鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.19 驚異の征服力がキリスト教土壌を急拡大

2016年03月02日 | キリスト教の正しい学び方





みなさま、こんにちわ。

きょうもまた、「キリスト教の正しい学び方」を進めて参りましょう。

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前回、古代ローマ国は、まるでキリスト教を受容するべく準備された受け皿のようだった、と申しました。

この観点からローマ帝国をもう少し見ておきましょう。

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古代ローマ人のもつ征服力は、近代以前の人類史では空前絶後です。

バリスタという強力な弓兵器、合理的な軍団編成・運営方式、闘技場(コロッセイム)に今もみられる土木建築技術・・・どれをとっても、その先進性は驚異的です。

これでもってして、ローマは短期間に全欧州、および、アフリカや中東の地中海沿岸地域を領地に収めました。




<スコットランドは強かった>

ただし現代のイギリス本島(ブリテン島)の、北半分は領有できませんでした。

ウェールズ地方とイングランド地方は征服しましたが、今のスコットランドにあたる地域は残りました。

スコットランド軍は、例外的に強かったようです。




<驚異の土木建築力>

そこでローマはスコットランドとの境界線に、ブリテン島を東西に横切る長大な城壁((ハドリアヌスの長城)をつくりました。

1万五千人の兵士が、厚さ3メートル、高さ6メートル、長さ120キロの城壁を建築した。

わずか5年間で完成させたといいます。

ブルドーザーのない古代のこの時期に、こんなことをやってのける人間集団〈国家)があったなんて、うそのようです。




<一体性維持の問題>

話を戻します。

破竹の勢いで領土が拡大すると、国家としての一体性を維持するのが大仕事になります。

有力な将軍の駐在地が地方に分散していくからです。

彼らは政治的にも有力者で、その地の統治者となります。

この人たちの精神が首都ローマの中央政庁と相呼応する状態を保つ努力が、帝国の一体性維持に必要になるのです。




<弾力的な権限配分>

しかしこの問題にもローマ人は卓越した才能を発揮しました。

彼らは皇帝と元老院との権限配分を柔軟に調整することでもって対応しました。

一体性向上の強力な決め手は、皇帝権力の強化です。

いわゆる五賢帝時代は、聡明な皇帝が、強化された帝権を用いて適確な統治を行った時代です。

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皇帝の能力が凡庸化すると、各地を実質的に統治している将軍の政治力が相対的に強くなります。

こういうときには、元老院の権限を強化して危機を乗り切ったでしょう。


   

<ディオクレティアヌス帝の四分皇帝制>

そうしたなかで再び有能な皇帝が出ました。

ディオクレティアヌス帝です。

彼は自らの指揮下に政権を集中させると、帝国を四つの地域に分けました。

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一つは皇帝に、三つは副帝に統治させた。

この副帝たちは一年ほど経つとその地域の皇帝になります。

実質、四皇帝制へといいう大改革を行ったわけです。
〈彼自身はそうしておいて、あっさりと引退してしまいました)

この時代は四分皇帝時代ともいわれます。




<拡大し続けた快適空間>

ローマは隣接地を征服すると、そこに小ローマを造っていきます。

そこで市民権を得ているものは、快適な生活をします。

鳥瞰すると、こうした快適空間は欧州と地中海沿岸地域で拡大していきました。

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こういう空間に住むと、市民は永遠理念を求めるようになります。

このようにして、ローマ帝国はキリスト教の受け皿を拡大していきました。



<永遠理念の役割>

現世的な快適社会に住むと、人は何故永遠理念を求めるのか。

「肉体は死んで消滅する」という事実がもたらす、自己への空虚感を深く感じるようになるからです。

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そしてそこに永遠世界の理念が入ると、意識が変わってきます。

永遠世界の理念は、人間がその中に自分を位置づけ、自己に永遠の属性イメージを抱ける道を開くのです。

たとえば、霊的世界の理念は永遠世界の理念です。

これをもち、人間は肉体だけでなく霊からも構成されている、という概念をもつと、事態は変わります。

人は自分に永遠の属性があるというイメージを得るのです。




<自価意識が急上昇する>

するとそれは、当人の自価意識を急上昇させます。

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「自価意識」とは、「自分という存在が、が存在する価値あると思う意識」です。

人間は現実社会で様々な価値理念を造って、自分に付加しています。

それで自価意識を造り、精神に活性を得て生きている。

自価意識は、日々生きる人間の精神と知性の活力の基盤として働いているのです。

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ところが、本体の自分が「死んで消滅しておしまい」ならどうなるか。

価値とは所詮、本体に付加される「意味のイメージ」です。

そのご主人が消滅したら、価値〈世的な)は空しいものとなってしまいます。

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人はそういうことを、本能的に感じつつ生きています。

だから、人が通常自覚している現世的な自価意識は希薄で弱いものなのです。

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ところが「肉体が死んでも、自分の霊は永続する」との理念をもつと、それに付加される価値イメージも安定化します。

それによって、自価意識は持続的になり、強く濃厚になります。

さらにその価値が、霊的なものとしてイメージされるならば、自価意識は飛躍します。

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キリスト教思想は、その永遠理念を供給する強靱な論理体系を持っています。

だから、それはローマ帝国空間では、「砂漠での泉」となって市民の心に染み込んだのです。

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当時キリスト教はローマ統治下の空間では禁教でした。

にもかかわらず、キリスト教活動は、地下運動として拡大し続けました。




<聖セバスチアン事件>

そこに、後に「聖セバスチアンの殉教」と命名される事件が起きました。

皇帝のお膝元で起きた。

皇帝の親衛隊長、セバスチアンがキリスト教信徒だと発覚したのです。

彼が他の信徒を密かに助けていたことがわかった。

皇帝の取り巻きは激怒します。

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セバスチアンは、弓の射手に取り囲まれ、矢を射られ続けるという刑に処されます。

