創造神の波動ワールドを構成する意識波動体、今回は ⑥「復活」だ。
復活という意識波動体は、いくつかの論理の枝を持っている。
話は若干複雑になるよ。
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まず「復活」は「死なないこと」ではない。
一旦「死んで」「生きかえること」だ。
波動で言うと、一旦、死の波動が優越するんだね。
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ちなみに、人間の五感ベースの経験ワールドでは、死の波動の優越状態はそのまま続くことになる。
なぜなら人間の五感は、肉体しか認知できない。
五感はまた、肉体は死んだら崩壊して消滅すると認知する。
だからそういう認識が、そのまま人の全存在のありかただと受け取られるんだ。
簡単に言うと、「人間死んでおしまい」という認識になるんだね。
<まずイエスが復活>
他方、天の意識波動ワールドでは、この死の波動を「いのち波動は圧倒し、逆転する」と認識する。
それを「人の子」イエスの復活でもって創造神はまず実証する。
こうして「死の波動はいのち波動に勝てない」ことを、思い知らせる(悪魔に)という論理になっている。
<人間も復活する>
そして、復活は人間にも起きる、という。
最初は、イエス再臨の時だ。
話はこうなっている。
イエスは復活して天に上って王座に就いたが、その彼はあるとき、(多くの天使を従えて)空中に現れるという。
この時、イエスの名に伴う波動ワールドに、意識が住まわっていた状態で死んだ人の霊が、(霊がそのまま)身体となって復活する。
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残りの霊は、いわゆる「最後の審判」のときに復活する。
聖書は、この宇宙は最後に火で焼かれて消滅する、としている。
このとき、残りの人の霊はみな身体となって復活するのだ。
彼らに対しては、各々その行いに応じて裁きがなされる、という論理になっている。
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「残りの人」となって復活して裁かれる人は心配かも知れないね。
そんなことなら、肉体のように、死んだら消滅した方がいい、と思うかも知れないなぁ。
でも、創造神ワールドでは、五感ワールドでの人間の姿を、「人は死の恐怖につながれた、死の奴隷となっている」とみる。
五感ワールドの住人は「みんな同じだ、仕方ない」と思っているが、死の恐怖を抱いて生きるのも、また、楽なことではない。
復活の論理の枝はまだある。
だが今回はここまでにしておこう。