている犯罪を犯したという認定に用いてはならないとか、事件後改善策がとられたことを所有者・管理者に過失があったことの認定に用いてはならないとか)とか、違法に収集された証拠は考慮してはならない(陪審員は見ても忘れるように!)とか、伝聞証拠は原則として証拠にならないとかについて、心理学者の立場から、そのルールが心理学的に妥当性を有するか、認定に使わないようにと指示された陪審員はそれに従えるか等を論じた本。
 著者の心理学者としての証拠ルールに対する意見(賛否ないし妥当性)が、それほどはっきりとした形で書かれているわけでもないので、モヤモヤした感じが残りますし、心理学研究・実験の常として実験条件の妥当性の評価は難しいところ、この本は心理学そのものの本ではないこともあって紹介されている実験の条件は詳しく説明されなかったり標本数が少なかったりでスッキリなるほどと思えるという印象はあまりありません。
 「真実を語っているかまたは嘘をついている話者のビデオ録画による信用性評価について、裁判官の正確性を(警察官や他の種類の専門家とともに)テストした数少ない研究の1つがある。テストされたすべてのグループで、概ね偶然レベルにとどまる成果しか見られなかった(つまり、コイントスによって判断した方が良かったということである)」(69ページ)という記述(同様の、より詳しい記述が155~158ページにもあります)は、ある意味で興味深く、もし裁判官が自分は証人の嘘を見抜く能力があると考えているのであればこういった研究データを知って謙虚になっていただきたいということではあります。しかし、他方で、裁判実務に携わっている者の感覚として、裁判官も弁護士も証言等の信用性を評価するときに、証言の際の態度を中心に考えることはあまりなく、客観的な証拠や前後の経緯等からみてどの程度現実的かの方に比重を置いていると思います。そのあたりで、心理学者が注目するところと裁判実務の発想・感覚のズレを感じます。
 指紋の一致について、イギリスの指紋専門家5名に、その人が過去に担当した事件で「一致する」と報告した指紋についてそうと知らせずに、「最近FBIが誤ってスペインで爆弾を仕掛けたテロリストの指紋をオレゴン州の無実のアメリカ人の指紋と結びつける判断をした」と告げて、その判断とは関係なく評価するように求めたところ、過去の見解を維持したのは1名だけだった(260ページ)というのは、注目しておきたいところです。一般に確度が高いと考えられている指紋鑑定でさえ、信頼性はその程度だったとは。
 

原題:The Psychological Foundations of Evidence Law
マイケル・J・サックス、バーバラ・A・スペルマン 訳:高野隆、藤田政博、大橋君平、和田恵
日本評論社 2022年2月28日発行(原書は2016年)
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世界が青くなったら

2022-05-05 23:24:28 | 小説
 「奇跡が起こる店」「自己満足を売る店」を舞台にパラレルワールドが交錯し、ありえた自分とあり得た近しい/会いたい人の関係を夢想する人々を眺める仕立ての小説。
 サン・テグジュペリの「星の王子さま」の世界を下敷きにしつつ、私にはどこか「ハウルの動く城」をイメージさせるような(「動く城」はまったく出てこないのですが)作品です。
 「人生には明らかにヤバいと本能で察する瞬間が何度かある」として、挙げられる例が「例えば、あと五分で家を出ないといけないのに、寝癖がとんでもなかった時、或いは、鍋に少しだけ醤油を足そうとしたら、思いのほか大量に中身がでた時」(214ページ)とか、受け狙いなんでしょうけど、パラレルワールドの存在や黒猫が返事をするくらい、それに比べればヤバいことではないという位置づけなんでしょうか。
 異変が起こったとき世界が青い光で満たされたというのは、臨界事故の時のチェレンコフ光のイメージでしょうか。
 いろいろに勘ぐって/夢想してしまう作品でした。


武田綾乃 文藝春秋 2022年3月10日発行
「別册文藝春秋」連載
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まさかの日々

