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~前回の続きです。
世界観(全体観・環境観といってもいい)というのは人が生きていく上で大きな役割を果たしてくれます。
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<世界イメージはその中に自分を位置させてくれる>
人間というのはね、「自分は何ものだろう」「何のために生きてるだろう」「死んだらどうなるだろう」という気持ちを、結構幼いうちから抱いているものです。
もちろん、幼い頃は漠然とした問題意識で、言葉にはならない。
けれども、やはり抱いている。これは意識の根底にくすぶり続ける続ける思いで「人生の基本問題」と言ってもいいでしょう。
そしてその答えを得るのに、自分が属する世界のイメージ~世界観だな~これが役立ってくるんだ。
その世界イメージの中に、自分を位置づけると、「自分は何ものか」の思いを心に形成することが出来るのです。
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たとえば、「この世界、怖いカミサマが空から見ていて、悪いことすると死後、地獄に落ちて鬼に苦しめられる」という世界観を持ったらどうなるか。
そのイメージ中に自分を位置づけることが出来るでしょう。
「私はそういうカミサマが上からみている世界の中で、生きているんだなぁ」と自分を位置づけられるのです。
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<自価意識>
余談ですが、そのとき「自分は正直に生きてきている」との自覚があれば「カミサマが自分の価値を認めていてくださる」という思いも持てます。
「自分の存在は価値(意義)ある」という思いだね。これをわたしは「自価意識(じかいしき)」といっているが、これが増すのも気持ちいいことです。
とにかく世界観の中で自分の「位置づけ」ができると、人間の気持ちは突然安定化します。
環境観ほとんどなしで宙ぶらりんだった時に比べると、劇的な心理変化です。
さらにその位置づけで自価意識が増すときには、気分がさらに「快」になり、やる気や生きようという気持ちが湧いてきます。
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<ジェイムズのプラグマティズム哲学>
こういう心理は、人間が昔から日々の生活の中でもってきたものです。人はそれに気付いてはきました。
だがその知識は日常的な知恵、断片的な知識の状態に留まっていました。
それが一つの心理哲学の要素として本格的に扱われたのは、人類史の中では、ず~と最近の、20世紀の初めです。
米国のウイリアム・ジェイムズという心理哲学者がその境地を開きました。
彼はプラグマティズム哲学の集大成者と言われています。
彼の言のひとつを引用しましょう~
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「若い人が、全世界は一つの偉大ななる事実を形づくりそのすべての部分はいわば相並び組み合わさって動いているのだという考えにはじめて思いつくと、
彼はまるで何か偉大な洞察力でも恵まれたような気になって、
まだこの崇高な概念に達していないでいるすべての人々を傲然と見下すのである」
(ウイリアム・ジェイムズ『プラグマティズム』桝田(ますだ)啓三郞訳、岩波文庫、p99)
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<世界イメージに自分を位置づける快感>
彼がここで「全世界は・・・相並び組み合わさって動いているのだという考え」といっているのは、すなわち世界観です。
彼はそれを宇宙観とかパースペクティブ(全体観)と言っていますが、世界観です。
このフレーズ自体は、彼が事実を体系的に繋げた「体系的・法則的知識」と個々バラバラなままな「事例的・百科事典的知識」を比較して、知識(の価値)を論じている文章の一部です。
だがそのうち、前者の体系的知識は、ここで筆者の言っている世界観でもあります。
ジェイムズは、「人はその世界観を思いついたとき、まるで何か偉大な洞察力でも恵まれたような気」になるといっているのです。
つまり、あたらたな世界観を得たときには、人は鮮烈な気分をうるのですね。
どうしてか?
自分をその中に「新たなかたちで」位置付けることが出来るからです。
位置づけるはすなわち「理解出来る」と言ってもいい。
従来にないかたちで自分が理解出来ると、ひとはさらに心の安定を追加できます。
そのとき目が開かれてうろこが落ち、鮮烈な気分に浸るのです。
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<「身が引き締まる」思い>
ジェイムズは「まだこの崇高な概念(世界観)に達していないでいるすべての人々を傲然と見下す」とまで言っています。
そのような観察を彼は人間についてしてきたのです。
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望「そうか。それって『身の引き締まる気持ち』と日本人が言ってるのと違いますか?」
~その通り、勘がいいね。
新たな世界観をえて、自分をその中に位置付けられると、不思議に精神に一体感・統一感覚がやってくるんだな。
セルフイメージに一体感がえられると、それは身体にも連動して心身共に一体感が得られるようになる。
「身が引き締まる」というのは、その感覚を言っているのです。
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望「心身の統一感、一体感は、従来味わったことのない鮮烈な快感を人にもたらすのか・・・」
~世界観は、そういう効用を持つのですね。
聖書の世界観も、例外ではありません。
身につければ安定感が増し、快感をもたらしてくれるのです。
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望「そうか、そうなんですね。でも聞いていて、そういう快感ってなにか危険でもあるような気がしてきました。
戦前の国家観も一つの世界観ですよね。
これが与える快感は、民族主義とか国家主義気分とかを造りませんか。
そしてそれが戦争に向けての国民操作に利用されたなんてことはなかったのですか?
どうもそういう気もしてきました・・・漠然ですけど」
~望君は分裂気質なんだね。直感が遠くに飛ぶ。
でも全く的外れというわけではない。
望「その話も聞きたいんですが・・・」
~いいけど、いまそれを続けると聖書の話から離れすぎるような気もする。
望「いいじゃないですか。鹿嶋プロフィールには聖書学者でなく、宗教社会学者と書いてあるし・・・」
~う~ん、まいったな。よしっ、次回にはそれを考えてみるか。
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