Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日からは新聞づくりに専念

2018年12月09日 21時28分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ほぼ予定通り19時に会議が終了。外に出ると、風も冷たくなりとても寒く感じた。気象庁のデータでは13時に10.3℃と1月中旬並みの気温になったとのこと。8メートルほどの北風が一日中吹いていたようだ。
 冬は冬らしく、寒く乾燥してほしい。星が良く見えて欲しい。そして1回くらいはうっすらと雪が降ってほしい。薄っすらとでいい。数センチも積もれば、関東南部では影響が大きい。10センチも積れば、大変な災害となってしまう。これは勘弁してもらわないといけない。

 明日は16時過ぎから団地の集まりがある。それ以外は予定は入っていない。

 明日からは退職者会の会報の原稿作りに専念する。木曜日までには入稿しないといけない。新年号はいつもの倍、A3で4頁である。

冬がようやくやって来た

2018年12月09日 16時37分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は北風が強く、団地のプラタナスの落葉がカサカサと音を立てて舞っていた。不思議なもので、そのような音は騒音には聞こえず、心地よく寝付いた。朝もまたこの音で目が覚めた。木枯らし1号のような気もした。ようやく冬の気分。しかし来週以降年末まで平年より高い気温が続くと天気予報で言っていた。

 夕方になって8千歩ほどのウォーキング。出かけたときの歩数と合わせて1万3千歩。しかし空気が乾燥し、寒い。1階でフローリングというのはやはり室温も低い。本日は昼間も短時間だがストーブをつけてしまった。

 これより団地の管理組合の会議。夕食は終わってからということにしたが、19時には終わってほしい。

「駒井哲郎」展から3

2018年12月09日 12時16分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 駒井哲郎展、埴谷雄高の「闇のなかの黒い馬」の装幀・挿画から記載した。「ことば」があるとそこに意識がまずは行ってしまうのは、私がどうしてもことばの世界に生きてきたからだと思う。
 挿画・装幀などは、書きことばの世界とのコラボレーションであり、ことばの醸し出す世界と、視覚に働きかける世界の相互浸透の醍醐味だと思う。それ以上に、読者や鑑賞者のイメージをどこまで豊穣に飛躍させるか、それはことばを紡いだ人と挿画を描いた人同士の関係だけでなく、興味をそそる。
 さて、私は、心の奥底ではことばの世界だけというのは、本当の自分ではないのではないか、といつも思っていたし、今もそう思っている。しかしことばの世界からはもう抜け出せない。
 視覚を対象にした作品はことばに変換しても、それだけでは鑑賞にならない。音楽も同じであろう。しかし人はことばに変換しようともがき続ける。それが正しい鑑賞であるかのように振る舞う。
 確かに、そういう鑑賞も否定はできない。地理的、歴史的、技術的、社会的な背景は抜きにしては、確かに鑑賞も成り立たない。

      

 1951年頃から盛んに優れた作品が私の心に届く。この歳が飛躍の年だったのかもしれない。年譜によると、同年瀧口修造らの実験工房が発足している。
 そして駒井哲郎展では大きな影響を受けたルドンなどからの直接的な影響関係からの飛躍も見られる。
 ある意味、飛躍であり、独自の世界への出発でもあったと私が勝手に解釈するこの年から数年の、「黒」は「白」を従えて、実に豊かな奥深さを感じる作品が並ぶ。
 第2章は、ルドンの作品を楽しみ、第2章の後半ではルドンから「恐怖」「おののき」といったものを削った「夢」の分析と再生が、駒井哲郎の大きな魅力である、と感じた。
 ルドンのファンにとってはこの第2章のコーナーは飛ばしてしまうことはとてもできない。