その矢がハリネズミの針のような状態になった、との言い伝えもあります。




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余談です。

この場面を描いた絵画「聖セバスティアンの殉教」に心をとらえられた少年が、戦前の日本にいました。

後の作家・三島由紀夫です。

彼は、この絵に「自らの肉体的生命以上の価値を抱く崇高さ」を感じ取り、鮮烈な感銘を受けた。

そして、戦後の日本国家にそれがないことを嘆き、天皇親政を取り戻そうとしました。

天皇に再び「そのために死ぬ価値ある対象」になってもらおうとしたのです。

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彼は「盾の会」という集団を組織し、彼らと共に、市ヶ谷の自衛隊駐屯所の総監室に突入した。

総監に革命の必要を説くためでした。

そして説得がならぬとみると、切腹し、同志に首をはねさせて死を遂げました。

「自分のいのち以上に価値ある理念のために死ぬ」という理想を自ら実践したのでした。

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話を戻します。

セバスチアン事件を契機に、ローマ政庁はキリスト教徒絶滅政策を開始しました。

ちなみに、この政策はディオクレティアヌス帝がやったと通常、言われています〈教科書もそうなっている)。

だが、実際にはそうではなかったようです。

この皇帝はキリスト教には寛大だった。

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303年から始まるキリスト教徒絶滅作戦を主導したのは、共同皇帝ガレリウスでした。

広域統治の天才、ローマの帝国政庁は、あの広大なローマ領地全土で、絶滅大作戦を展開しました。

地下運動のキリスト教活動を見つけ出し、信徒を捕らえ、見せしめの拷問をしたうえで殺していく。

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闘技場で流血の殺し合いを楽しむローマ人です。

闘技場の定番メニューは、午前中が動物と剣闘士の戦い、昼休み時間が罪人の公開処刑、午後が剣闘士同士の殺し合いだったという。

〈こんなのを年中楽しんでいる連中と、戦場で出会いたくないなぁ〉

彼らは、処刑においても合理的で残忍でした。

魚を料理するかのように、キリスト教徒とカトリック教会の指導者を拷問し、処刑しました。

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ところがガレリウスは311年に、性器が腐るという過酷な病にかかりました。

今で言えば糖尿病だったのでしょうか。

神罰でもイメージしたのか、この年に、迫害解除布告が出され絶滅政策は終了します。

ガレリウスは、その年に死んでいます。




<中央政庁の権威失墜する>

9年近くにわたる国家的大政策が失敗に終わってしまいました。

こうなると、中央政庁の権威は失墜します。

各地の皇帝や将軍たちは、国家統一を目指して戦争を開始しました。

そして、コンスタンチヌス1世が最終勝利をおさめ、内乱は収束しました。

彼は四分皇帝の一人、コンスタンティウスの息子です。





<「大帝」キリスト教を公認する>

帝国を再統一したコンスタンチヌスは「大帝」と称せられるほどに強大な皇帝権力を手にしました。

そして何と、313年にそれまで禁教だったキリスト教を公認したのです。

従来禁教だった最大の理由は、キリスト教が「創造神をローマの皇帝より上位におく思想」をもっていたことでした。

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だが、大帝はここでウルトラCのアイデアを実施した。

カトリック教団を抱き込み、活用する政策です。

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彼は「創造神は、天上天下のすべてを統治する存在であるが、地上の世の統治はローマ皇帝にゆだねている」という思想を教会に容認させたのです。

大帝はローマ人のもつ「現実的で広く体系的な思考」の資質をすぐれて体現した人物でした。





<公認のままに留め続けた>

カトリック教団内部に「次は国教に」という動きが生じるのは、時の勢い、自然の理です。

だが大帝は生涯、カトリック教会を公認宗教の一つにとどめ置きました。

国教ではキリスト教思想は、「ローマ帝国の一体性に貢献する理念にならない」と洞察したからでしょう。

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宗教に限らず、思想理念は、自発的に受け入れる余地を残してはじめて人々の心の内で躍動するものです。

外から受容を強制すれば躍動は止み、人心から理念のスピリットが抜け、外枠だけが残っていきます。

こうして思想は形骸化していくのです。

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カトリックの教えも国教として強制されればそうなるでしょう。

さすればその中に組み込まれた皇帝崇拝の教理も市民の心の中で形骸化していくでしょう。

そるとそれは帝国の一体性を支える機能をはたさなくなっていく。

大帝はそういう、人間精神の深淵を洞察していたのでしょう。




<首都を東に移す>

その一方で大帝はもう一つの国家スピリット維持手段をうちました。

再統一した帝国の首都を、ローマ市から東のコンスタンチノープルに移したのです。

従来の首都ローマは、現世快楽主義が蔓延し、諸思想が入り乱れて精神的にも魑魅魍魎の様相をなしていた。

大帝はこの都市で帝国精神を維持するのは無理と洞察したのでしょう。

首都を東に移しました。

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けれども西のローマ市はカトリック教会の本拠地です。

そこでは相応になすべき統治業務があって、すべての機能を移転することは出来ませんでした。

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その結果、ローマ帝国は事実上の分割統治的な状態になりました。

そして時とともに二つの統治空間は西ローマ帝国と東ローマ帝国と呼ばれるようになりました。

今回は、ここまでにしておきましょう。


(「キリスト教の正しい学び方」   第19回  完)










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