<日本広告マンの戸惑い>
今回は、少し視点を変えて広告の世界から福音思想を覗いてみます。
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BGMは相変わらずmariさんのこれを感謝して使わせていただきます。
http://aiai.hukinotou.com/
(クリックして最小化し、もう一つエクスプローラ画面を開いて
春平太チャーチを開くとBGMのある状態で読むことが出来ます)
さて南仏の地中海沿岸にカンヌという街があります。
国際映画祭で有名になったフランスの小都市ですが、ここでは同じ時期に毎年、国際広告祭というのも行われます。
その2008年フィルム部門グランプリに、英国のGorillaと題するCMが選ばれました。
英国キャドバリー社チョコレートの90秒CMで(現在日本で流されているCMはほとんど15秒)、
フィル・コリンズというドラマー兼シンガーソングライターのヒット曲(1981年)の
冒頭部分に合わせてゴリラがドラムを叩き、
最後にデイリーミルクチョコレートが小さく提示され
a glass and a half full of joy という商品スローガンが示されて終わるという作品で,次のようなものです。
http://www.youtube.com/watch?v=Wy52yueBX_s
これが日本から出向いた広告マンたちに大きな戸惑いと不満を生みました。
「意味がわからない」「どこが面白いかわからない」「クオリティが高いと思えない」
「美しい映像もない」「気の利いた捻りもない」「ゴリラがドラムを叩いているだけの作品だ」等々で、
不快感を抱いた人もいたということでした。
ところがこれが英国で大ヒットの話題作となり、
デイリーミルクチョコレートブランドの売上は1割近くアップし、
おまけにキャドバリー社への好感度も大幅に高めたという。
日本の広告人たちには、どうしてそんな成功がもたらされたのか、皆目わかりませんでした。
<繰り返されたBGMソング>
この話を聞いた鹿嶋は、その映像をゆっくり鑑賞する機会を得て次のことに気付きました。
90秒というのは1分半で、CMとしてはとても長いものです。
その前半にはゴリラがドラムを叩く前の結構長い沈黙の時間がありました。
まず、ゴリラの鼻の部分のアップから始まり、カメラが引かれてゴリラ全体の姿が現れます。
ゆっくりした映像展開です。
それに並行して、BGM(背景音楽)の唄が流れます。歌詞は~
♪創造主よ、今宵気配を感じます
(I can feel it coming in the air tonight, Oh Lord)
♪主よ、この瞬間をどれだけ待ちわびたことか
(I've been waiting for this moment all my life, Oh Lord)
~です。これが2回繰り返されます。
次いで一瞬の沈黙の後、ゴリラの手が意を決したかのごとくに突然動き始め、ドラム演奏をしていました。
その間、上記の歌詞のBGMがもう一度繰り返して流れ(三度目)、
デイリーミルクチョコレートが小さく提示され
a glass and a half full of joy という商品スローガンが、さりげなく示されて終わっていました。
それを見た時、鹿嶋には、このCMに込められたコンセプト(思想)がよくわかりました。
聖書では創造的な精神エネルギーは音楽に限らず、すべて万物の創造主から来るという思想です。
創造主なる神こそが、創造エネルギーの源泉という思想が根底にある。
CMゴリラはその思想を視聴者に訴求するものであることが、手に取るようにわかった。
その思想を、ゴリラでさえも~人間だけでなく~精神エネルギーを受けると音楽を創り出すのだ、
という形で訴求していたのです。
<評価されたのは>
それが英国人に受け、カンヌ国際広告祭の審査員たちに評価されたのは、
欧米人の心の底にはバイブル思想が流れていることによります。
だが、欧米人とて多忙なこの世に生き、現在ではとりわけこの世的な情報過多の中で暮らしています。
その結果、いと高きところに意識されるべき創造主をついつい放念しがちな日々を送っている。
その彼らにCMゴリラは根底思想を再自覚させた。
人間には各々、幼いころから胸の内にはぐくまれた思想、情感があります。
それは忘却されていてもほんの一寸した働きかけによって心に浮上する。
そのとき、人は旧来の友に久しぶりにあったような懐かしさの感動と共に、それを味わいます。
この情感に企業、商品メッセージがつながり、長く心に浸み込むCM作品となったのです。
<サントリーCM「雁風呂編」>
意識の根底に流れる思想を呼び起こし、心に残る作品となったCMは日本にもあります。
昭和48年に「雁風呂編」と題して放映したサントリー「角瓶」のCMがそれで、
これは日本人意識の根底に流れる無常感を呼び起こしました。
http://blog.livedoor.jp/cm_library/tag/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
冬の季節に北国から日本の津軽の浜にまでたどり着いた雁は、再び日本の南の空に飛んでいき、
冬が終わるとまた津軽に戻ってきて北国に去っていく。
そのとき生きて帰れなかった雁を津軽の漁師たちは供養した~という言い伝えを
作家山口瞳を登場させて描いた60秒CMは、
日本人視聴者の心に眠っていた無常感を揺り起こし、深い共感を得ました。
この作品のコンセプトなら、日本の広告マンは把握したでしょう。
だがゴリラCMに込められた聖書思想のコンセプトは読めなかった。
3度にわたって繰り返し流されたBGMの歌詞も、彼らには冗談めかした台詞程度のものにしか見えなかった。
ここには聖書思想を知らない人間の持つ、西欧文化に対する、どうしようもないほどの無明が現れています。
このことは、日本人に西欧文化を伝えることとはどういうことかを、深いところで考えさせます。
福音はそのベースになっていますからこれを正確に伝える仕事も容易なことではありません。
次回もうすこし考えてみようと思います。