2022-05-04 22:17:36 | エッセイ
 著者が「サンデー毎日」に連載しているコラムの1年分(2020年11月15日号~2021年10月31日号)を出版した本。
 1985年から連載が続いているそうで、記録的な長期連載、毎年12月に1年分が出版されるのが定例行事化しているのだそうです。私は全然知らず、初めて手にしたのですが、読まれ続けるというか長期連載が可能なコラムというのは、自分の意見を前に出しつつ手厳しい批判は避けて多方面に配慮している、私の目には無難な余り毒のないものにならざるを得ないのだろうなという印象を持ちました。
 コロナ禍の下という事情があるのでしょうけれども、テレビ番組に関する話題が多くを占め、大相撲のほぼ全裸で飛沫を飛ばしあっての濃厚接触への関心が目につきます。ネタ探しへの苦しみも感じられ、もろにテーマにするときは、前にも書いたがと断ってはいますが、ほぼ同じフレーズを目にすることが多々あります。週1で読んでいればそれほど気にならないのかもしれませんが、一気読みすると、また同じこと繰り返し言っているよねと感じます。同じ人物が書いている以上、関心もさほど変わらずボキャブラリーの範囲もありますから、それは仕方ないですし、高齢者は同じ話を繰り返しがちでもありますから…


中野翠 毎日新聞出版 2021年12月15日発行
「サンデー毎日」連載
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運命の絵 もう逃げられない

2022-05-03 23:56:19 | エッセイ
 著者が選んだ名画のテーマ、成り立ち、画家の生涯などの背景事情を織り込んだ絵画評論集。
 私が見つめても気がつかない(文庫サイズでは豆粒どころかごま粒大のものやページの継ぎ目に埋もれたりして見えなかったりもしますが)細部の解説に、専門家のこだわりというか執念を感じます。知らなかった絵を見られたり、よく知らなかった画家の人生を垣間見たりできたのも収穫でした。印象としては、紹介されている画家は優雅な人生を送った者が多かったようです。私はどうも生前世間の理解を得られずに不遇を託った画家の方に興味を持ってしまうのですが。
 直接取り上げた絵だけじゃなくて関連して紹介されている絵も興味深いのですが、「メデューズ号の筏」(テオドール・ジェリコー)491×716cm(36~37ページ)、「ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン」(アントワーヌ=ジャン・グロ)523×715cm(142~143ページ)って、壁画・天井画ならともかく、ルーヴルにはそんなでかい絵があるのかと驚きました。
 さまざまな運命があるとは言え、どこがどう「運命の絵」なんだろうと疑問に思えます。絵の選択基準は、著者の好みなり思い入れなんだろうと思えるのですが。


中野京子 文春文庫 2022年2月10日発行(単行本は2019年1月)
「オール讀物」連載
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女たちが死んだ街で

2022-05-02 23:59:41 | 小説
 ロサンジェルスで起こった15年前の街娼ら女性の喉を切り裂く連続殺人事件と、再度起こった同様の手口の殺人事件を題材に、15年前に喉を切られたが生き残ったフィーリア、娘を殺害されたドリアンの訴え・恨み言を通じて、通りや怪しげな店で売春をする女性達に対する人々の蔑み、警察の無気力・無関心を描いた小説。
 裏表紙の紹介では「女性たちの目線から社会の暗部を描き出す、エドガー賞最終候補の傑作サスペンスミステリ!」とされていますし、冒頭には「歯に衣着せぬフェミニストで、女性の性と生殖に関する健康の分野における先駆者で通りで働く女性たちの理解者でもあったフェリシア・スチュアートの思い出に。」という献辞もあるのですが、女の敵は女的な描き方もあり、フェミニズム作品と思って読むとちょっと違うかなと感じます。ミステリー作品としては、布石も謎解きも十分とは言えず、サスペンスとしては刑事が犯人に迫っていく過程が丁寧に描かれていなくて物足りなく思えます。
 訳者あとがきでは、他の作家の「読みだしたら止まらない物語」という言葉(厳密には「この作品がそうだ」とは言っていませんが:378ページ)を掲載し、自身も「本書は(略)ページターナーです。」と述べつつ(378ページ)、「じつは、著者の筆が進まなかったり、著者自身があまり好きではなかったりする部分は、(作業時にその事実を知らなくても)翻訳のスピードも上がらないことがままあるのですが、今回もそれで、翻訳に時間がかかったのも第一部と第三部でした」(388ページ)と書いています。率直なところ、第三部(183ページ~)に入るまでは、だらだらとした展開で、読み続けるのがずいぶんと苦痛に思え、もう投げだそうと何度も思い、どこがページターナー(読み始めたら止められない本の意味)だと、思っていました。


原題 : THESE WOMEN
アイヴィ・ポコーダ 訳:高山真由美
ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2021年10月15日発行(原書は2020年)
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