Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「白隠禅画をよむ」読了

2018年12月30日 23時36分13秒 | 読書




 「白隠禅画をよむ 面白うてやがて身にしむその深さ」(芳澤勝弘、ウェッジ)読了。とても刺激的で面白かったが、如何せん禅画である。禅の知識だけでなく、当時の習俗、風俗がなかなか文章を読んでも分からない。これは手ごわい。

 「白隠禅画を単なる古美術にしてはなりません。語録・法語などの白隠著作だけでなく、もし、民俗、芸能、美術、政治史などの視点からも、その特徴を解明することが必要です。そして、この禅画に込められたメッセージを再検証せねばなりません。そこには、火の出るような宗教家の情熱、つまり菩提心があり、三百年の時を超えて蘇ってくるはずです。白隠はいつ噴火するかわからない火山のようなものです。その秘められたメッセージを探り当てれば、そこに膨大なエネルギーが解放されます。しかし単に古美術品扱いしているならば、そのエネルギーは現代に蘇ってはきません。白隠の禅は「上求菩薩、下化衆生」という実践的テーマに集約されますが、それはいわば永遠の未完成です。‥」

 白隠の絵画作品にかかれた「賛」を追っても理解が私には難しい。以前、八甲田の温泉地で登山の途中に悪天候とケガで1泊したおり、道元の書を講談社学術文庫で読んだ。むろん現代語訳付でなければ読み進められなかったが、一冊全部なんとか読み終わるとそれなりに何かわかったような気分にはなった。
 しかし白隠の作品と「賛」をこの書の解説を読んでも「わかったような気分」にはなれなかった。解説が分かりにくいのではない。作品と「賛」そのものがわかりにくい。
 だが、絵画作品としてはどこかやはり惹きつけられる。これは見るたびに解説を読んで各棟を続けるしかないようだ。それがわかっただけで取りあえず満足しておこう。

ブラームス「ヴァイオリンソナタ」 続

2018年12月30日 20時36分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 夕食後もブラームスのヴァイオリンソナタを聴いている。ただし演奏はヴァイオリンが徳永二男、ピアノは伊藤恵という組み合わせ。録音が1996年。
 テンポはさらにゆっくり。じっくりと聴きたい人向けである。私はこのCDをよく聴く。
 特に「雨の歌」の名がついている第1番は、このテンポがいいように思っている。「雨の歌」の名は第3楽章の冒頭がブラームスの歌曲「雨の歌」に由来することからつけられているが、第1楽章から「雨」のイメージがついて回る。「夜の雨」だと昔から固く信じている。
 本日はこの曲を聴いたので、寝付きは良くなるだろうか。


ブラームス「ヴァイオリンソナタ」

2018年12月30日 11時04分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ヴァイオリンはローラ・ボベスコ、ピアノはジャック・ジャンティ。1980年の録音。ボベスコ60歳の時の演奏である。私には一つ一つの音の余韻が長く感じられ、それが艶やかな音と云われるのだろうか。タップリきかせる旋律と、細かいパッセージの転換が早いというブラームスの楽曲の特徴をスムーズに聴かせてくれる。
 少し遅めのテンポもまた私の好みである。

 ブラームスのヴァイオリンソナタは、わたしが最初に聴いたのは第1番で、それ以来すっかり虜になってしまった。以来私にとっては3曲のソナタの中では一番好みになってしまった。
 ブラームス45歳を過ぎた1978年に着手して翌年に完成である。オーストリア南部の自然豊かな保養地で作られた、と解説には記されている。
 第2番と第3番も1886年、53歳の時から翌々年にかけてにスイスの景勝地で作られている。第1番に比べて音域に厚みと明るさのある世界である。
 第1番から第3番までいづれもが自然豊かな景勝地で過ごしているときの作品である。ブラームスにとっては自然は大きな作用をもたらすものなのであろう。
 ブラームスのヴァイオリン曲は、和音の響きがとくに重要だと思っている。安心してその音を楽しめるのも魅力に思えた。

 自然の感受は何も日本だけの特質ではない。人間にとっての本質的なものである。その「本質的なもの」といった時の定義や内容や作用は、地域、習俗などの観念、個人の感受の仕方によって無限のバリエーションが横たわっている。それが「美」のある側面から見た定義でもある。人間は自然だけでなく、自ら作り上げた観念の世界もまた第二の自然として「美」の対象とする。