~~ニュースがあります。
<ついに「神」が「創造主」に!>
先日NHKハイビジョンTVをつけたら、ベートベンか誰かの歌付きのクラシック曲を放映していました。
ドイツでのコンサートで歌はドイツ語でした。画面に邦訳語のテロップが流されていました。
それはいつもの通りですが、よく見て驚いた。
従来「神がどうこうした」と流されていたところが「創造主がどうこう・・・」となっているではありませんか!
見続けていたら、以後全て「創造主が・・・」となっておりました。
「やっとここまできたか・・・」と感慨を深くしました。
『神とゴッドはどう違うか』(新潮選書)で、ゴッドを神と訳すのは殆ど間違いで、
創造主又は創主と訳すべき、と活字発信したのが1997年2月でした。
即座に四日市教会の堀越暢治(のぶじ)牧師から「よくいってくれた」との電話が来てお会いしました。
主催したメールリスト「聖書サロン」「せいしょ議論」の一部の人からも賛同を得ました。
だがメンバーの中でこれが福音伝達上の大きな問題であることを深く認識した人は、
この私のブログにもコメント下さるSabiaさんお一人だったのではないかと思っています。
かほどに理解者は少数でした。だが私は以後の書物で「創造主」と言い続けてきました。
このブログでもそれを通してきました。
10年がたちました。そうしたらなんと、NHKで訳語を作る人がそうなったようです。
書物を読んでくださったのでしょうか。このブログを見てくださったのでしょうか。
ハイビジョン番組担当の方だけかも知れません。ドイツ語担当の訳者だけかも知れません。
だが、たとえ一部においてであろうとも、NHKのなかで正しい訳にする動きが出たのは画期的。
従来考えることも出来ない姿でした。
日本に正確な福音が伝わり始めるかも知れません。
では本日の聖句にまいりましょう。
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=聖句=
「弟子たちの一人で、イエスが愛しておられた者が、イエスのみ胸の近いところで席に着いていた。
そこで、シモン・ペテロは彼に合図をしていった。
『誰(これからイエスを裏切る者とは)のことをおっしゃったのか、聞いてくれ』」
(13章23~4節)
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前回の続きです。
弟子たちはイエスに「このうちの一人が裏切る」と言われても誰のことかわかりませんでした(22節)。
それほどに、ユダは普通に行動していた。弟子の一員として働き続けていたのです。
だから、聞いたものは互いに顔を見合わせます。
その後、ペテロがイエスの隣に座っていた弟子に言います。「誰なのか聞いてよ・・・」
ここでヨハネはその弟子を「イエスが愛した弟子」と書いています(23節)。
これを文字通りに取りますと、疑問が湧いてきます。
「え? ではイエスは、他の弟子は愛していなかったの?」と。
そんなことはないはずです。この13章の最初の1節でヨハネは
「イエスは自分のものとなっている者たちを、最後まで愛された」といっています。
そして、ほかの弟子たちも、父なる創主がイエスのものとして与えられた存在であるということに、
聖書ではなっています。イエスは他の弟子も愛していたのです。
だったらこれはどういうことでしょうね?
どうも「弟子の中でも、先生はこの弟子をもっとも愛しておられた」とヨハネはいっているようです。
これをあからさまに最上級で表現はしなかった、ということではないかと思われます。
どうしてか? この「最も愛された弟子」とは実は著者ヨハネ自身だからです。
彼は自分で自分のことを指していっているのです。
実際、イエスはヨハネを最も愛していたようです。イエスの教えを最も理解していたからであります。
それもあってのことでしょう、イエスは自分が十字架上で死んでいくときに、
生母マリアのことをヨハネに託してもいます(ヨハネによる福音書、19章25~6節)。
後世の人々は、イエスの第一の弟子はペテロである、と考える傾向にあります。
ペテロにはスター性がありますから。言うことやることが絵になる。
だから、そういう印象を後世の人々に与えるがちです。
だが、実際にはそうではない。ヨハネが第一の弟子だったのです。
ヨハネは、毛沢東に寄り添って助け続けた周恩来のような存在でありました
(その周恩来をも毛沢東は最後には抹殺したことを示唆する資料が、最近出ておりますけど、
イエスはそういうことはしません)。
師匠にぴったりついて深く理解するという人は、一般には目立たないものです。
影のように寄り添い続けますから。行動に表面的なメリハリがない。
だから、彼の本質的なところはわかられにくいのでした。
ヨハネは学者タイプの人でした。そして控えめでした。
そういう人が、自らを最愛の弟子だと確信していながらも、
ただ「イエスが愛した」と書き記すというのは、ありうることです。
そんなこと書かなければ、もっと控えめなんじゃないか・・・。
日本人的な感覚で言えば、そうかも知れません。
だが、ヨハネはそれは出来なかったのでしょう。
この福音書を書いているとき、ヨハネはもう晩年にさしかかっています。
弟子の中での自分の位置については、やはり一言、書きとどめておかないではいられなかったのでしょう。